天才高校生になる夢がありましたで、高校時代の自由さを思い出しました。
私の高校時代には商業専攻でしたが、実は花嫁修業の学科ばかりで有名な花嫁高校でした。
テレビから見た花嫁学校はしっかり律儀を守るイメージが強いですが、うちの学校は自由な天然派。
たとえば、不定期な頭髪服装検査。
女性教師たちもみんなオシャレが好きな人でしたから、日頃に「オシャレ好きなのはあたりまえ」、「きれいなものが好きなのはあたりまえ」という態度をとっていて、清潔感があれば、メイクやアクセサリを見ないふりをしてくれます。
そして、不定期な頭髪服装検査の日に、朝早く教室にきて「今日は検査があるので、イヤリングなどを外しておいて、私物の没収が嫌だけど、仕事だから厳しく検査するから、協力して。」って事前通告をしてくれました。
だから、頭髪服装検査の時にはいつも平和。
さらに、その時代の高校には「教官」という軍人たちが駐在していました。
普通の教官は厳しくて生徒たちとはよく衝突するイメージが強いですが、その学校の教官たちは親切な叔父さんや叔母さんみたいでした。
生徒会の幹部を務めていた時期には、頭髪服装検査を担当する教官とはこんな会話がありました。
「教官、白い靴下がダサいですから、黒いのはだめですか?」
「黒いのもいいけど、派手すぎな靴下なら困る。」
「でも、白い靴下以外は禁止って校則がありますよ?」
「白い靴下以外は禁止って校則があっても、みんな黒い靴下を履いているよね?それは見ないふりしてもいいけど、もし黒白ともOKになったら、絶対に派手な靴下を履く人がいるから、とにかく黒いのも禁止した。ほら、今みんな黒い靴下を履くだけで嬉しいだろう?」
「なるほど!」
教官の見方は正しいかどうかわかりませんが、でも、16歳の私にとって、権威のある者が自分の見方を説明してくれるだけで嬉しかったです。
ちなみに、台湾人の学校では、冬なら男女問わず黒いズボンと黒い革靴ですから、白い靴下より黒い靴下のほうが似合いますね。
そして、もっとも不思議なのは、生徒の個性を生かす行動。
まず、私ですね。
台北などの都会がわかりませんが、その時代の台湾では、日本語学科のある学校以外では、日本語が話せる高校生が珍しかったです。
だから、すぐに教務処に狙われました。
「日本語のイベントがあるよ。Sineadさん、参加して!」とか、ただ一人の生徒のために、日本語イベントの情報を収集してくれたり、日本語のわかる先生を紹介してくれたりしていました。
「日本文化研究部を設立するので、Sineadさんは部長を担当して。」
「今年から日本語の授業を始まるよ。Sineadさんは協力して。」
そして、私だけではありませんでした。
後輩には武術コンテストで優勝をとった女子が二人いました。
結局、その年から学校のイベントのオープニングには、絶対に武術ショーが登場します。
さらに、歌仔戲劇団のメンバーである先輩と先生がいました。
歌仔戲→最高級台湾語聞き取り試験、参戦!、重陽節 神様に捧げる歌仔戲と布袋戲
学校は歌仔戲劇団と連絡して、10人以上の生徒を集めて、本格的な訓練をしてから、本格的な歌仔戲公演を行いました。
町のお爺さんとお婆さんたちが学校にきて、大勢の観客が集まった盛大な公演でした。
台湾の学校では、「出公差(ツー・ゴン・ツァイ)」という言葉があります。
「出差(ツー・ツァイ)」は社会人の「出張」ですが、「出公差」なら、公演のリハーサルなどで授業を参加しないことで、つまり、生徒たちの「出張」ですね。
うちの学校では、生徒たちの出張は頻繁でした。
つまり、勉強が得意な人は普通に勉強すればいいです。
ほかの才能を持っている人なら、学校はマネージャーのようにいろいろな相応しいイベントを手配してくれます。
そして不思議なのは、いい大学への進学率が年々上がっていました。(今の状況はわかりませんが.......)
もちろん、学校は生徒の才能を利用して名望を集める意図を持っていたと思いますが、生徒たちもそのおかげで自信が増えて、個性を生かすことができましたから、ウィンウィンの関係だと思います。
だから、天才高校生にはなれませんでしたが、その高校を選んでよかったっていつも思っていますね。
注1:台湾では一般高校→××大学(台湾大学など)、専門高校→××科技大学なので、いい大学と言っても、エリート感があまりありませんね。
注2:その時代の「部活」とは名ばかりで、進学を優先して、部活の時間に数学の授業をしたりする学校が多くて、普通は多彩な部活生活があまり楽しめませんでしたね。
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