ガソリンスタンド | ジャスミンライス流星群

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タイガーシノハラ オフィシャルブログ


 それはもう未来が見えなくなっていたころだった。
 なんだかそういうものだといつのまにか思ってた。
 そういう種類の人間にとっては見えないことが自然なことでたぶん、何かのひょうしに自分の命はなくなるんだろうけどそういう差し迫った感じの予感もなかった。

 すごく古いマニュアル車に乗っていた。
 それで夜、走り回るのが楽しかった。
 カーステレオから音楽が流れていていろんなことを思いながら大声で歌った。

 ガソリンスタンドにはいつも昼間に行った。
 店舗は鮮やかな赤で塗られ南国にいるようだった。
 店員の女の子に気に入った子がいた。気さくによく話しかけてくれた。
 そんなに美人じゃなかったけどかすれた声がよかった。
 笑うと前歯がちょっとずれててそれも見ていて楽しい気持ちにさせてくれた。
 ある日、また彼女に会うためにスタンドに行くと別の客と仲良く話しているのを見てしまった。
 それでなぜか意地悪な気持ちになって、その女の子のことをどうにかしてやろうと思った。

 それは思ったよりもかんたんだった。

 ふたりでいろんな場所に行ったと思うけどいつのまにかうわの空になってしまった。
 彼女はぼくを大切に思ってくれてたくさんの知り合いに会わせてくれた。
 それでぼくが帰りたそうにするとそれを察してくれてすぐに帰してくれた。
 深夜に会いたいと電話するとすぐに来てくれた。
 お金がないとわかると毎日アパートに来てごはんを作ったり外へ連れ出してくれたし社員価格でガソリンを入れてくれてそのお金も払ってくれた。

 彼女がよくしてくれればそうするほどおれは生きたここちがしなかった。

 そんなあるとき、彼女は深夜に電話してきた。
 二時とか二時半とかそのくらいだった。
 おれはあまり大きくないブラウン管のテレビで映画を見ていた。
 映画は好きだった。二時間くらいは夢を見れるしきれいな女の人がさまざまなしぐさをするのがおもしろかった。美しい涙を見せてくれるのが信じられなかった。演技とはいえ、こんなおれに正直な感情を。
 ナタリーポートマンとかに見つめられるとおれなんか死んだほうがいいと思った。
 そんな夢を引き裂くように、彼女は電話の向こうでちょっと元気な調子で今からドライブに行こうと言った。作った元気みたいな声に感じた。
 面倒くさかったけどいいよと言った。
 彼女は自分の車で来た。ヨーロッパのちょっと角張った車だった。
 おれはまだ映画を見ていたけど珍しく彼女はもう出かけようよ。いやならいいけど、みたいな強い感じで言った。
 もちろんおれは言うことに従って彼女の車に乗った。
 季節は冬の終わりでまだ寒くて美しい星が光っていた。
 おれは放射冷却現象というものについて教えてあげた。
 彼女は運転しながらふうんそうなんだと言った。
 もちろん理解なんかできるはずはなかった。
 彼女は音楽といやらしいことにしか興味はなかった。
 でもその夜はすごく心がさびしいのが伝わってきた。
 おれがしゃべる音の中にずっと包まれていたいんだと思った。
 おれは次に、なぜ空は青く見えるのかについて話してやった。
 こないだ何かの本で読んだばかりなので、得意げにならないように注意しながらできるだけゆっくり説明した。その話し方はおれがこれまで教わってきたどの教師の授業よりも優れているとうぬぼれた。
 彼女はそれについては相づちを打ちながら黙っていた。
 おれはいつまでも話し続けた。
 話していたおれがいつ話し終わったのかわからないくらいにいつのまにか沈黙がやってきた。

 確かに鳴っていた車の中の音楽は終わっていた。

 信号が赤で車は止まった。
 車はすごい田舎にいた。
 彼女がどこへ行くつもりかはわからなかったが何も尋ねないように決めた。

 太陽がのぼる直前に彼女は車をとめた。
 山道だった。
 おれは寝ていた。
 ふたりで車をおりて深呼吸した。
 ちょっと胸が痛かった。
 死ぬときは痛くないほうがいいな。おれが望んで許してほしいことはそれだけだろうなと思った。
 おれは彼女の背中を抱きしめた。
 どうしたの。なにかあったの。
 そういうテレパシーを送ってみた。

 お父さんに会いたいの。
 彼女はつぶやいた。

 彼女は夜じゅうすごい遠回りしてお父さんに会いにきた。
 すごく小さいころに別れてしまったお父さん。
 ひとりで会う勇気がないの。お願い。一緒にいて。
 山道から見上げた夜空は黒と青の中間くらいだった。
 美しい濃紺の中で無数の星が銀河みたくはげしく生きていた。
 おれはまたいつものように帰りたくなったけどそれを悟られないようにしなくちゃと思った。
 彼女の背中はすごく熱を持っていた。
 ぼくは女の子の髪の毛の中に顔をうずめて大丈夫だよと言った。
 彼女はありがとうと言って冷たくなったぼくの手を握った。


 彼女の父親は死人同然だった。
 彼女は十年以上会っていなかった父親と会ったわけなんだけどすごくなれなれしく話していた。
 帰りにお金を置いてきた。
 父親は最初のうちはそれを断っていたけどけっきょくは受け取った。
 娘をよろしくとおれに言った。
 おれはわかりましたと言った。

 彼女とはその日、昼間まで一緒にいて別れた。
 生きれるのに死ぬのを待つのって醜いことだ。
 彼女はそれを教えるためにおれと出会ってくれたのかなあ。
 そんなふうに感じた。
 よくわからないけど。


 彼女とはその後、何回か会っていきなり連絡がとれなくなってしまった。
 何年か後に色鮮やかなガソリンスタンドもつぶれた。

 死人と会った思い出はそれほど悪くない。
 むしろいい。