岡山県岡山市にある「犬養木堂記念館」に行きました。
5・15事件で海軍将校に暗殺された「犬養毅」総理大臣。
「話せばわかる」で有名ですね。
犬養毅は、なぜ暗殺される至ったのか?
私は理由は漠然として知りませんでした。
もともとの犬養毅の印象は、
「何か悪いことして暗殺されたのだろう。殺される前に「話せばわかる」と助けを懇願した人」でした。
結果、その認識は違うということを認識するに至ります。
5・15事件の犬養毅を顕彰する 犬養木堂記念館
<記念館の駐車場>
「話せばわかる」が結構目立つ看板です。


<生家まえ>
大きな木は犬養が総理大臣になった記念に植えた楠の木。
樹齢約100年近くですね。

<生家>
綺麗で広い間取りでした。しかし昔の家は鴨居が低いですね。



<記念館>
生家の隣にある記念館
中の常設展(貴重な資料もある)は撮影禁止でした。

家系図。女優の安藤和津さんは、犬養毅のお孫さんです。

ちなみに
犬養家は、近くの吉備津神社の柱「吉備津彦命(キビツヒコノミコト)」の家臣「犬養健命(イヌカイタケルノミコタ)」の子孫にあたり、家屋も立派です。出自が良いですね。
・「吉備津彦命」は桃太郎のモデルとされており、その家臣「犬」は「犬養」の文字から動物に擬人化されたもの。
・きび団子は「吉備団子」です。
犬養毅が政治家になるまで。
犬養毅は岡山県岡山市出身。号(別名みたいなもの)は犬養木堂。
幼少のころ勉学に励み、漢字の読み書きが得意となり、若くして新聞記者となりました。
西南戦争の従軍記者として書いた記事も人気を博し、35歳で政治家となりました。
伊藤博文内閣の時代背景
明治維新後にできた、伊藤博文内閣の体制としては、「軍」は天皇直属の組織。
内閣からの軍への影響力としては「予算編成」程度。
伊藤内閣のころの時代背景
明治維新前の時代は、ペリー来航による日米不可侵条約締結など、
民衆から信頼を失った徳川幕府には、もはや国体を統治する力がなく、
危機感を感じた薩長土肥らの藩が、倒幕を実現。
ガタガタな日本を統治するためには天皇に権力を預けることしか選択肢はなかった。
伊藤博文は軍を天皇直属の組織とした。
懸念がなかった訳ではないが、天皇の存在が軍暴走の抑止力として働くと考えた。
軍の暴走
実際は、天皇は象徴にすぎず、直接政治に進言することもない。
軍は逆にそれを利用し、天皇の名を元に軍拡を進めた。
それに乗じて三井、三菱などの財閥は戦争による軍事産業の特需に沸く。(地方の景気は悪い)、軍への賄賂なども常態化したが、大した刑罰もない。
組織的にも内閣も軍を抑制できない。軍拡は進み続けることになる。
そこに犬養毅は異を唱え続けていた。
そして事件は起きた
やがて犬養毅内閣が発足し、政府は肥大化した軍予算を削減しようとすると、「犬養毅は売国奴である」という認識が海軍、陸軍に蔓延し、(軍関係者やその家族らは生活が脅かされるので致し方ないが。。)
海軍将校から暗殺されたという構図。
誤解を解こうと、自分自身を狙撃し退散した将校を呼び戻そうとした犬養。
総理大臣になった犬養自身は命を狙われる存在であることは理解と覚悟の上だったと感じる。
総理大臣はそのような覚悟でないと務まらないものと信じています。
その後、大東亜戦争へとつながる
犬養毅が不在となり、益々軍拡が進む。
なおかつ、日本は負け知らずだったことから、マスコミや世論も戦争を賛美する空気。
やがて実質、軍が日本政治のトップに君臨。
その後、二・二六事件にも繋がり、
もう誰も太平洋戦争への道を止めることができない組織体制。

これを止めることができるのは「日本が敗戦し痛い目にあうしかない」歴史的事実。


敗戦の反省が今に繋がる
やがて太平洋戦争となり、日本は敗戦。
GHQからは、米国に歯向かわれないよう、戦争を起こしにくい組織に変更される。
・財閥解体。(軍拡を防ぐ目的)
→しかし民生需要のために企業グループとして存在する。
・軍隊の廃止。
→やがて自衛隊が発足する。
・陸海空の自衛隊は内閣府で一元管理。
人間は歴史に学びつつ、戦争に至らない意識と行動をとる必要がありますね。