1986年の台風第14号は台湾に上陸して、ひどい災害になったそうです。
実家の窓ガラスが破れて、激しい風雨が家の中に入ってきて、両親が大変慌てていましたが、1歳児だったお姉ちゃんは、泣いたり騒いだりしないで、1人でベッドの上に座っていました。
「二人ともに、子供の頃から大人しく育てやすかったので、本当に助かった。」って、大人になっても、両親は育児について話すと、絶対にそう褒めてくれます。
でも、実は、お父さんにとって理想的な子供ではありませんでした。
お父さんは明るくて「パパ!それがほしい!」「あれが食べたい!」「パパ!遊ぼう!」という元気な子どもが欲しかったですが、姉妹ともにそうではありませんでした。
好きな音楽を聞きながら本を読んだり、絵を描いたりして、目が疲れたらそのまま寝てしまうのは、私たちの幸せでした。
家族旅行の時でも、車を乗って音楽を聞きながら、外の景色を見たりするのが好き。
もちろん、目が疲れたらそのまま寝てしまいますね。
それだけではなく、前の記事も言ったのですが、私は子供の頃から目つきが悪いと言われていますが、お姉ちゃんもそうですから、リラックスしている時の顔が怖い。
だから、「一体、何か不満があるの?!もうやめる!」ってお父さんがキレて家族旅行を中止するのがたまにはあります。
「不満がないよ。ただ、笑っていないだけ。」
「うそ。子供が笑うよ!笑わないのがおかしい!不満があるから笑わない!」
特にトラウマにならなかったのですね。
ただ、お姉ちゃんの娘がお父さんの好みに合う子供だから、お父さんが「えっ?休んでよ。疲れたよ。」って文句を言う時には、「あらららららららららら!明るい子供が大好きじゃん?頑張って!」ってニヤッと笑うだけ。
そして、一番忘れられないのは、16歳の誕生日の直前。
「誕生日にほしいものがなに?」って聞かれてから、「ないよ。」って返答したら、なんと!お父さんに怒られました。
お父さんは「お誕生日を家族でお祝いするのが素晴らしいことなのに、ない!って言うのは何なんだよ?!ありえない!そういう性格で周りの人に不幸させるよ!」ってめっちゃキレました。
私は黙って部屋に戻ってから、
大号泣。
今振り返ると、お父さんはあの頃に、仕事が斜陽産業になったので、「家族のために台湾に残るけど、いつか失業する」と「お金のために中国へ行く」という難しい選択肢を迫られたようです。
だから、ストレスが限界に達したかもしれません。
結局、お父さんは家族と一緒にいたいから台湾に残って、仕事量もだんだん減っていって、私の大学時代に本格的に失業しました。
幸いに、私は日本語のおかげで、学費の安い国立大学に入って、大学二年生からフリーランスの仕事を始めたので、お父さんは失業しても、まったく問題にならなかったのです。
お父さんも主夫系の優しいお父さんになりましたね。
でも、おそらく優しくなった理由は、「私だけお金を稼いでいない」からだと思うので、ちょっと寂しいです。
お父さんが病気になってから、たまには「お父さんは幸せかな?」って考えます。
でも、聞きませんね。
それはお父さん自身の人生の課題ですから。