週2~3回訪問する義父母で苦しかった思い出では状況を変えたきっかけを忘れたと言いましたが、さっき思い出しました.........
結婚しても我が家の大事な娘だから、いつでも大歓迎って両親に言われて、最初も確かにそうでしたが、ある日、両親に捨てられました。
「今週は帰省しようと思うけど.........」
「ごめん。休みたいから、やめて。」
「週末に叔母ちゃんたちと南部へ遊びに来る?じゃあ、会いに行く!」
「やめて。同世代だけの旅行が好きだから、来ないで。」
心が壊れそうになった時、「週末、台南に来る?一緒に食事しよう......」って本当に助けてもらいたい時でも、「義実家のほうは用事があるよね?しっかりそちらをフォローしなさい。
」って言われました。
「旦那に聞いたよ。その日は大丈夫って。」
「だめ。」
電話を切ってから、捨てられたと思って一人で号泣しました。
今振り返ると、たぶん台南の暮らしに慣れなくて、帰省して実家から離れる時には、いつも泣いた姿をみた両親は、このままでは幸せな結婚になれないと心配して、その恋しさを切るためでしょう?
酷かったですが、効果はありました。
その前に、実家の物差しで義家族を測っていました。
「実の両親も〇〇がしないのに、ただの義家族はよくそんなことができるの?」って思う時がよくありましたが、それ以来はその物差しを捨てました。
自分で居場所を作るために、しっかり義家族を見て、その性格、その価値観、その需要をしっかり見極めて、しっかり頑張りました。
自分のマイハウスを探しながら、義姉にも協力しました。
義姉が好きなアパートを見つかりましたが、その部屋はいくつかの条件が似合わなかったです。でも、その新築アパートはもう他の物件がないので、諦めるしかありませんでした。
若くて経験がなさそうなお客だったら、売りにくい物件を最初に出すセールスがいますから、私はまた時間を作って一人で行きました。
会ったのはセールスではなく、その日に偶然に現場にいた社長の奥様でした。
相談してみたら、奥様は別の物件を案内してくれました。
値段も条件も完璧!
結局、その物件は義姉の家になりました。
義姉を協力したと言っても、実は新居が見つかる前に同居する選択肢をなくすためでした。
その後も、義父母に「女性の一人暮らしは危ないから、念のため、集会はそこにしよう!そうすれば、一人暮らしには見えなくて、安心でしょ?」って主張しましたから、義父母は主に義姉のところへ行きました。
場所は我が家ではないので、「用事があるので、今日はパスする!」って気軽に言えることになりました。
週2~3回の付き合いも、だんだん週1回になって、今は2週間に1回になりました。
私はいい物件を見つかった報酬として、義姉を利用しました。
でも、深夜に「変な男性がドアベルを鳴らしている!」って義姉からの連絡をもらったことがあります。
「わかった。すぐに行くから、気をつけて!」って旦那と部屋着を着たまま、駆けつけていきました。
結局、その変な男性は逃げたので、意図なんかわかりませんが、やっぱり義姉の家で集会するのは正しいと思いますね。
今、義姉は恋人ができて、そこで集会するのは不便になりましたが、この間の努力のおかげで、義父母の訪問も大幅に減少しました。
そして、実家のことですが、すっかり台南の暮らしに慣れてから、両親の態度も戻りましたが、逆にこちらが拒否になりました。
なぜなら、
両親はしつこく妊娠について聞きますから。
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