以前はいろいろな風習があった

例えば一斉清掃の日があった

この日は畳をあげ 日にあて 一斉にたたいて埃を取った

 

引っ越しした時 向こう3軒r両隣には必ず挨拶をしたけれど 今はしないからどんな人が住んでいるかわからない

隣組はない 個人主義の世の中に変わった

 

良いか悪いかわからない

40歳の頃 リュウマチにかかつた

痛い痛い日が続ずいたが ある日軽い脳梗塞にかかり 大異変

リュウマチが吹っ飛んでしまった

 

軽い脳梗塞はリハビリで回復 健康体になった

リュウマチは脳の病気らしい

 

高野豆腐の煮つけ 私の好物の一つ

以前 外国旅行に行く際は必ず即席乾燥高野豆腐を旅行鞄に入れていった

簡単な調理器具も持参して調理して食べた

濃厚な料理が続ずいた後の さっぱりした味は友達にも好評だった

 

以前は高野豆腐を煮るのはかなり手間がかかつたが今は手軽に調理できる便利な食品だと思う

 

 

メダカのメスがお腹に卵を抱えて泳いでいる  

水草に産み付けられた卵をそっと とって別の水槽に移す

 

すでに数匹 卵からかえってげんきに泳いでいる 数ミリくらいの大きさ 

エサはまだ与えていない

もう昔話になる

梅雨時の我が家のベランダはおむつで満艦飾だった まだ紙のおむつではなく柔らかい布のおむつであった

1歳と3歳の子がいた

上の長女はおまるを当ててもなかなかおしっこをしない

諦めておむつを当てるとすぐ噴水のようにおしっこをした

 

夫が洗濯機を買ってくれた

まだ2そう式であったが とても役に足った

ことしも もう半分すぎる 時はとどまってくれない

願ってもいないのに年だけは確実に重ねる

 

梅雨時だけれど雨は少ない

 

ベランダ菜園でトマトが3個採れた

完熟するまでおいていたので甘くて美味しい

 

 

私の子供の頃 ガス 水道 電気はまだ使えなかった

水は共同井戸からくみ出して台所の大甕にためておき 使った

電気はまだ通じていなくランプ生活 姉は毎日ランプ掃除の係だった

 

私の子供の頃 漸く電気が通じ生活が一変した

当時 ガスは一部の富裕層のみ使用ししていた

ガスコインを買っておきガスが消えそうになるとガスコインを差し込んで使った  

 

我が家にはまだガスはなく炭火や豆炭練炭をおこして煮炊きしていた

 

このころ二股ソケットが発明され松下幸之助さんが巨万の富を築いたことは有名です

丁度今頃だろうか サクランボが実るのは・・・
若い時 友だちとスケッチブック片手に外国を旅行した 

ある時廃線のわきに たわわに実ったサクランボの木を見つけた大喜びで取った

 

さすがに手の届く範囲のは取りつくされている  

 

男の人が両手をついて馬になり軽量の私が上に乗って 精一杯背伸びして取った

 

赤黒く良く熟したサクランボであった

私 昭和2年生

当時まだ和服を着て学校へくる子があった

青洟を2本たらし 袖口で拭うので 袖口が固くピカピカに光っていた 

後でわかったが 当時食料不足であり 栄養失調が原因だった

 

米穀通帳があり配給制だった

 

いつもお腹を空かせていた

戦時中 欲しがりません勝つまでははという標語があった 

かなしい思い出です

私の小学生時代

子供の数が多かった 男女混合で一組50人くらい 男子が級長

女子が副級長を務めた 私は副級長だった 

副級長の役割は出席簿と生徒の生活管理だった

体調に変わりはないか観察し先生に報告すること

 

ある時てんかん発作を起こす子が転校してた来て私の隣の席が当てがわれた

転換の発作をおこすと授業中大声を出して立ち上がり 発作が収まると必ずおしっこをして収まるのだった

私の席の横にはモップとバケツが置かれていて掃除した 副級長の仕事だった

 

勉強は楽しかった 

 

家に帰れば母親の手伝いが私の仕事

勉強しなさいなどと言われたことは一度もない