Hannahアメリカぶらり旅

Hannahアメリカぶらり旅

アメリカで結婚→離婚→学生&仕事などこちらの生活での
思いついたことを包み隠さず
ただ気ままに書きさらす
つれづれ日記。

Amebaでブログを始めよう!

願えば叶うっていう

 

なんとかの法則だとか

 

Woowooの世界だす

 

でも なんかWoowooだけれども 

 

実際のこの世の中Woowooに満ち溢れているというか

 

それかこの世界なのかなと思う今日この頃。

 

40歳に去年なりました

 

就職して以来 シアトルを離れて以来 コロナが起こって以来

 

いろんなことがありましたやんかいさ

 

母が老化 怪我 私の度重なる海外出張

 

キャンピングと人生を共にアドベンチャーな生き方ができそうなパートナーとの出会い

 

 40歳に 折り返し地点に着てしまったのを機に

 

このまま 自分の人生をこんな感じで生きていきたいのか

 

考えました 私 たくさん考えました

 

そして 強く 心に重い描きました

 

自分が存在していたい将来

 

 

 

家族を基本にした 地に足つけた生き方

 

 そしたら 2ヶ月ほどかな

 

なんか 色々なことが動き出し

 

 予測してなかった訳ではないけれども 普通の頭で考えれば あと何年かかっておかしくねーだろ

 

思うようなことだけど

 

 いや 頭の中のどっかで 現実化するなと思っていたのかもしれないけれど

 

 まぁ 色々が どぃんどぃん発動した

 

4月に妊娠発覚 40だからね 妊活をしなきゃねって思っていた矢先

 

仕事は2月から完全に海外出張の無い職種へ社内で移動 信じられない昇給

 

 母の鬱からの 健康的思考への変化

 

パートナーと一緒に住み万全の協力体制

 

 つい5、6年前

 

私はアメリカで 一番欲しいと思っていた家族 全てを失った そう思っていた

 

 一瞬にして 全てが壊れたと 私自身の心も命さえも 壊れた そう思っていた

 

いやー でも 突き進むもんですね 生きてるだけで丸儲け

 

 

 何がどう転んで最終的にどうなるかなんて わかんねぇ スティーブ・ジョブスですよ。

 

将来は点と点ではつなげないけど 過去の点はつなぐことができる ですか。

 

 あれがあったから 今がある なんて 当たり前のことですが

 

 でも 強く信じる 願う いや もうそう思い込む 妄想癖を超えて

 

そうだとしか思わなくなる そうなることを知っている。

 

 その力 やっベーっす。

 

 今 妊娠30週。無事に。

 

 お腹の中で育つ命が やっベーっす。バイオロジー的にかなり感動っす。

 

 

あと5日


そんで人生の半分 

いや2/3か それかそれ以下か


生きたことになる


40歳だってさ


ついこの間やっと20歳になったと思ってたのになぁ


 時間 どこへ行ってしまったんだか


1/30は1/5よりも小さい


それは感じていた 


1/40なんて いったいどんなもんだろうか


5歳の私は一年が100年のように感じていたんだ


地球のお歳に比べましたら 人間の生きる年月などミジンコの上に住むさらに小さな生き物のお歳と変わりませぬ


でも そこに想いが乗っかるんです


時間を大事に。


 ありきたりですが


本当に大切に 心に近いところでしっかりと味わっていきたいんです


自分の生きている 人間として生きていることの役割を


たんたんとこなし大事にしていく


アリがアリとして生きるように


木が木として成長するように


それが生まれてきたことの理由であるかの様に。



いつか還っていくから


その時まで。


あ、YouTube にメンタルヘルスの動画アップし始めました。



“らしく”生きるように。


https://youtu.be/ysdj7RSnD9Y










いやほんま、案の定ですよ。
いやいやいやいや、予定してたわけちゃいますよ。

完全にダウンしてます。
何からきたんでしょうか。
プログラムに参加している27人中26人ダウン中。笑

1人病院行き。涙

ほんま、こういう時になって初めて、いろんなことの恩恵を感じます。
私も紛れなく、当たり前のことを感謝するの忘れてた人間だったんでしょうね。

普通に蛇口をひねって出てくるきれいなお水。
何の気なく手を洗って、歯を磨いて、トイレの水流して、
お野菜も洗って、シャワーやお風呂もザブンと使える。

レストランに行って、出てくる食べ物に恐怖心を感じることなく食べられる当たり前な生活。

すべてほんま、ありがたやー。
涙が出るほど、ありがたやー。

宿泊している施設では、濾過された水が出てきます。
基本的に衛生的に安全な食事が提供されます。
でも部屋のお水で歯を磨いたり、口をゆすいだり、ましてやその水を飲んだりはしてはいけないと言われています。

でもさぁ、先進国で育っているとそれが当たり前だから、気がついたらやっちまってんだよねー。
はい自業自得ー。

でも今回の全員ダウン事件は、ほんとどこから来たのかわからないのが現実。
実はその全員ダウン事件は、先週やったんですが、
みんなだいぶ回復してさあこれからだ て時に、
第二波が襲ってきております。

最初は、みんなで食べたドーサっていうインドのお好み焼きみたいなやつ(説明へたくそですいません)がちょっと味がおかしかったから、
それかなぁって言ってたんですけど
もう第二波が結構な人数まで来ちまってるんでね。

何せ、1人の子の嘔吐物の中に、芋虫発見されちゃいましたからね。

なにがなんだか。原因何?!?!怖い怖い怖い!!!

みんな精神的にギョギョギョな状態です。笑

インド料理、水、ここの食べ物全般怖い病!!!!!!

私、シアトルにいた時も、日本料理屋さんがたくさんあるにもかかわらず、
ほとんど食べに行ったりしない人間ですが、

ここまで体調崩して、インド料理怖い病になってしまって、
なぜか奇跡的に、日本料理くっそ食いたい病を併発しております。

で面白いことに日本食レストランを近場で探して、味噌汁を飲みに行くという、
自分の人生で起こると思ってなかった事件が起きました。笑

そしてとても癒されました。ありがとうお味噌汁。

まぁでも、同行しているお医者さんの教授曰く、
おそらくお水の中に含まれているバクテリアが原因であろう、
てことらしいです。



私が今滞在しているバンガローと言う場所は、インドの中でも
特に水資源が枯渇していることが問題で、
なんとあと10年しか持たないと言われています。

しかし、この情報をきちんと知っている人というのは少ないそうです。
水が少ないにもかかわらず、貴重な水資源である川や池に
みんなギャンギャンゴミ捨てちゃってます。

で 挙句、ここの街の池は数年に一回水面が燃えると言う火事が起こっております。


池が燃えるってどういうこと?!?!って話ですけど、

そんだけ、街の人や業者が池にゴミをすて、池の表面が火事を起こせるほどのゴミで埋まっていると言うこと。

私の滞在している施設や、裕福なカースト制度の上に位置する人たちの生活では、
蛇口をひねれば普通にお水が出てくるし、
シャワーだって浴び放題です。

でも貧困で苦しんでいる人たちは、毎日の日課として、

大きなタンクを抱えて長い距離を歩いて、

水を汲みそしてそれを家まで持って帰るという作業をしなければならないそうです。

そしてそれはほとんど女性の仕事であり、
で、そこの家の子供、特に女の子たちは、
学校にいかずそのお母さんの水くみを手伝わないといけないそう。

それにより学校に行けず 満足した教育も受けられず、

そしてかなり若い年齢で結婚し子供を産み、

また同じことの繰り返しがずっと続いていくそうです。


まじで考えさせられます。



きれいな水があるだけでその街から医者は減るそうです。

水はすべての命にとって、私たちの健康にとってかけがえのないものですよね。

ほんま ムムムです。


それを今回、自分の体で感じております。何も心配せずに、
蛇口をひねってお水が飲めること。

貴重なこの街のお水を大事にするために、シャワー流しっぱなしじゃなくて、

これからは
バケツにお湯はって 行水シャワータイムすることにしなした。


 ユーチューブ ビデオ はじめました。インド グランドチャレンジ ジャーニー エピソード2。
 翻訳の日本語オンにして字幕つけてみれまーす
 https://youtu.be/FJ7h7Z0swX8







インドです。

気温は午前中は20度前後で 日中4時くらいにかけて 28、29、30度近くになる。

 

一応 これでも春らしいです。

 

この宿泊施設の固っいベッドにも なかなか暖まらないシャワーにも 朝からカレー。。な生活にも

どこへ行っても トイレットペーパーないから トイレの便器のよこに設置されているお尻洗い用のシャワーで洗浄する日々にも

 

結構慣れてきました。

 

こっちでは一応学校の研修なので 授業みたいなものも行われて 朝8時半から眠気まなこを擦りながら

その授業に参加してます。

 

授業っつっても 普通の教室の授業と違うくて 街の探索に出る野外学習だったり 市場へ行ったり 結構アクティブなものばかりです。

もちろん、歴史とかこっちの社会の仕組みとか、特にカースト制度についてゲストスピーカーを招いて講演をしてもらったり

 

あとは、提携している現地の大学の生徒と交流して 政治の仕組みとか問題について対話したり、かなりアカデミックなこともしてます。

 

 特に、この現地の学校の学生とともに読書クラブをするために同じ本 「Hindutva or Hind Swaraj」 を読んで

 意見の交換をしたときゃ

 

 結構ディープな話が出ました。今のモディ政権の闇とか ガンジー一族のインド人の若者目線の印象とか

 なんだか

 日本で勉強したこと、 アメリカで勉強したこと

 

 とは結構かけ離れてる事実を知ることができて そして その中で苦しむ人たちの事も聞いちゃって

 めっちゃ考えさせられますたです。

 

 インドの一部の人種が昔からの慣習や固執した狭い独占的な考えによって迫害されている現状。

 

 なんか アメリカと一緒なのかな。ってか 今世界中で同じことが起こっているのかなって思わされましたね。

 

 あと、街の道端ですれ違う人たちのほとんどは裕福な人ばかりで カーストの上の方にいて いろんな面でカーストの

 下の下の下にいる人とは雲泥の差の待遇を社会の仕組みの中で当たり前に受けていて 下の下の下の人たちは 

 そこから抜け出すことはできないって事実も教えてもらったし、

 

 なんか そんなん知っちゃったら 出会う人出会う人の人生を想像しちゃう

 

 市場で出会った人たちは あまり裕福と言える人たちではなかったけれど 活気が溢れてて いっぱいパワーもらったし

 市場に並んでいる色とりどりの野菜や果物 全て フィルターを通してではなくて 

目の前にいる この人が売っているリアルなもの として五感を通して 感じることができた気がする。

 

 あ、 そーいや youtube動画始めました。

 

https://youtu.be/x0IVBasaUMo

 

 

 

初日ですが、

 

 Überで空港から今滞在してる街までやって来ましたが、その車の中で とーっても気持ちいいインドのポップな曲が流れてて

 

 そんでムァンとした湿度の高い空気に砂ぼこりが舞い上がる感じ 通る道のあちこちにヤシの木が立ち並び、

 

 太陽の光もやっぱなんかアメリカとちゃいますねん フィルターにかかった感じね。

 

 いんやー まじ本物の大気汚染です!!!!!!!!!

 

 ディーゼル車パラダイスです!!!

 

 んでから 半端ねー渋滞。道路の車線 意味なし。

 

 2車線のところに4台とたくさんのバイクがひしめき合いながら進んでく。

 

 ウーバーのニイちゃんが窓開けてくれたんですが

 

 そっこう友達が咳き込んで にーちゃん窓閉めて閉めて!って事件もありましたしね。

 

 でもま、なんやまじで来てもうたでインド!ってグッとくるもんがありました が、

 

 やっぱね 車に乗ってちゃ 街のほんまの空気なんてわかりゃしないよ

 

と寮に荷物を全部置いてから 靴の底と爪先にスティールが入っている靴を装着し Tシャツに着替えて

 

 早速歩いて街へ出かけました。

 

 

 いやー やっぱ実際に歩いて街を見るのと車に乗って通り過ぎるだけとは 訳が違う。

 

 歩道歩いてるけど 歩道っていうか工事中の歩道にある穴に落ちない様にするゲームですかって程のやばい道がずーっと

 

 まさかの10キロほど続き。

 

 得体の知れないワイヤーが転がってたり 崩れ落ちたコンクリートの破片転がってたり

 

 これローカルの人たちみんなサンダルでまじで歩いてんの?ってやばい道がひたすら続いてました。

 

 あとは、電線が何重にも重なってぐるぐるまきになってそれが木にこんがらがってたくさんぶら下がってたり 

 

 横断歩道がないので ひっきりなしに通り過ぎる車をすり抜けてクラクション鳴らされまくりながら まじで体の5センチ先を車が平気で通る道路横断したり、

 

 路上で物乞いするおばーちゃんの横通り過ぎたり

 

 牛が我が物顔で道路横切っててそれに対して誰もクラクション鳴らさないからその横をついていこうとしたら路上の車全員からクラクション鳴らされたり

 

 糞尿が路上に流れてて 半端ねー匂いで途中でえづいたり。。

 

 なかなかね。なかなか 濃い。

 

 途中 スカーフ巻いてまじで目と鼻と口塞がないと ムーリーってほど目も開けてらんなかったし 咳き込むし

 

 意外に敏感なアレルギー体質な私のチョロい肉体はかなりダメージを受けてしまった。

 

 次の日、

 

 まだ他のプロジェクトメンバーの到着を待たないといけなかったので また街に繰り出す。

 

 今度は、オートリクショーって言われるちっさい三輪車に友達3人で乗り一人約50セントの運賃出して

 

 買い物に行きました。

 

 プロジェクトの先生からも

 

 水 怖いですよ

 

 気をつけなはれ 

 

 氷入ってるドリンクは氷溶ける前に飲めー

 てか氷入ってたら 飲むなーとか

 生野菜、レタスとかトマトとか 食べるなーとか 散々言われましたからね。

 

 怖い怖い怖い怖い お腹痛い痛いなりたない。

 

  って もうインドついてすぐにトマトレタス入りハンバーガー 氷クラッシュしまくってるピニャカラーダ

  美味しくいただいておりますが。

 

 正露丸持ってきてっからよ activated charcoal 持って来てっからよ ダァージョーっブッしょー!!

 

 あーなめてるほんま。

 

 まぁまだお腹いたなってまてん。

 むしろ22時間のフライトと一人っ子37年の私が 若い女子と狭い慣れない部屋でルームメイト

 的なストレスコンビネーションで かなり詰まってますから。なんなら少しお腹下してくれた方が開通するかも知らんなこれ。

 

 とにかく、ま、最初の3日間ほどは 

 

 アメリカ都会生活慣れたバカ外国人丸出しでハンバーガーショップとかフォーエバー21とかうろうろしてまいましたが(いやいや 友達が行きたいって言うんでね。)

 

 結構 インドの空気吸いまくってます。お腹 まだ 下ってません。

 

 

 

 

 

 

 

ハイハイ

 

そうです。

 

2018年9月UW入りました。

 

UWで 環境エンジニア学部行ってます。

 

トランスファーしてから一年間、ジュニアの間は そりゃまぁなんと言いましょうか、

 

週一で泣いてたんちゃいますか?ってほどチャレンジだったなー

 

こんな算数、化学恐怖症のわたすがよくもまぁエンジニアリング学部に入れたわってのがそもそもの話なんやけど

 

 問題は算数、化学だけやなくて 習ってること全てがコミュニティーカレッジよりレベルがグィーンと上がりまくりまして

 

クラスの中で英語が母国語でないのは私含め3人。でも後の二人は小さい頃からアメリカや海外で勉強してっから

 

中学英語の成績でDという赤点が当たり前だった私からしたら、 脳が何度もメルトダウンを起こしてそして固まり、そんでまた解け

 

 今までの人生でやったこともない数の宿題と

 

みたいな連続だったもんで しかもクラスのみんな21歳でしょ

 

私37歳でしょ。

 

  誰も目を合わせてくれない。とかまぁそんなこんなのいろんなチャレンジの一年目は終わり、

 

今年はシニアです。日本で言う大学の4回生。

 

 で 何を思ったか 連発したメルトダウンの果てに 脳が誤作動を起こして

 

 海外留学プロジェクトに申し込む。審査の結果無事にそのプロジェクトに入れる。

 

  ほんで今、 私、 インドです。笑

 

 

 一月一日の元旦にアメリカ出発して22時間の空の旅の末、 インド バンガローってとこにつきました。

 

  このプロジェクトは UWのエンジニアリング学部主催の 世界で起きている地球規模の環境問題や人口爆発によって起こる問題に取り組むっていう3ヶ月のプログラムで

 

 Civilと Environment、Public healthとかいろんな学部から大学生、大学院生を含む生徒が参加しているんだベス。

 

 去年は十何人だったらしけど 

 

 今年は27名の参加者。

 

  チームに分かれて こっちのNGOとか政府と手を組んで いろんなチャレンジしていく予定です。

 

  こっちきてから一週間経ちましたが、いろーんなことありすぎて。

 

  でも ここでの体験残しておきたいし、多分こんな体験 人生でそう多くはできないかもしれないから

 

  見たこと感じたこと綴っていきたいと思っている所存でございます。

 

 

 

 

 

 

 

 

1987年 5月5日

 

なぜだかこの日は覚えてる 私は4歳

 

小さい頃の記憶は 結構辛いものが多く

 

具体的なものよりあいまいに覚えているものが多いんだけど

 

この日は 覚えてる

 

まぁ 最も底だった日だろうか

 

 私の記憶というよりも母の記憶に基づいたものといったほうがいいのか。

 

 消えてなくなる寸前だった私たち。

 

 辛いというか痛いというか苦しいというか呼吸をするのさえもやっとだった ただただ押しつぶされそうな極度の不安 その感情は覚えてる

 

 その時は まさか30年後 まだ生きてるなんて

 

 しかも日本から離れて アメリカで

 

 母子ともに希望にもえて生きている

 

 なんてこと 想像なんてできるわけもなかった 

 

 

 でも 無事に生きてくることができました

 

 あんなに毎日毎日 よかった お母さん 今日も生きてる

 

 って横で寝てるお母さんの心臓の音を確認しなければいけなかった日々

 

 小学校から帰ってくるたびに お母さんがいなくなっていないのを確認してほっとする日々

 

   まぁ希望も何もなかったよね 自分は他の友達とは違う状況にいるんだってのは

 

 いやでも感じる でも それを友達に漏らすことさえも許されなかった環境

 

 ほんと よく生き延びた

 

 ってのは子供である私の感想

 

  でも 当事者の母は 

 

 

 どんな思いでこの30年間生きてきたんだろうか

 

 子供の私には想像でなんか推し量ることは到底できないいろんなものを抱えて

 

 30年 踏ん張ったんだと 思う

 

  母も ほんと よく生き延びた

 

  辛いことばかりじゃなかったよもちろん 楽しいこと愉快なこと幸せだったこともたくさんあった

 

  それを全部ひっくるめても いやぁ ほんと この30年間

 

  よく 踏ん張って生き延びた そして よくあきらめなかった

 

  あの時 1987年の5月5日にあきらめてたら 違う道を選んでいたら

 

  今の私たちは確実にいない

 

 世界なんて終われ 世界も人生も終われ 人生が終わる前に 自分終わってる

 ていうか世界なんてもんにもともと所属してないんだ私は 人生ってもんは私にはもともと与えられてないんだ 

 

 どーなってもいい なにがどうなってもたいしたことではない

 

 死のうが生きようが たいしたことではない

 

 死が怖いなんて思ってるやつ ばかじゃねーの

 

 

 なんて思ったことも 何万回とある

 

 でも

 

 あんなに ザ 絶望 という言葉しかなかった私たちがここまで人生を変えて 

  ザ 希望 に燃えて今を生きることができるなんて

 

  今なら思うね

 

 世界も 捨てたもんじゃないな と

 

  世界っていうか 生きるってこと 人生って 

 

 びっくりするぐらいの可能性があるってこと

 

  いや これは体験した人にしかわからんかもしれんけどさ

 

  てか みんな そんなの当たり前に感じているのかもしれないけど

  

 私は ぐっと感じてます ね 信じられないほどの可能性に満ちてる

 

  いやいやいやいや まじで ほんと信じられないほどの可能性

 

 

  またどん底に落ちることもある可能性もあるのも事実

 

  でも そっから這い上がって 9回裏逆転満塁さよならホームラン

 

  打っちまう そんな可能性も あるのも事実。

 

   いやー 30年 お母さん 私 ほんとお疲れ様でした よく頑張った 

  で こっからまた 新しい可能性始めたいと 思います。

 

   

 

 

 

  

 

  

 

 



 なんか最近やたら不倫のドラマが多くないか?

そんなに主婦が不倫しまくってたら ホステスの商売あがったりですがな!!!

  って 誰目線やねんなわたしー。

  主婦の時は 不倫 なんども心は動いたけど! 実際にオイタしたのは

  あんときだけやでー! 治外法権のみですぜー! でもあれ仕事の一環ですからー!

 てゆか2016年 半年過ぎちゃった〜!!! どーしよー!!


 なんかなんかなんかー!!!!

 なんもできてへんような でも なんかものすごくいろいろあったような。

  心のジェットコースター 登ったり急降下したり。

 ああ もう ね。

  近くにある海に行く回数が確実に増えた。

 人はどうして 悲しくなると 海を見つめにゆくのでしょうか。


 悲しいかどーかは置いておいて、 たまらん!思うことの連続。からの海いくー!の連続。


  去年の たしかあれは10月くらいから


  元旦那ちゃまの 熊五郎と また一緒に住み始めた

 お互いのプライベートには立ち入らない 熊五郎の親には絶対にここに住んでいること教えない(私の身の安全のため)

 等々の約束の元 そして何よりも これからは 二人はただのルームメイトとして一緒に住む

 その先は 無い。

 っていうの前提の元

 住み始めた


 でもね やっぱね 一緒に住んでるとね 彼がいろいろ我慢してるんだろうな

 てのを気づかないふりして気づいてたんだろーな 結局。

   彼は納得ちゃんとできていない状態やったけど 私が絶対に折れず

 やっと別れてくれた そんな状態から また住み始めたからね。

  私はもう戻る気まったくありまっしぇーん ゆってても 

  やっぱ彼の中ではいくばくかの期待 あったと思います。

   友達のサラに言われた You knew it. You are bad girl. You gave him a hope.って。

 あー 刺さりまくったね。 そして 海を見つめにかよう。

  
  そんでから


 今年の初めぐらいに ひょんなことから出会った若いおにーちゃん

  ひょんなことから 熊五郎がいない間に家につれこみ

  そして ひょんなことから そーゆう関係になった。

   付き合うつもりは なかったつもりだったつもりが

    付き合うってことにもなってしまった。

   
  もー 誰とも付き合わない てゆか 恋愛なんて  ムーリー なんて思ってたのに

  しかも 実は 異性のオーバーナイトは禁止っていう熊五郎とのルール自分で作っておいてからの

 そこブチ破りで なんども連れ込み

 そんなこんなで 相当 熊五郎に対して不義理してしまった 私。

 てゆか もう離婚してますし! 恋人でもなんでもないですし!

 って思ってても なんか罪悪感がぬぐえず

   結局 隠してることができない ばか正直な私

 
 ぶちまけた。 好きな人ができた。 
 その人と 今付き合ってるって。

  そっから 熊五郎そうとう 大回転てきなジェットコースターライドをしたことであろう

  最後は三月のある日荷物を一気にまとめて 出て行って そのまま音信不通。

  また 海を見つめに 通う。


  アメリカに来て一週間で 出会い そこからずっと一緒 8年間。 

  腐れ縁のような感じになってしまったけど  でも

   かけがえのない 大切な人には間違いない そんな人を

  最後の最後に ドンガラガッシャーン 爆弾おとして 傷つけて 終わらせた。

 
  男と女の関係には 綺麗な終わりかたなんて


   やっぱ ムリなのか。

  
 もともと このまま 植物人間(肉食でも草食でもなく むしろ 植物になりたいという願望をもっている人間)として生きて行くつもりだったから

  しかも 妄想や片思いの相手ではなく ちゃんと実際の人間と恋愛するなんて
 
  7年ぶりぐらいだもんだから  自分の心の処理のしかたにひたすら戸惑う毎日

  結婚失敗してるから また相手を甘やかして 第二の熊五郎 つくりたくない!

  どーせ この人だって結局裏切るんだ! いや なんとかなる!
 
  なんていう葛藤 てゆか 私 やっぱ 恋愛向いてませんわ!!!うっぎゃー!

  とか そんな心のマネージメントに悪戦苦闘。

   ほんと この半年 疲れた。 

 あー 疲れたとしか 言いようが無い。

  もー やだ。 やだやだやだ。。。。。。海の水が 目にしみるぜ。

  


なんて 思ってた矢先。 

そんな疲れとともに 思ってもみなかったやつが  心に湧いてきた 
 
  あろうことか

  あぁ やっぱ幸せになりたい 心から好きだって思える人と
 
 家族になって 子供つくって 一生 あーだこーだいいながら 幸せに生きていきたい

  っていう ひつ筋の あー こんな思い 私の中にまだ あったんですか

  っていう感情。

  ドミのお父さんの事件の後から 特に 自分がレズビアンなのか バイなのか

 それともそもそのそーいったセクシュアリティー自体を持ちたくないのかって

  ぐらぐらしてたけど

  ここへきて

 なんか 生き物としての 本来の サガ が出てきやがった よーな気が する。

  てゆか なんか具体的な年齢までも 自分の中で浮かび上がり

   35歳までに 子供 ほしーかもー なんて。

   ああ ここへきて ついに biology clockが カチっと動き出したか。

  てな してやられた感。 まぁね 33歳だもの。 ムリもないのか。

  
  でも what goes around comes aroundで

  私が今一緒にいる人は 若い。 夢もある。 その夢は壮大であと何年もかかる。つまり 相手は将来を一緒に、 家族を支えて なんての そんな責任 背負ってる場合じゃないおにーちゃん。

 という はい 私のそんな淡い 本来のサガがなんちゃらとかゆー夢 
  
 まったく叶う気配なくー!!! でも 35まであと2年きってますからね

                                                                                                                                                                                                                                         このまま付き合ってていいのか。どーなのか。なんて また思いを巡らせて。。。

  そろそろ 決断を下すときが 近づいてますかね。


  
  そんなとき  昔のカメラを見つけてしまう。

  熊五郎と一緒に撮った まだ二人とも好き合っていた頃の写真や 結婚したてなんて時のやつも。
 
  結婚記念日の動画もあった

 懐かしさで 動画みてる で また ショックを受ける。

  あれだけ別れたい あー めんどくせーこいつー! 
 こいつの子供だけは絶対産みたくない! なんて いつも言っていた私

 子供できたらまじ最悪だ なんていつも言っていた熊五郎

  だと 思っていたんだけど。。。。

  動画の中の私たちは 

  いつか できるかもしれない 私たちの子供に向かって語りかけてた。

 お前のお母さんは すごいクレイジーだからね ほらまた 君たちのお母さんはこんなこと言ってるよ ははは。。。

   なんて 。。。


それを言われている横で 私も なんだかんだで 幸せそうな顔して 笑ってた。

  
  人生の歯車なんて どこで くるってしまってもおかしくないんだろーね。

  理由があって 今の状況になっているし 今の考え方で 今の自分がいる。 

 んだけど

   因果ですよ。

  私が準備ができてないときには 相手は 実は私との子供を欲しがってくれていた

  いざ 私が準備ができたと気がついた時には 私のそばにいる人はかつての私のように準備なんてできよーもない状況にいる。

  そんなもんなのかな。 そんなもんなのかなー。あー

 なんて また 海を見つめにいく。 なにやってんのかな 私 なんて

 涙流しながら  朝まで 車の中で凍えそうになりながら 海見つめる。

  あー しょっぺー!

  カモメが飛んだー かもめーがとんだー 

 あなたは 一人で 生きられるのねー!!!!!! 

   うん 大丈夫 !! 一人で 生きてみせる!!!!

   

   

   


  

  

   

  
初夢ではないとはおもうけど、、


でもすっごく楽しい素敵な夢だったのよねー


 山の上の 森と険しい崖と岩に囲まれた とっても厳しい自然の中で育つ男の子の兄弟が


 小さい頃から不自由なことが多すぎて でもその与えられた環境の中で生きていくしかないんだって

 その子達のお父さんも諦めるしかないくらい 
今にも風で飛んでいきそうな小屋に住み 服も穴あきだらけのボロボロ 家の外には羊を一匹飼って というとても質素な生活をしてたの


 でも ある日、素晴らしい音楽で世間を賑わせている音楽隊が世界を回る巡業をしていて

 たまたまその少年たちの住む山を越えて つぎの村に行くということがあった


  上のお兄ちゃんはまだ5歳 下の子は3歳

  いつもの様に峠の畔道にある岩の上に座り 日向ぼっこをしていたら

  なんとも言えない 音楽であって音楽ではないような 心から踊りだしたくなるようなそんなメロディーが遠くの方から聞こえてきて

  二人ともその音楽にうっとりしていた

 すると笛やギターやドラム、トランペットをそれぞれ弾きながらやってきた音楽隊が

 その少年たちに目を留めた

 
  少年たちを気に入ったその音楽隊は 巡業の途中だったが 少年たちの住む家に出向き

 お父さんも家にある一番いい物を音楽隊達にふるまっておもてなしをした

 そのお礼に 音楽隊は一人ずつが心を込めて 家族に音楽をプレゼントした

  夕食のあとは その音楽隊が 少年達にさらに特別なプレゼントを用意していた

 音楽隊の中でもリーダーの笛の奏者が 彼の大事にしている笛の一つを少年達にあげたのだ

  

 その笛は普通の笛とは違い、鉄のような石のような 銀と黒とが混じったもので

 重たいのかと思えば 羽のように軽く

  いろんなところに穴が空いていて 胴は細かったり急に太く平べったくあったり

  不思議な笛だった

  少年は一度 息を吹きいれてみたが まったく音が鳴らなかった

  
   笛の奏者は丁寧に 少年達に笛の吹き方を教えた 


 音楽隊は不思議なことに みんなあまり喋らない

 音楽を奏でているときは 一緒に歌をうたって踊ったり楽しい会話をしているような気分になるのに。

 音楽隊の笛の奏者は 実は耳が聞こえなかった
 
 ギター奏者は 目が見えなかった

 ドラム奏者は 声が出ない

 トランペットは 腕が片方しかなかった

 みんな孤児で一緒に音楽を奏でながら育ってきた仲間だった


  楽しい夜会のあと 音楽隊達は家族にお礼をいい

 そしてまた素敵な音楽を奏でながら巡業の旅に戻って行った


  笛をもらった二人はその日から毎日のように笛を吹いた

 木の上で 川の中で 山のてっぺんでも 

  笛を吹くと いつもの厳しい険しい景色が違って見えたのだ

  笛を吹くと 木も岩も花も動物も みんなが話しかけてきてくれているような

 そんな気分になった

  
  気がつくと 笛で本当に いろいろなものと会話ができるようになっていた

  彼らが笛を吹き始めると ハチドリが集まり 笛の音に合わせて 

   彼らの頭上で くるくると輪をかきながら飛んだり 止まったり 踊り出す

   笛の音に合わせて 花が開きだす

   川も いつもにもまして輝き出す

  

 時が経ち、

 青年になったその兄弟は かつてのあの音楽隊のように有名になり

 旅を続けながら不思議で楽しい音楽を奏でる笛の奏者になった



 てゆー そーいう 夢です。

 文字で書くと もひとつ広がりがなくなってしまうけど

 ゆめだから 奥行きがもっと深いんだよねー

 めっちゃあぁあああ もっと見ていたいっていう夢でした。

夢占いだったら これは何を暗示しているのか。。笑