私の台湾語事情のコメントで台湾語v.s北京語、台湾華語v.s中国語について説明すべきなことを痛感しましたが、それを説明するには台湾の歴史もちょっと話したいですね。
でも、シンプル化した自分なりの説明で、その中にも昔どこかで聞いた話も混ぜているので、硬い歴史より物語として聞いていただきたいですね。
最初の台湾人は、今の原住民です。
今「原住民」と言えば、山に暮らしているたくさんの部落ですが、それは原住民の中の高山族(山に暮らしている民族)です。
西側の平地には「平埔族」という原住民がいました。
ある日、中国の海側の貧乏者がこの島にきて、一人、二人、だんだん多くなって、そういう中国からきた人たちを歴史の資料では「漢人」と呼びます。
漢民族と原住民は長年間に戦っていたけど、だんだん通婚も始めました。
平埔族は母系制で、娘が結婚すると、全財産を娘に渡して、娘と婿が一緒に我が家を世話する習慣を持って、もちろんその財産も女性のものですが、漢人は父系制で、妻の財産は我が家の財産、妻の実家は他人。
結局、漢人が平埔族と結婚すると、たくさんの財産をもらったけど、妻の実家を世話しても、その財産を自分の家族のためにも使うので、漢人の権力などがどんどん強くなって、平埔族は財産を失って弱くなって、そして、このような通婚を繰り返してから、消えました。
一方、台湾と中国は近いけど、中間にある海は海流が激しくて、庶民の船だけでは危ないし、その時の台湾は開墾が難しくて原住民とは戦っていたし、サバイバルしてきたのは、ほとんど強い武闘派。
日頃は縄を張るためにお互いに戦い、たまには外国政権が来る時も戦い、中国にとってはとても面倒くさい島でした。
漢人としては、漢人政権だったら大人しく従っていましたが、漢人政権(鄭成功、国民政府)にとって、台湾は大陸を取り戻すための拠点で、とにかく戦争雰囲気が半端ではなかったと思います。
台湾人女性は気が強いという特徴が有名ですよね?
関連研究がありませんが、正直、こういう社会に暮らしてきた女性は気が強くなるのも、おかしくないと思いますね。
そして、台湾にきた漢人は、ほとんど中国の福建の南部からきたんです。
福建は閩という別称を持っていますから、その漢人たちを「閩南族」と呼ばれていますが、実は福建の南部はいろいろな民族がいて、みんな違う言葉を使っていました。
その民族たちは台湾に来てから、戦って縄を張りながら、通婚して、違う言葉が融合して今の台湾語になりました。
今の台湾人は95%の人が平埔族のDNAを持つ報告もあるので、たぶんその言葉には平埔族の言葉も含んでいると思います。
でも、普通に台湾に暮らしている人たちは、特に日頃の言葉を名付けませんでした。
それは日本統治時代に、日本の政府は日本語と区別するために、台湾人が使っている言葉を台湾語と名付けたんです。
そして、いよいよ国民政府がきました。
国民政府は「私たちが使っている中国語が台湾の国語ですよ」って主張して、国語運動が始まりました。
その時代の台湾人にとって、中国語は日本語より親しくない斬新な言葉でしたが、急に知らない言葉が国語になって、それしか話せない環境になりました。
まったく知らなかった言葉なので、なまりをもっているのは当たり前ですが、それを「台湾国語」と呼ばれで、田舎人の象徴になりました。
そして、元々台湾に暮らしていた台湾人は本省人になって、国民政府と一緒にきた人たちは外省人になりました。
本省人ださい台湾語
外省人知的な中国語
ちなみに、きれいな台湾語が話せる多い学者、医者、政治家たちは白色テロの時期に消えましたから、台湾語はますますダサくなりましたね。
そしてそして、国民政府が導入した中国語ですが.........
その中国語は実は戦争時期に日本の国語を見て、我が国の国語も作るって10人くらいの学者が会議で決まったシステムで、完備ではありませんでした。
さらに、国民政府と一緒にきた人たちは、北京語が話せる人がすくないそうです。
だから、国民政府が導入した中国語は台湾に来てからまた自分なりに整えたものだったらしいです。
その中国語はまた台湾語と融合して、今の台湾華語になりました。
研究によると、外省人の二代目から言っている台湾華語は、本省人の二代目から言っている台湾華語は特に変わっていません。
そして、その台湾華語はもう中国での標準語と大きい差になりました。
だから、言語学では、台湾語、台湾華語、北京語、閩南語はもう別々なものになりました。
ちなみに、台湾語と同時に存在している言葉は、また原住民の族語、客家人の客語(同じ福建からきたもう一つの言葉、広東語と似ている)があります。
以上は、ネットの資料を参考して、自分が聞いた昔話に合わせてまとめたもので、間違っていることがあるかどうかわかりませんが、とにかく物語として聞いていただきたいですね。
そして、今の台湾人はまだまだ自分の文化、言葉について模索していますから、これからも新しい証拠や研究でまったく違う結論になる可能性もありますが、今はこんな感じです。