子供時代編


父親は明治生まれ。自分が子供の頃に父親から受け継い

だ家庭教育を行う。

つまり、江戸時代の家庭教育なのだ。




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幼稚園の頃だ、毎日のようにある時間になると正座して父

親の前に座り、論語を読む。


声を出して読むのだが、すべて漢文なので当然読めない

感じを絵のように覚えて、父親が読むあとを続く。


苦行だ。


一通り読むと、父親の解釈を聞く。

その解釈も復唱する。

何度となくやって、どうも覚えたようだ。そう父親が思うと

終わりになる。


終わると、畳に五円でてくる。


待ちに待った五円だ。その五円がほしいばかりに苦行に

耐えてきたのだ。


五円ももらった瞬間に、今日の論語は忘れてしまう。


父親から教わった論語を近所の人に言うと関心される

それで、得意になっていた。


子供の頃の家族教育はとても大切だが、私の場合に

は早すぎたような気がする。


今となってはほとんど覚えていない。しかし、漢字がた

くさん書いてあるお経や中国の古典などをみると不思

議なもので心が落ちつく。


我が家の家風には、江戸時代が息づいていて、その

影響が一生続いているようだ。





修行時代編


修行時代にはさまざまな経験をした。もちろん今も機

があれば経験を増やしていきたい。


私たちは、なかなか人の孤独死を身近に感じることは

い。


他人の死を見ることのない時代に生きているのだ。


今のどこかの部屋で孤独のまま死んでいる人がいる。

この瞬間にもいるのだ。


事故死したご遺体の処理をしていた時、あるアパート

一室で孤独死をしていた老女にであった。


その老女は死亡して腐敗がすすみ、周囲に異臭がし

で発見された。


警察の指示で部屋に入ると、そこには真っ赤に膨らん

だ異様な死体があった。


目は大きく飛び出て、舌も飛び出していた。体は真っ

で、全体が赤く膨れ上がっていた。


お気の毒なご遺体だが、見た瞬間、赤鬼に見えた。


戦国時代には、戦場で、死んだ武将が赤鬼になって

れていたことだろう。


寺院の仁王門には、赤鬼がいたりする。人間の死

後の姿を映し出しているのだろう。形相が同じだ。


昔の人々は人の死を恐れ、仏の世界を信仰してい

ったのではないだろうか。


太平洋戦争でも多くの日本軍兵士がジャングル

飢餓や弾丸に撃たれ死んだ。

彼らも一度は赤鬼になった。



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人は死ぬと、一度は必ず赤鬼になるのだ。


赤鬼になった遺体は、恐ろしい形相で、生きている

人間に向かって、


「どうだ、どのように生きてきたか?」「そんな生き方


で本当にいいのか」「自分を粗末にするな」「どうでも


いいような生き方をしていると、死の世界に引きずり


こむぞ」そう問いかけているように思える。

















修行時代編


この仕事をやりはじめた時、さまざまなことをして自分

自身を見つめるとともに、人とはなにか、人生とは何

か、などを考えようとしていた。


さまざな経験の中で、事故死を扱う経験は今もいろん

な教訓を与えてくれる。


ある日、電車での死亡事故を担当した。電車に落ちた

男性の遺体をかたずけたり、検視の終わったご遺体

をご遺族にわたす仕事だ。


検視の終わったご遺体をゆっくりと見た時に驚いた。

そのご遺体の顔は、自分にそっくりだったのだ。


まるで自分が死んで、遺体として横たわっているか

のように思えた。全身に衝撃がはしった。


その時、自分も一度死んだかのようにも感じた。

世の中には自分にそっくりな人が三人いるとい

われているが、その一人に間違いない。


その時から、自分とは誰か、生きているとはどう

いうことかなど、今まで以上に真剣に考えるよう

になった。


そこで、とにかく一期一会だ。今という時は二度と

ない、その時々を大切に生きよう。そう心の中で

誓った。



日本心理相談研究所の個人ブログ-蓮の花



その時の経験は今でも思い出す。


朝、目が覚めると、「今日を最高の人生にしよう」

そういう気分になるのだ。(^O^)/