子供の時 小学○年生という雑誌を買って貰えた
付録も沢山ついていて 双六 おかめ遊びなど楽しかつた
トランプ遊び 中でも神経衰弱という遊びは私の得意種目だった
鞠つき 羽子板つき 凧あげ 等などの他 大人と一緒に百人一首を勝負した
今の子供たちはどんなあそびをするのかな?
母の作ってくれたおぜんざいや お赤飯はは美味しかつた
小豆は単に煮るだけでは美味しくない 独特の煮方がある
1)鍋に小豆を入れ加熱する 沸騰したらざるにあけ水を掛ける
びっくり水といいます
2)ゆで汁1回目は捨てます
ゆで汁2日目は綺麗な赤色 これはお赤飯を焚くために使います
茹で汁3回目は少し濁った汁ですが捨て 準備完了
茹でた小豆は上記の作業を終えてから使います
大豆のように水に漬けおきする必要はありません
以前は 我が家に届けれれる新聞に四コマ漫画が載っていて毎朝の楽しみであった
のらくろ一等兵 サザエさん ふくちゃん など 面白かった
田河水泡さんのような漫画家が復活してほしい
新聞に遊び心があっても良いのではないか
暗いニュースより明るいユーモアを求めたい作今です
アメリかと戦争をした そして負けた 今迄戦争に負けたことはなかった
負けそうになると神風が吹いて・・・・・勝利すると信じて来た
日清 日ロ戦争に勝つて勢いに乗りアメリカと戦った
真珠湾攻撃から始まったアメリカとの戦争
真珠湾に集結する艦隊をつぶせばアメリカは白旗を挙げると高をくくっていた
リメンバーパールハーバー と反撃をうけた
アメリカはまず沖縄を占領し 飛行機基地を作った
毎晩 寝る時間頃になると空襲警報が鳴りB29が飛来した
寝間着に着換える余裕なく着の身着のままの生活だった
戦争はこりごりです 戦争を知る世代の人間が少なくなりました
私は戦争を知っている貴重な存在なのかもしれません
冬のベランダ菜園は暇
この季節は土を休ませる
敷物の上に土を広げ 太陽の光をあてる いわば消毒だ
土の中でぬくぬく過ごしていた虫 慌てて這い出して来る
今 一部の鉢には ほうれん草が育ってきている
家で育ったほうれん草は豚しゃぶにすると絶品 ベランダ菜園の幸徳といえる
夫がサラリーマンだつたころ給料から可成りな金額が差し引かれていて不満だった
老後の年金のためとは知っていたが 手取り金額が少なるのは痛かった
ところが今 年金で生活が成り立っている
年金 様々です この制度を考えた人はどなたでしょうか
昭和元年生まれの人は少ない 何故なら 大正天皇が12月25日に崩御され年号がかわったからです
昭和元年はわずか1週間しかありません
昭和2年生まれの私は全昭和を生きてきたことになります
昭和2年生まれの私 激動の時代を生きてきました
忘れられ無いのは
第1は開戦の知らせを告げるのアナウンサーの声
第2は終戦を告げる天皇陛下のお声(この時初めて陛下のお声を耳にしました)
戦争を知る人は少なくなりました
当時は政治家は軍部に支配されていました
日清日露の戦争に勝利した勢いでアメリカにも戦争を挑み真珠湾攻撃をしました
真珠湾に集結した艦隊を壊滅させればアメリカは白旗を挙げると思いこんだ軍部
ところがアメリかは リメンバー パールハーバー と反撃してきたのです
戦争はつらいものでした
女学校の4年生 5年生の時 私は
学校でなく軍需工場へ毎日通いました
5年生だった時
女学校5年制は改められ 4年制になりました
4年5年生一度に卒業となり この年の上級学校への受験競争は激烈なものでした
幼い時母が作ってくれた五平餅 美味しかった
残り物のご飯をついて柔かにし 割りばしに小判型に固めコンロでゆっくり焼きます
更に甘味噌を塗り こんがり焼きます
甘味噌の中にはゴマ 刻んだナッツ等 が入っていました
まだ電気冷蔵庫は無い時代です
先日 マアーケットで五平餅を売っていましたので懐かしく思い買ってきて食べました
昔の味には敵いませんでした