私の趣味は算数と絵を描くことの2つ

絵を描くことは塗り絵から始まつた 母親にねだって塗り絵を買ってもらった出来上がった絵を店に持ってゆくと 店の掲示板に貼ってくれた  

学校に持ってゆくと校長室に飾ってくれた 

 

算数は遊びだった 夢中になつて算数の問題を解いていると 母親がもう寝なさいと電気を消してしまった 外へ出てみると月の明かりで数字は見えたが やはり母親の言いつけを守るいい子だった

 

数学の力は突出していた お金持ちの友人のご相伴で数学の先生のお宅へ通ったことがある 勿論月謝は無料だった

 

 

 

私の家のベランダから小学校が良く見える

以前は放課後 賑やかな声が聞こえてきたが今は静かだ

マスクをしているせいらしい

 

いつまでこの生活がつずくのか

マスクなしの生活に早くなってほしい

 

そして子供が伸び伸びと遊べる時が早く来てほしい

昭和32年に長女 34年に長男を出産した 

 

長女を出産した時は 

出産は富士山を上るほどの体力を消耗するからゆゅくり休んだ方が良いとのことで  

20日ほど横になっていた 

 

ところが長男の時は 出産は病気ではないと 翌日からトイレへ自力で行かされた

 

其の結果は?

 

長男出産時 1週間で退院できた  

わずか2年の間にこれほどの違いがあったこと 記しておかねばならぬ 

私の子供の頃の遊びはどんなだったでしょうか

 

かくれんぼ ゴム縄跳び 陣取り合戦 等思い浮かぶ 私は算数問題を解くのも遊びの1つだった

 

算数問題を解くのに夢中になり 母親に もう寝なさいと電気を消さてしまったこともある

算数好きは後に 私の人生にに大いに役立った 

 

 

もうすぐ8月15日がくる お盆の中日ですね

でも忘れがたい終戦記念日でもある

 

女学生の時 3年生までは授業があったが 4年生になった年から学校ではなく軍需工場に狩りだされ工員として働いた 勤務手当は授業料に充てられた

 

空襲警報が鳴ると一目散に ちり散りばらばらに工場から逃げた

 

沖縄を占領したアメリカ軍は頻繁にB29 を飛ばしてきた 人が眠りにつく時間を狙ってやってきた

 

ある晩のこと空襲警報が鳴り響いていたが 防空壕に入らず うたた寝をしていたら ドガンと大きな音がして家が大揺れした

 

暗いので翌朝見てみると大きな爆弾が横たわっていた 不発弾だった  

もし不発弾でなく爆発していたら   今の私はこの世にいない

 

私の耳には2つの音声が離れない  

一つは敗戦を告げる陛下のお言葉 もう一つは開戦を告げたアナウンサーの声

人の不幸をかぎとって言葉巧みに近ずいてくる布教使

私の子供の頃ずっと悩まされていた

 

母が大事な次男をなくした それを聞きつけた布教使が近ずいてきて

身体を抱くように寄り添った そして家族の健康のためには教会に献金するよう勧めた 〇○教であった 

母は藁をもつかむ思いであったことでしょう 日常の生活費を切り詰めて御金をため献金した

 

それを知った父親は面白いはずはない 夫婦喧嘩が始まつた  

私の子供の頃は毎日のように夫婦喧嘩を見て育った

 

悲しい子供時代であった  

 

 

私の子供の頃 まだ水道電気ガスなどは通っていませんでしたが

ようやく電機が通り文明の夜明けが来ました

ガスなどは一部の金持ちの階級のみ 一般家庭には夢の中の物でした

 

水は近くの協同井戸からくみ上げて台所の大甕にためて使っていました

木造2階建ての家でしたが台所は土間でしかも母屋の外でした

 

冬はおおきな火鉢に火を入れて 家族全員手を温めて暖を取りました 

冷暖房設備など思いもしませんでしたし 出来ませんでした

 

文明を肌で感じて生きてきました 昭和2年生まれ96歳になります  

 

 

 

 

私の女学生の時は戦争中であった 学校での授業はなく軍需工場に通って飛行機のエンジンを作る作業をしていた

卒業してもそのまま 工場で働くことに決定していた

 

それはかなわんと逃げ出すことにした

 

当時男性教師は戦争に狩りだされ教員不足であり臨時教員養成所が設けられていたので受験し合格して小学校の教師になった 同じ考えを持つ人は多く難関でであった 確か50人に一人の合格率だったと思う

終戦を告げる陛下の御声は小学校の職員室で聞いた

 

それから猛勉強して 上の学校へ進んだ 私の様子を見ていた妹2人も続いた 

 

セコハン娘のわたし なんでも姉のお古で 新しいものを買ってもらったことがなかった

ところが1年生になる少し前

朝起きたら枕もとに 新しいランドセルが置いてあった 驚き喜んだ 

 

立派なつくりではない品物であったが小ぶりの私には丁度良かった 

教科書も改定されたので 正にピカピカの1年生になつた・・・・

 

勉強しなさいと言われたことはない いつも母親の手伝いに狩りだされていた

だから 女の仕事は何でもできる

 

例えば 今のように羽根布団はない時代だったから家族全員の順番布団つくり替え

ほどいて洗い張りし又縫い上げて打ち直した綿を入れて仕上げる 母と2人でこなした

 

 

女の仕事は忙しかった

 

兄姉妹5人に一つだけ勉強机があった

引き出し一つが私用 石ころや がらくたの宝物が入っていた

 

家での教育は0 頭は飾りではない考えなさい と言われて育った  

自分も年を取ってわかった

同じ話を何度も繰り返して相手を困らせるグジグジ話 これの解決方法がある

逃げ腰をやめて 時間を作つて一度 しっかり聞いてあげること 

 

いつもはまた始まつたと逃げ腰になるが ゆっくり時間をかけて話を聴いてあげることである

これで解決すること うけあいです