6年前。

 

わたしが

はじめての妊婦のときだった

 

毎日

大きくなっていく自分のカラダが不思議で

お腹の赤ちゃんが愛おしくて。

たまひよ時代でもあり。

未設定

26歳だった。

未設定

ごくごく平和に♡

(何も知らず。)

日々を過ごしていた、あの頃。

 

 

そんなある日の

3月11日の前夜。

 

 

我が家で飼っていた

わたしの愛犬

黒パグのバービーが

(長女が犬アレルギーのため現在は葉山のおじいちゃんおばあちゃん宅に。)

 

いままで見たこともないような不穏な様子をみせた。

 

家中の

窓という窓を

 

外に何かある!

何かから逃げなきゃ、ここから逃げなきゃ!

 

っていうようなそぶりで

 

必死にキャンキャン鳴き喚き

せわしなく外をけん制するかのように駆け回っていて。

 

それが

まったく今までにみたこともない焦りようで。

 

 

ほんとうに外に何かいるのかと思って!!

わたしまで怖くなって

わざわざ仕事中の旦那に一時帰宅してもらって

一軒家の周りを旦那にぐる~っと確認してもらったほど。

(けっきょく不審者でもなんでもなかった。)

 

あのおかしな様子が、ずっと不思議で。。。。

 

 

 

その翌日の・・・

東北大震災だった。

 

 

動物の能力でなら

なにか人間に見えないものや、人間に聴こえない周波数の音など

なにかが、聴こえていたのかもしれない。

(と、いまでは思える。)

 

 

あの瞬間。

 

お腹に赤ちゃんがいたわたしは

 

横浜の自宅で

昼寝をしていた。

 

午後2時46分

 

 

 

まさに爆弾が投下されたかのような

爆発的な音と揺れに飛び起き!

 

 

キッチンでは

食器棚のグラスが割れる音

電気が落ちて割れる音。。。

 

ガッシャーン!

すさまじかった。

 

 

 

このときにお腹にいた我が子は

現在、5歳。

 

 

このときの壮絶なときのことを

 

いま、幼稚園のママたちと

(みんなあの頃の妊婦だった。)

 

それぞれが妊婦という身で体験した出来事とともに

語り合ったりする。

 

 

 

 

あの震災から

3ヵ月後―。

 

 

主人の会社からの寄付金

 

主人と私とで

直接、被災地の多賀市の市長さんへと届けに行かせていただいたことがあった。

 

(被災当時の多賀市役所のようす。)

中国からの、応援メッセージなど。

全国からの、手紙や千羽鶴。

 市役所の事務のみなさんも、私たちににこやかに対応してくださりながらも

ほんとうに御忙しそうな、緊急態勢だった。

 

左側が、多賀市の市長さん。

毎日、激務でほとんど寝ておられず、とてもお疲れのご様子でした。

(右側の方が、今回主人と私を車で案内してくださった方です。)

 

市長さんは

街のあちこちで人がお亡くなりになられていて

まだまだ(日に日に)死者数が増えている、とてもお辛そうにおっしゃっていました。

車で海岸のほうへ被災地の様子を見に連れていってくださいました。

 

(そこで、写真はわたしが撮ってきたもの。)

ここは、住宅地だったよう。

 

家の基礎もろとも、流され去り。

どれほど凄まじかったことかが、伺えます。

 

よく、中東で起きている、テレビで見る戦争の

空爆を受けたあとのような状況にとてもよく似ています。

家の門だったところです。

震災が起きる瞬間まで、普通にここでご家族が幸せに生活していたんです。

木もへし折れ、ガードレールもこれほどまで。

コンクリートの基礎までえぐれて流されています。

鉄筋コンクリートの工場も、この状態です。

 

駅。

 

あれほどの震災にもかかわらず。

 

震源地では

ビルも高層マンションも、建物もなにもかも、倒壊はしておらず。

 

耐震?

駅周辺では、みんな普通に生活をされていた。

 

 

津波によって流されたもののすさまじさ。

 

 

 

 

 

 

 

 

帰り。

 

テレビだけの映像では

みえてこないものが

 

自分の目で見て、足で歩き、触れてみて

・・・

 

 

もやもや(´;д;`)

(仙台駅の駅ビル。)

 

 

震災があった日

NHKのニュース

 

今回の地震は、3回たてつづけに起きたって言ってた。

それも、とっても不自然で、自然な地震の起こり方でない、というようなことも。

 

ドン、ドン、ドーーン!!(3回)

 

 

だけど、あとから地震は一回で、マグニチュード9!だったと。

 

 

 

今回の被害のようすは

津波によるものだけだったんじゃないかと

現場でわたしには見えた。

 

(わたしが小学校4年生のときに起きた、阪神淡路大震災のときは、東日本大震災よりも弱いはずの震度なのに、家屋も高速道路もみんな倒壊している映像がテレビに流れていた。

ずいぶん、日本の耐震精度って、高くなったんだなーっ。?)

 

 

帰りの新幹線では

わたしの地元、ぐんまからも、仙台に応援の旗が並んでいた。

 

自衛隊のおじさんたちも、まだまだいっぱいいた。

 

さて。

 

 

あれから6年。

 

32歳になった。

image

 

 

未来の自分な

いま。

 

 

この6年で。

 

子育てを通して

さまざまなこの社会のトラップに気付かせていただき。

(予防接種の詐欺、医療の詐欺、産婦人科の詐欺、小児科の欺瞞、、、、)

 

 

 

この

赤ちゃんという命を授かったことで

その命と真剣に向き合ってきたことで

母乳育児というたったひとつの真実を守り通してきたことで

 

その母乳育児を通して

まさかの

ひとつひとつの真実と向き合わさせていただきました☆

(あれ?っていう現実社会に、やっと気付かされていくのでした。)

 

 

あっ、戦争は終わってなかったんだ。

 

(日々、現場の母親としてノイズの数々と戦ってもいるわけだ。子宮頚がんワクチンっていうテロとも身近だ。)

 

 

日本が戦後からずっと

(もっといういと明治からずっと)

実質的に植民地にされている状況が

 

子育てをしている自分の立場になってやっと

自分のこととして

フツーに実感させられるようになった。

 

 

ずーっと続いている、戦後のGHQの日本人への政策。。(あれやこれや)。

(予防接種だの、歯のフッ素塗布だの、粉ミルク育児だの、牛乳だの、添加物だの、産婦人科の存在だの、もう、母のまえにはキレーイにすべてのテロがやってくる。詐欺師は紳士面をしてやってくる。)

 

いま

この自分の目の前の赤ちゃんの命(健康)

真剣に考えて子育てしていたら

 

もう、いちいちそうやって毎回やってくるそんなノイズたちが何者かっていうことは

いやでも観える。

真実から目を反らせられない。

 

 

赤ちゃんの命を、守ろう!健康に育てよう!

って本当に思って母親やってたら

あとは勝手にもう、自然に

真実のほうから、答えをひっさげてやってくる―。

 

 

 

 

いま、もういちど振り返る。

゚・*:.。..。.:*・゚゚東日本人工地震証明・*:.。..。.:*・゚

 

 

 

動画の最初の14分で

国際社会では、人工地震を起こせる兵器の存在は、常識です。”っと、国会にて。

 

日本中の地震学者たちが

東北大震災は自然に起こる地震ではない!と断言。

 

地震による津波のすべり方が

地震のすべりではなく、水爆の爆発のすべり方!

 

震源地は(水爆現場)は、

 

福島原発の管理をしている会社が

イスラエルマグナという兵器会社だった件。

 

14分間、ちょっと見てみてください☆

↓ ↓ ↓ ↓

 

こういうテロとわからないように起こしてくるのが

この現代版のやり方なんだよね。

 

 

これでも自然災害だと思いますか??

5分の動画!

 

 

 

 

 

 

最後には

赤ちゃんを守る母の感覚(直感)

この先もすべてのトラップをくぐりぬけていけるはず。

 

 

いま

わたしも

食医ママ という自分の在り方が

わたしにとって

そういうすべてのノイズやトラップに対してすら

最後まで正しいほうへと導いてくれる。

(真実を、自分のなかで追求しつづけながら真実の答えに辿りつかせてくれる感覚。)

 

 

 

そうやって、これからも

子供たちの命と健康を守っていきたい♡

 

 

 

 

 

 今日も、すべてのママと子供たちが元気いっぱい、笑顔いっぱいでありますように―♡