今日は夫婦間のイライラさらし(#^ω^)絶賛激怒中よの義家族事件で、久しぶりに昔の悪夢を思い出しました。
もちろん、結婚1年目は義家族の大雑把で幸せが感じられなかったことを忘れたことがありませんが、同じく義家族の大雑把のおかげで視野を広げて、違う楽しみを体験したので、その時期を昔々の思い出として薄々覚えている感じです。
私は結婚式の半年前に、結婚後の新居を決めました。
いろいろな理由で、私自身の判断によって、義姉妹との同居を提案しました。
その一年後、我が夫婦と義姉は別々にマイハウスを買って、義妹も結婚して出たから、人生の次のステップに進む前の一時の同居だけでした。
義姉妹とは文化や習慣の違いで不快を感じる時もあるあるでしたが、その1年間はいろいろあって、困難を乗り越える仲間でもありました。
後悔はない時期なはずでしたが、調子に乗りすぎた義父母がいました。
台南での暮らしは結婚式の前夜からでしたが、旦那と義姉妹がその家で同居するのは半年間にわたって、義父母の訪問は2~3回でしたが、結婚してから、週2~3回になりました。
息子が結婚したから嬉しすぎて、みんなで団欒を楽しもう!という感じでしたね。
一日中会社で疲れ切って帰宅後は休みたい義姉妹も拒否を感じていましたが、NOって言えませんでした。
私の前にはいつも笑顔でやさしい義父は、義姉妹にとってはNOが言えない権威的な存在でしたから。(後日談ですが、私がNOと言っても怒られなかったので、今の義姉妹も言えたそうです)
旦那なら.........もともとは自分の休み時間を犠牲して家族を協力するタイプですから、どんなに疲れても両親と付き合うことには拒否が感じられません。
「お父さんとお母さんを気にしなくていいよ。自分で対応するから、仕事などしたいことをすればいい。」
本当かなぁ?
実家の教育によってお客が来たら、お茶したり、一緒に座って喋ったりするのは基本的なマナーですから、義父母と同じ空間にいる時に相手を無視して仕事をするのは本当にいいかなぁ?
結局、本当にそれでよかったです。
でも、それでも、心が闇に食われました。
冷蔵庫には義母が買ってきた食材ばかりで、それを消費するために、自分の好きな食材を買って好きな料理を作ることができませんでした。
義父母を無視して仕事したくても、義父母は声をかけてくるので、専念に仕事をすることができませんでした。
たぶん、心が病気になったからでしょ?
最初は「義父母が来る」という言葉が耳に入ると、背中が痛くなって、動悸がひどくなって、息も苦しくなります。そして、不調はだんだん日常になりました。
夜は泣いて寝て、猫がいないならもう二度と目覚めたくなくなりました。
猫は唯一の光でした。
一丸君と天使になったニ丸ちゃん↑
末子の涼丸ちゃん↑
私の光たちは可愛いでしょ?
まぁ、旦那はそれを気付いて、毎日定時退勤して、義父母の連絡が来る前に、私を連れて出かけて、義父母が来ても帰らないことにしました。
残業する日なら、「両親は来るって、カフェーなどへ行かない?」って事前連絡してくれました。
両親の心を傷つかない前提として、妻を助けたかった旦那も大変だったと思います。
でも、それでも、闇が拡大し続けました。
居場所であるはずな家は義父母に侵入されました。
旦那と二人で買いたいものも見たいものもないまま、デパートで退屈そうな顔をして回ることにもうんざりしました。
皮肉なことに、旦那との夫婦暮らしを破壊した元凶は、義姉妹を誘った私です。
同居しないなら、義父母はたまには義姉妹のところへ行くでしょう?
私は自分の夫婦暮らしを破壊して、今は旦那の一家団欒を破壊し始めました。
私がいれば、誰でも幸せになれません。
私が消えればいいです。
.........今振り返っても息が苦しくなった思い出ですね。
では、私はどうやって義家族と楽しく付き合える今にたどり着いたでしょうか?
実は、
そのきっかけを覚えていません。
でも、最初の一歩は、たぶん自分の弱さを認めることだと思います。
続き→義家族と仲良くなったきっかけは両親に捨てられたこと( ̄▽ ̄;)