連日にSNSで日本の方が台湾人の親子関係について不思議を感じる記事などを拝見して、実は台湾人としてはもちろん日本人のみなさんが挙げた例を見てもおかしい所がわかりませんが、そこから文化の違いを感じたので、ちょっと台湾人の親子関係を紹介しようと思いますね。
実はずっと考えていましたが、親子関係だけではなく、日本の方が台湾人の価値観などに不思議を感じる理由の一つは、台湾をしっかり都市化した先進国として見ているからだと思います。
そういう目線で台湾人を見てくれるのは、嬉しいですが、実は「農村社会出身の人たち」という目線で台湾人と付き合ったほうが、理解しやすいかもしれません。
実際の親子関係はそれぞれ違うし、台湾人の間にもお互いに理解不能の状況がしばしばだし、ここでは社会的な雰囲気を紹介しますね。
まずは、ここでの用語を定義します。
私の世代 → 今の20代後半~40代
両親の世代 → 今の50代~70代前半
祖父母の世代 → 今の70代後半~
次の世代 → ~20代前半
まずは、両親と祖父母の世代の親子関係ですね。
その時代では、基本的には【俗女養成記】学校へ行く自由があまりなかった台湾人お母さんたちと台湾の死後世界の「重男軽女」事情のようで、子供の「機能性」を重視していました。
息子は、我が家の継承者(長男)、我が家の労働力(全員)。
娘は、結婚する前に我が家の労働者、長男を補佐する力。結婚してから他人の労働者になるので、お金をかけて教育を受けさせるのはもったいないです。
嫁は、結婚してから我が家の労働者になり、我が子のために存在している人。
つまり、子供は両親の資産でした。
祖父母も両親も、人の子供だったので、若い頃から「資産」として支配されてきたので、もちろん、自分の子供を「資産」として支配しようとするのは当たり前です。
台湾では「媳婦熬成婆(嫁として長年間苦しみを我慢して、ようやく大姑になって、「資産」から「資産を支配する人」に)」という言葉でいろいろ我慢してようやく成功したことを言うのも、そういう社会だったからですね。
残酷だと思いますが、時代というのはそういうものですね。
50年後の人から見ては、今の私たちもたくさん理不尽なことをしていると見えるかもしれませんね。
もちろん、実際にはその価値観を持っていても、わが娘の幸せのためにへそくりをためて教育したりする親もいました。(その時代の収入を最高レベルの支配者に渡すのはあるあるですから、もちろん父親としても子供のために自由にお金を使う権利を持っていませんでした)
そして、さっきは「媳婦熬成婆」という言葉を言いましたよね。
本当は、自分がそんなに我慢して、ようやく支配者になって、もちろんその「支配権」を存分に使いたいのは、当たり前だと思いますが、両親の世代では「そういう苦しみや悲しみはここまでだ」と思って、上からのストレスを我慢しながら、子供を自由にさせる方が多かったです。
だから、次の記事では「両親の世代」と「私の世代」の親子関係を語りますね。
to be continued......