「砂が嫌い」のつづきです。
娘1号が 1才半の時に、娘2号が生まれました。
まだ言葉が少なかった娘に、私は多くの事を話していませんでした。
話してもあまり反応の無い子だったので、分からないだろうと思っていました。
でも、これは 失敗でした。
私の母と一緒に病室に来た 娘1号は、決して私の顔を見ようとしませんでした。
そして、他人の様に振る舞ったのです。
それから、私はなんでも娘1号に話して聞かせる事にしました。
私の両親は、そんな小さな子に話しても分からないだろうと笑いましたが、
それは必要な事だったと思います。
本人が目の前に居るのに、言葉を理解していないだろうとタカを括り、
娘を小馬鹿にしたような事を話す両親に、私はいちいち怒っていました。
今思うと、孫可愛さの他愛も無い爺婆の会話でしたが・・
私が必死で 娘との絆を掴もうとしているのを、否定されている気がしたのかもしれません。
こんな風に、理路整然と分かってはいませんでしたしね ('-^*)/
結果的に、実家とは離れた所に暮らしていたのは、良かったと思っています。
育てにくさを相談しても、
「あんた達は、こんな風じゃなかった。あなたの育て方が悪いのよ。」
と、言われるだけでしたからね。
あーこれも、親子間の親しさからくる軽口だと、今はわかっています。
でも、当時は辛かったです。
子ども2人との生活で一日が終わり、それからの数年の事は、よく覚えていません。
しかし、娘2号が生まれて、気持ち的に楽になりました。
赤ちゃんの娘2号は、抱っこすると、安心したように ほっぺたを私の胸にくっつけるのです。
「赤ちゃんって可愛いなあ~」と初めて思えた瞬間でした。
娘1号の場合は、足を突っ張ったり、背中を反らしたりして、落とさないように抱くのが大変でした。
元気な証拠だと思っていましたが・・・
子ども好きな方ではありませんでしたが、
自分の子どもにも愛情が湧かない事に罪悪感を持っていました。
でも、娘2号を可愛いと思えた事で、私にも子どもに対する愛情はあると確信できたし、
娘1号の育てにくさは 私の育て方に問題があるのではなく、子どもの性格の問題だと思えました。
性格の良い悪いではなく、たぶん相性の問題だと・・納得したのです。
娘2号には、生まれて来てくれて感謝です。
「悪魔の2才」につづく。