私にとって夏のピークは8月15日

8月15日が過ぎると気のせいか吹く風も爽やかに感じる 

 

夏と冬とどちらが好き?と尋ねられtら 夏 とこたえる

 

理由は簡単  衣服が軽いからだ

 

でも 年々暑さが厳しくなってくるように思われ日中は家の中に閉じこもる  

 

日が傾いてから漸く部屋から出て買い物などに出かける

探し物をする時間程 無駄な時間はない 

 

使ったら元へ戻す これが鉄則  

 

普段 使った後ひょいとそこらに置いて忘れてしまう

 

使ったら必ず元へ戻す事さえできれば探し物の 無用の時間をなくすことが出来る  

 

若いうちから 心がけよう

 

一頃流行ったタピオカジュース

私は幼いころからタピオカを知っていました 接着剤としてです  

 

我が家の一族は 木材を商ってきました

 

母の実兄がベニヤ板の発明者ですが タピオカを設着剤として使つたのです

 

現在そのタピオカがつぶつぶの形でジュースに入り口触りが良いので 好まれるらしい 

 

別に栄養はありません 単なる炭水化物です

昔の人は (盆と正月が一緒に来たようだ)と 嬉しい時の表現に使った  

 

丁稚奉公している人には休みで家にかえれる嬉しい日でした やぶ入り といった

 

でも 今日では8月15日は終戦記念日と とらえる人の方が多い厳粛な日です

 

私も厳粛に過ごす一人です

 

いまでも終戦を告げる陛下のお言葉が耳に残っています

初めて聞く陛下のお言葉でした

 

二重橋前で跪いて陛下に詫びる人の姿も目に浮かびます

今年もゴキブリ先遣隊長が現れた 

直ぐに はたきで叩いたが逃げられた 

  

”でもこの家は恐ろしい人間が住んでいる(私の事)”

 

”危ない 住めない“”

 

懲りて 再び現れませんよう

 

後日談 一週間経ちましたが ゴキブリ現れていません

小学6年生の時進学指導があった 

2つ半年上の姉の学用品が間に合うからと 同じ女子商業学校に通うことに決まつた

 

同じクラスの友人は県立第一高校に決まつた 成績は同じくらいだったから私も行きたかったのに 

県立第一高校の制服を着て颯爽と歩く友の姿が羨ましかった

 

私は姉の制服 学用品のお古を与えられて 女子商業に行かされた 

 

家の前を友人が県立第一高校の制服を着て通る

まぶしかった 羨ましかった そしてお金がないのを初めて悲しく思った

 

後日談  

兄が救ってくれました 当時行われた預金封鎖は学費は免除されたので 兄が自分の預金通帳から私の学費を出してくれ専門学校へ進むことが出来ました

もし預金封鎖がなかったら私の学業は女子商業 止まり 今の私はありません

昭和Ⅰ年生まれの人はすくない 何故なら 大正天皇が崩御されたのが12月25日であったため

約1週間しか昭和1年はない 私は昭和2年生まれだから 全昭和を生きてきたと言える

 

 今振り返ってみるに 正に激動の時代を95年間生き抜いてきた  

  

私の生まれたころ 電気は漸く一般家庭に普及し始めていたが まだ油を燃やすランプ時代 

水道はなく 近くの共同井戸に汲みにゆき台所の大甕に蓄えていた 

瓦斯は一部の富裕階級のみの物 瓦斯を使用している家がうらやましかった  

 

いまの生活は 電機 瓦斯 水道 完備

住まいも大きく変わった 木造から鉄筋コンクリートに

平屋建てから高層マンションに変わった 冷暖房も自動で調節 

 

何と大きな変わりようか! そのせいで95歳まで生きてこられた

今朝ごく近くヒバリの声を聞いた 見るとベランダの手すりにその姿があった

大きさは雀とハトとの間ぐらい 色は黒灰色 冴えない姿かたちであつた  

 

もつと美しい姿を想像していたので意外であった

 

一瞬で飛び去ってしまった

小学校の先生は受持ちの子供を6年間教える 良い先生にあたるかどうかは運しだい

 

私は運よく優れた教師が担任の先生だった 先生は書も上手で生徒一同 皆うまくなった

書の競技では優れた成績で先生と喜び合った

 

学問の基礎は小学校の先生により学んだ

その上の学校ではあまり印象に残る先生に恵まれなかった

終戦の年 私は5年生で学徒動員で住友工業に通っていた

學校の授業はなく工員として働いていた

  

お金持ちの友人の一人(金物卸業)先生に貢いだのか事務の仕事をしていた  

事務の仕事は一般工員より少し早く出勤せねばならず彼女も少し早く出勤していた

 

ある朝 彼女 仕事場に着いた直後 B29の爆撃に会い 爆死した

姿かたちはなく 飛び散ってしまった 

 

私と同じ普通の工員として通勤していたなら助かった命であるのに 

先生に貢いで事務の仕事についていため命を失った