終戦直前の地震については報道されることはありませんでしたが大きな被害がありました  

この地震が終戦を早めたとも言えます 

当時私は名古屋に住んでいて女学校4年生だつたと思います     

 

名古屋市築港にある住友工場に学徒動員で働きに出ていました

大きな揺れで工場がめちゃめちゃに壊れました 

 

電車やバスはストップ 2時間ほど歩いて家に帰りました

途中 地震には帯があることを知りました 歩いていた右側は家が建っているのに左側はペシャンコに壊れているのです

 

幸い我が家は右側 壊れることなく残っていて この時ほどホットしたことはありません

以後数回大きな地震がありましたが報道されていません

 

この時 妹のクラスメイトが集団疎開していたお寺の屋根が崩れ大勢亡くなりましたが 妹は母親の里にいて無事でした

私の子供の頃 今のようにテレビはなくは無く学校から帰ると母の手伝いに終始した 

その頃の女の仕事は多く 大変だった 

   

例えば布団つくり 外側はほどいて洗い張り 縫い直し

中綿はうち直してから又布団に成形する一連の作業を家族全員の布団 順繰りにする

 

姉妹で朝の仕事を分け合い 私は庭掃除にあたった  

庭掃除をきちんとしなければ学校に行かせてもらえなかった

 

そんな時 数学はゲームであった 因数分解等 面白かった  

夜遅くまで数学ゲームを楽しんでいて母親に電気を消してしまわれた

 

戸外に出てみた月の明かりで本が読める でもさすが私でも目を傷めてはいけないと自分を諭し

眠りについた

初めてオムライスを食べた時 その美味しさに驚いた 

世の中にこのような美味しものがあったのだ 

食べた場所も覚えている  

 

鍋焼きうどんも好きだ

 

名古屋に住んでいたので大津の店へ家族でよく行った

 

いま食べ物はあふれている 特に○○が美味しいというものがない 

 

でも 何か一つ挙げよと言われたら 私の作つたおにぎり 

 

中に入れる梅干しは 先祖代々伝わってきた年代物

時に赤ちゃんの歯固めの儀式のとき出番がある梅干し​​​ 

今や貴重な品となった梅干し入りお握りは いま一番美味しい物

 私は出産時 面白い経験をした 

昭和32年に第1子 34年に第2子を出産した 最初の子供を出産した時は安静時間が10日間 初めてトイレに行った時 しゃがみ込むだら 立ちあがれなくなって看護師さんに助けてもらった  

2人目の時は翌日には自分でトイレに行くように言われた 入院期間は5日間であった  

 

以前は出産は富士山を登るほどの体力がいるからと 体を休めるため安静にするように言われ 寝ていた

ところが34年には病気ではないからと 翌日にはトイレへ自分で行くよう指導された       

 

たった2年間でこの変わりよう

 

 

95年も生きてくるといろいろな思い出がありまする

 その中での第一は 

第一子の誕生の時のこと12月25日の事です 娘でした 

 

この時 父親は一等航海士として乗船し遠く南アメリカの南端にいました

電報で知らせたが なかなか返事が来ない

この時ほどヤキモキしたことはありません

 

新米の父親は 可愛い子供服をお土産に買ってきました

どんな顔をしてお店に入ったのでしょう 

 

その娘は今 孫を6人も持つ身になっています

 

娘がはしかにかかった時 高熱が出 錯乱を伴いました 

家中にカニがはい回っていると言い

私にしがみついてきました小学1年生でした

 

直ぐに2歳年下の弟にうつりました 弟は何か訴えようと私の足にしがみついて離れません

まだ自分の状態を話すには幼すぎました  

 

お医者さんに診てもらいはしかと分かりましたが 私 かなり動転しました 

 

夫はアメリカ駐在員としてニューヨークに滞在し 近く家族も渡米の準備中の時でしたが

ひと月渡米を遅らせました

 

 

大あくびが出そうになったら 慌てて口を押える

お作法ではない 

 

口を押えないと 唇の端が裂けるからなのです 

 

年を取ると 筋肉の弾力が次第に減ってくる

 

入口も出口も同じ

 

便秘にも注意が必要です 

 

こんな事誰も教えてくれません 年を取って初めてわかることです

 

若い時から 朝必ずトイレに行く習慣をつけておく事が必要かと思います

蝉の声はいつのまにか聞こえなくなった 代わりに秋の虫の声が聞こえるはずなのに 何の音さたもない    

 

虫さん どうしていますか? 声を聞かせてください 

 

今年一度も蚊に刺されなかった それは有難いが代償が大きい

 

 

もうだいぶ前の話になりますが ニューヨーク滞在中大停電を経験しました

そのときの事 覚えています 

午後だった 学校から帰った子ども2人 近くのスーパーマーケットに遊びに出かけていて 

思わぬ停電に会った スーパーマーケットの扉はすぐさま固く閉じられ警官が立った 

 

私が迎えに行ったが誰一人外に出してもらえない とじ込められてしまったのです

略奪を防ぐ為です 停電が解除されるまで子供たちはドアの中

 

日本では考えられない経験をしました

 

それで思い出しました 

 

阪神淡路大震災の時 外国人は密かにチャーター便にて上海市に避難したのですが 

何の事件も起こらなかったのですぐ帰ってきました そして日本という国の良さを改めて認識したといいます

 

 

私の住むマンションの団地にはそれぞれ特色があり面白い  

 

娘の住むマンションは暖房完備 11月になるとスチームが入る 

 

息子の住むマンションは常時 ゴミ捨て可能 

 

私の住むマンションは常時 湯が出る

 

いずれが良いか判断に迷うが 寒がりの私には暖房完備の娘のマンションが好き

 

親子3家族同じ団地で暮らしている