玉ねぎや大根を煮込むと、素材そのものが溶けて旨味になる。主張しなくても、時間と工程の中で自然に滲み出る。

作者の個性も、それに近い。

個性とは声の大きさではない。「私は個性的だ」と叫ぶことでもない。文章や表現を積み重ねるうちに、どうしても消えずに残ってしまう成分――それが個性だ。

AIの文章は、出汁がよく取れている。破綻がなく、読みやすく、親切だ。ただし癖がない。多くの人にとって不快でない最大公約数に調整されているため、記憶に残りにくい。

もちろん、人間でも平均的な文章は書けるし、AIでも意図的に癖を作ることはできる。それでも、自分の人生を通して煮込まれた感情や違和感だけは、本人にしか用意できない。

個性はよく「熱量」と言われるが、必ずしも熱くある必要はない。怒りや興奮だけが熱ではないからだ。

何度も同じことを考えてしまう執念。 手放せない問い。 誰にも頼まれていないのに続けてしまう思考。

そうした低温の熱こそ、文章を長く支える。

その人にしかない旨味は、多くの場合、過去に痛かった経験や救われた瞬間、他人が軽く流す違和感の中にある。むしろ本人が「普通になりたい」と思って消そうとしてきた部分に、最も濃く残っていることが多い。

SNSで生き残るとは、必ずしもバズを起こすことではない。けれど、代わりのきかない人として記憶される確率を上げることはできる。

尖るより、煮込む。 煽るより、続ける。

同じ温度、同じ視点、同じ言葉の選び方を保ち続けた人は、いつしか「あの人の味」として認識される。