とららよしのブログ

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政治、社会、エネルギー、IT、歴史関係のメモ

広島県の尾道市に行きました。

 

尾道駅を出ると海(河川程度の幅ですね)を挟んで向島がすぐそこに見えます。駅前としては珍しい風景です。

修学旅行生や観光客もたくさんいました。

 

 

駅前からすぐ左手に商店街があります。

 

レトロな街並みが観光地として活かされています。

古い建物をリノベーションした店も多く見られます。

映画のセットのような建物も多くて楽しめます。

 

 

 

  尾道ラーメン発祥の店

尾道市役所近くの「尾道ラーメン 朱」でラーメンを食べました。

尾道ラーメンは地元人気店「朱華園」が発祥。

「朱」は「朱華園」の味を復刻し創業者の身内の方が継いだ店だそうです。

開店10分後に到着したのですが、行列ができていました。しかし回転が良いので10分程度で入れました。

(店を出るころには行列の人数はふえていたキョロキョロ

醤油ベースのスープで味も上品。抜群に美味しいです。OKよだれ

 

 

 

 

  尾道商業会議所記念館 国立銀行の成り立ちを知る

 

商店街に商業会議所記念館に入りました。

尾道が発展した歴史を知ることができます。

北前船(大阪~北海道を下関経由での海上交易)の物流拠点として豊かになった尾道は

「銀行浜」と言われるほど金融機関が林立したそうです。

広島県で初の銀行は尾道だったそうです。(当時は第六十六国立銀行。現在の広島銀行)

 

国立銀行といっても、伊藤博文や大隈重信が掲げた国の法のものとで設立した民間企業です。

数字は設立した順番です。にっこり

 

 

  尾道に寺社仏閣が多い理由

 

尾道は寺社仏閣が多く密集しています。

なぜか歴史的背景としての理由があります。

・尾道は昔から山岳信仰や修験道の修行の場である文化

・尾道が物流拠点として財をなした豪商による保護によるもの

だそうです。

 

また、尾道は災害もなく空襲を受けてないこともあり、区画整理に至っておらず、古い家屋や道が狭いところが多いようです。

これはこれで観光客には良い材料だと思います。(住民は大変かもですが)

 

 

散策はまだ続きます。

 

つづき

入船山記念館に向かいました。

 

  美術館通り

 

道中は小雨が降っていましたが、

美術館通りは、緩やかな坂道に彫刻が随所に設置されており、

昼下がりの小雨と静けさが情緒豊かで雰囲気が良かった。

 

入船山記念館のマップ

門を入ってすぐ左手に東郷平八郎の別宅が展示されていますが、時間がなく素通りしました。キョロキョロ

 

  入船山記念館の入口

 

入船山記念館も同じく小雨が似合います。

 

入場料を支払い、ダメ元でボランティアガイドさんに説明をお願いしました。

私一人のために申し訳ないと思いましたが、快く受けてくださいました。

途中で、東京八王子から来られた夫婦一組も一緒にガイド受けることに。

このご夫婦が歴史に詳しく、質問の内容が理に適っており私も勉強になりました。

 

 

南雲中将なら知ってる。

 

  旧呉鎮守府(ちんじゅふ)司令長官官舎

まず

鎮守府とは、「旧日本海軍が所管海軍区の警備・防御に関することを司り、所属部隊を監督した機関」です。

4か所の軍港に置かれました。呉は第二海軍区となります。

 

 

呉鎮守府開設に伴い,明治22(1889)年に建てられました。
呉鎮守府開庁式へ明治天皇が行幸されるときの行在所として使われることとなり、
初めてこの建物を使用したのは明治天皇でした。

当時は2階建てだったそうですが、1905年に大地震(芸予地震)により倒壊し平屋建てに再建されたそうです。

それ以降、呉鎮守府司令長官(海軍大将や中将)とその家族の住まいとなっていたそうです。

 

近くでみると、窓枠の木材の塗装が痛んでいました。ウインク

裏にある、和館部から入ります。

いわゆる明治から昭和の和風の造りです。

障子の高さは当時の日本人サイズ。

 

客室から食卓は繋がっていて、奥のドアの向こう側は和室です。

洋館部になると、天井やドアの高さを感じます。高さが欧米人サイズ。

雰囲気ありますね~。

NHKドラマ「坂の上の雲」でも撮影に使われたそうです。

 

壁紙は、「金唐紙」が用いられています。

金唐紙は初めて知りました。

和紙でできており、日本の伝統技術だそうで、職人さんが一人しかおられません。

ガイドさんから、いろいろ説明頂きました。


金唐紙についての詳細は以下URLから参照ください。

勉強になるな~ニコニコ

金唐紙とは 金唐紙研究所 | 【公式】金唐紙研究所

鹿鳴館を彩った「金唐紙」とは? その魅力を彬子女王殿下と共に考える | 和樂web 美の国ニッポンをもっと知る!

 

 

数々の由緒ある施設に用いられています。

 

一緒に説明を伺ったご夫婦と少し話をし、ここを最後に呉を後にして福岡に帰りました。

 

後日また呉に来ることになります。

 

 

 

呉湾艦船めぐりに参加しました。

呉湾艦船めぐり|有限会社バンカー・サプライ

 

呉湾にはたくさんの艦艇が停泊しており、海側から間近でみることができる人気ツアーです。

 

参加日はあいにくの雨でした。

クルーザの2階がオープンデッキなのですが安全上の理由から傘をさすことができないとのことで、

売店で雨ガッパ(150円)を購入しました。

 

護衛艦「かが」です。

現在、定期点検中と思われます。点検にあわせ、最新ステルス戦闘機F-35Bが離着陸できるよう改造中。

防衛予算は岸田内閣で増額して確保していたはず。

 

間近でみると、凄い迫力ですびっくりびっくりマーク。写真ではどうしても伝わりません。煽り

 

元自衛官の方のガイドもわかりやすく、

また、艦艇で作業中の自衛隊の方々が手を振ってくれるので子どもも喜びます。

それにより親も喜ぶという相乗効果。

良い観光資源ですね。

 

護衛艦「むらさめ」

 

 

湾内の港には沢山の艦艇が停泊しており、これも圧巻です。

我々福岡県民が普段目にしない非日常的な風景です。指差し

 

輸送艦「おおすみ」

全長178mとのこと。

近くによると大きい。動画でみると少しは伝わるかな。

 

 

潜水艦(そうりゅう型)が複数隻停泊しています。

日本の潜水艦は三菱重工と川崎重工が製造しています。

 

作業中の自衛隊の方々が手を振ってくださっています。皆大喜び。

 

かつての戦艦大和が造船されていたデッキです。

 

 

最後に、添乗員(元自衛隊?)さんから「これらは日本を守るためのものです」という主旨を述べられており、

自衛隊への理解を求められていました。

全くもって同意します。ニコニコグッ

 

時間は40分ですが、満足しました。

また乗りたいですね。

 

次は、入船山記念館に向かいます。

 

前回からの続き。

 

3Fの潜水艦の展示室へ行きました。

潜水艦の模型やパネルでの説明。元自衛官?さんの説明もしてもらえます。

 

どこに出没するかわかならい潜水艦の存在は、他国からの脅威に対する抑止力になっています。

隠密行動をとるためにも、潜水艦の技術力は欠かせないものであり、

日本の潜水艦は世界でもトップクラスの技術力の結集でできています。

これも日本人が安全に生活できている防衛力のひとつです。

 

  スクリュー

 

スクリューは音を発生するため、音を抑制する技術革新が進められています。

スクリューの形状や角度、羽の枚数から音の特徴が判明してしまうため、軍事機密だそうです。

 

潜水艦の進水式でのスクリュー画像は無かったり、マスクされたりしています。

 

  動力源

 

アメリカやロシアなどは多くの原子力潜水艦が採用されていますが、

日本ではディーゼルエンジン+リチウムイオン電池方式です。

いずれも一長一短があり、目的が異なります。

簡単にいうと、原子力潜水艦は敵国そのものへ攻撃を辞さない脅威を与える目的。

後者は日本への攻撃コストが高いと思わせる目的。

 

 

あと、写真右の潜水艦の中にも入れます。

 

  潜水艦について勉強してみました

 

潜水艦についての解説動画です。豊島晋作さんの説明はわかりやすい。

 

潜水艦を取り巻く世界情勢。原子力潜水艦の導入の現実性の解説。

 

次は

呉湾艦船めぐりです。

 

 

広島県の呉市にいきました。

 

呉市といえば海軍。海軍といえば海軍カレーカレー

 

腹ごしらえに

Curry | 呉ハイカラ食堂

で「鉄のくじらカレー」を食べました。

カレールーが少し辛口で抜群に美味しい。OKよだれ
鯨は40年前の小学校の給食を思い出しました。口笛

美味しかったので冷凍カレーを購入しようと思ったけど、夕方まで歩き回るつもりなので帰りに買おうと思う。
(しかし、夕方に立ち寄ったらすでに閉店でした。来月また来ます)

 

4月中旬だったので大和ミュージアムはまだオープン前でした。

 
すぐ近くに「てつのくじら館」があります。
潜水艦の存在感が凄い。!!

 

 

  てつのくじら館(機雷除去の展示)

てつのくじら館に入りました。無料です。

2Fには、太平洋戦争後にも未だ残っている驚き海中の機雷の除去作業について展示されています。

アメリカ軍の航空機から通航量の多い海域めがけて機雷が投下されたそうです。

目的は戦艦の海路を閉ざし海軍力を低下させるためです。

瀬戸内海には約15000程度の機雷があったそうです。

 

海上自衛隊により機雷除去作業が行われました。

危険な作業ということもあり79名の殉職者がでています。

殉職者は香川県の金毘羅宮に祀られているそうです。

 

今はだいぶ除去されており渡航上の危険性はほぼ無いそうです。

 

元実物の機雷です。こんな鉄の固まりが浮かぶのが不思議。

 
 

機雷を除去するための掃海船ははじま船の甲板の後尾部を模した展示がされています。

 

 

  海外での活躍

1991年の湾岸戦争の際にも、ペルシャ湾沖にも機雷がまかれ、日本の掃海船が海外で活躍したそうです。

当時は国内世論としては海外派遣に反対意見が多く厳しいものがありつつ、作業員の相当な精神的負担のなか、見事に除去作業は効果を出しました。ニコニコえーん
 
2026年現在もイラン戦争でホルムズ海峡は問題を抱えていますね。
 
ペルシャ湾で機雷を爆破処分した際の装置。爆破で変形しています。

 
 

次回は3Fの潜水艦の展示室へ向かいます。

 

 

 

  水堀

佐賀城は、江戸時代を通じて「沈み城」と称されるほど、強固な水堀と土塁に守られた要塞でした。

 

現在は、北東部の堀は埋め立てられています。

堀の内側は、本丸のほかに、二の丸、三の丸があったそうです。

 

 

  鍋島直正の相関図

直正の祖父の治重から相関関係を辿ると、政略結婚のオンパレード。

親族に公卿(久世、中院)、徳川家、毛利家、島津家、伊達家、松平家、細川家、池田家。

凄すぎますね。びっくり

その反面、佐賀藩の財産は潤沢ではなかったこともあるとは思いますが、直正は質実剛健だったそうで、

本丸も造りに派手さはなく質素だったそうです。

 

ちなみに、名古屋城の本丸は金張りが多く豪華でした。

2019年に撮影した名古屋城の天守閣と本丸の写真です。金屏風や金のふすまだらけでした。

 

 

  葉隠

佐賀といえば、山本常朝が晩年に発行した「葉隠」

「武士道といふは、死ぬ事と見付けたり」は有名です。ニヤリ

死ぬ覚悟があれば判断を迷わないという心得だと私はとらえています。

 

直正は、葉隠を用いて佐賀藩士に向けて、藩主への忠誠心と、国難に立ち向かう決意をもつよう説いたそうです。

とはいえ、直正は葉隠に盲信したわけではなく、西洋の武器を使うなど冷静に考えることができる現実主義者でした。

 

 

 

いかん。びっくり

パネル写真だらけで、とても見栄えの悪いブログになってしまいました。てへぺろ

 

 

 

映像の世紀のBGMでおなじみの加古隆さんのピアノソロコンサートに行ってきました。

 

加古隆 ピアノソロ・コンサート2026 来年4月よりツアー決定! | 加古隆 オフィシャルサイト

 

 

  映像の世紀

 

映像の世紀は、1995年にNHKが製作したドキュメンタリー番組です。

当時、偶然番組をみたとき、オープニング映像の迫力。それとともに流れる、物悲しい音楽に心ひかれたことを今も覚えています。

 

 

この番組を機に歴史に興味がわき、加古隆さんの音楽を聴き続けています。ニコニコ飛び出すハート

 

 

  コンサート会場

福岡公演会場の福岡銀行のFFGホール前には、結構な大人数の方々が並んでました。

客層は高齢の上品なご夫婦が多いようです。

 

会場内は撮影禁止なので、写真はありません。


登場されたとき拍手喝采。落ち着いたトーンで曲の説明をされます。

ご本人は1947年生まれで80歳近い。

でも背筋が伸びていて歩き方が若々しい。

 

演奏する曲すべてが、詩を朗読されているような心地良い響きです。

映像の世紀からも5曲+アンコール2曲が選曲されました。 

 

 

  パリは燃えているか

「パリは燃えているか」は素晴らしく、かつ悲しい音楽です。

ヒトラーが演説で叫び、聴衆は熱狂し、やがて世界大戦へ突き進んでしまう悲しい情景が想い浮かびます。

 

パンプレットの加古隆さんのコメントを紹介します。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

「パリは燃えているか」は壮大な歴史のうねりと共に、文明を創りあげる一方で、おろかな戦争を繰り返す人間とを謳(うた)い、

曲名は第二次世界大戦時のナチス・ドイツがパリを破壊しようとした作戦に由来しています。

しかし、パリの運命は消されることはなく、現在私たちの前に残されています。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

 

JR佐賀駅まえには佐賀藩主の名君である鍋島直正像があります。

佐賀駅周辺は整備されましたね。

 

 

 

佐賀城近くの駐車場は無料でした。

ここにも、鍋島直正像があります。

 

 

鯱の門です。1836年に再建された当時のままだそうです。

 

天守台

佐賀城はもとは天守閣があったそうですが、1726年に焼失したそうです。

天守閣があれば、観光名所としては格が上がったのでしょうが、

佐賀の自治体は本丸の復元に力を入れています。

 

 

本丸に入りました。施設名は佐賀城本丸歴史館です。無料です。

佐賀県立 佐賀城本丸歴史館

 

またもやボランティアガイドさんに説明をお願いしました。

 

入口近くに大広間があり、

佐賀の小学校の児童が作ったお雛さまが並べられていました。

綺麗ですね。OK

子どもは自分が作ったお雛様が飾られてうれしいでしょうね。にっこり

 

茣蓙の間に直正のカラーパネルが置いてあります。

写真でみると、立体感がありますね。

 

・・・常設展示物のエリアへつづきます。

 

 

 

 

 

  佐嘉神社

 

佐嘉神社にお参りに。

御利益は、文武両道、大願成就、家内安全です。

 

佐嘉神社の御祭神は、佐賀の名君である鍋島直正と鍋島直大です。ウインク

佐賀は元々「佐嘉」が正式な漢字でした。

「嘉」は「良い」「めでたい」など縁起の良い字です。

 

明治の廃藩置県に伴い、明治政府は「佐賀」に変更しました。

書きやすい表記にしたかったのでしょう。

 

佐嘉神社は、昭和8年に建立されているものの、鍋島直正公への敬意も込めて

「佐嘉」を使用しています。

 

境内の入口に飾られている「佐賀の七賢人」のおおきなオブジェ。

 

境内です。街中ということもあり、人手は多いです。

 

 

  佐賀藩の技術力

 

神社にカノン砲

 

神社にアームストロング砲

 

佐賀藩は日本で唯一大砲を作る技術がありました。ウインク

幕末当時にイギリスで開発された「アームストロング砲」は飛距離・命中精度は世界最高峰でした。

鍋島直正公は、輸入に頼らず国産化に力を注ぎました。

 

佐賀藩の技術力をもって、鉄を不純物なく溶かす「反射炉」を実用化させ、みごと大砲の製造の国産化に成功しました。

幕府も満足に作れなかった最新兵器を、地方である佐賀藩が作ったことは幕府にとっては脅威だったようです。アセアセ

やがて、戊辰戦争でも使用され、幕府は追い込まれることになります。

 

佐賀城本丸歴史館に展示されていた上野戦争(戊辰戦争のひとつ)の絵

 

つぎは佐賀城へ向かいます。

 

 

 

 

 

 

 

  大隈重信記念館は佐賀城の近く

 

所用で佐賀市に行きました。

時間があったので、「大隈重信記念館」に立ち寄りました。

 

場所は佐賀城の近くです。

 

 

入場すると、銅像や碑文が目に着きます。

佐賀県が排出した総理大臣は大隈重信のみ。

当時は貴族院ですね。貴族院は今の参議院にあたります。

 

 

  生家

 

敷地内には生家があります。

佐賀城近くの武家屋敷一帯にあります。

当時の佐賀藩は、長崎警備の役割を担っており、

大隈家は佐賀藩の砲撃部隊(当時のエリート部隊)で良い家柄だったそうです。ニコニコ

 

二階の勉強部屋

押し入れスペースに階段を作ったとのことで、傾きが急勾配でほぼハシゴ状態です。

ボランティアガイドさんに説明してもらいました。

当時は幕府の規定ではニ階建ては禁止だったそうですが、佐賀藩主の鍋島直正を筆頭に

佐賀藩は教育に力をいれており、勉強部屋として許容されたようです。ウインク

 

幼いころの重信は、ここで日々勉強に励んだそうです。

壁から梁が突き出ていますが、重信が勉強中にうたた寝したとき頭を打つようにと意図的な造りとされたそうです。驚き

 

 

  館内

記念館に入りました。

館内は大隈重信の生い立ちの説明パネルや、ゆかりの品が展示されています。

爆弾テロで右足を失ったあと使用していた義足もあります。少し怖い。

 

SNSで、たまに目にするこの集合写真。幕末の有志の集まりとしてアップされている方がいますが、違います。

事実は佐賀藩が作った宣教・英学塾「致遠館(ちえんかん)」の重信の恩師フルベッキの送別に集まった塾生らの集合写真です。

 

 

  重信の恩師 フルベッキの功績

重信は致遠館に入塾し、当時のフルベッキ校長から強く影響を受けます。

・重信は副島種臣らとともに、フルベッキのもとで英語や憲法、キリスト教、西洋事情を学びます。

・また、「アメリカ独立宣言」や「憲法」について学び、民主主義や自由主義の概念に強い衝撃を受けました。

 これが、後の重信の政治思想(立憲政治)の原点となります。

・重信が政府中枢で活躍する時期も、フルベッキの助言を受けていました。

・フルベッキは「日本の将来のためには、指導者が欧米を直接見るべきだ」と岩倉使節団の派遣を提案しました。

 これを重信が強く推進し実現しました。

 

岩倉使節団の欧米訪問後には、日本は西洋文化を多く取り入れることになります。

 

 

  早稲田大学の創立者です

大隈重信は早稲田大学の創立者でもあります。

記念館の2階には早稲田大学に係る展示物が半分を占めます。

早稲田大卒業の著名人のメッセージも紹介されていました。

 

大隈重信が唱えた言葉です。

 

「諸君は必ず失敗する。ずいぶん失敗する」「成功より失敗が多い」の言葉には

救われる気がしました。飛び出すハート

これこそ、大隈重信記念館(=大隈重信)が伝えたいことだったのではないかと

勝手に解釈しました。

 

また、勉強になりました。照れ

 

・・・次は佐嘉神社に向かいます。