街外れに、いつも心地よい音楽が静かに流れている不思議な建物があった。

そこは、人々の想いを調律し、現実に共鳴させる職人アストラル・チューナーの工房だった。

そこにウチキという女性が訪れた。

ウチキは、ボロボロに傷ついていた。

恋愛が上手くいかない。

理想の彼と出会いたい。

そうすれば、きっと、幸せになれる。

ウチキは藁をもつかむ気持ちで願いを叶えてくれると評判のアストラル・チューナーの工房を訪ねたのだった。

ウチキは震える声で言った。

「チューナーさん、もう男に裏切られるのはイヤです」

ウチキはうつむくと涙がにじんできた。

「わたしを否定しない、完璧な光のような人を望みます。リストも作ってきました」

ウチキが差し出したのは絶対にゆずれない条件が書かれた羊皮紙だった。

​常に笑顔であること。私の価値観を尊重し、決して否定しないこと。感情的にならず、安定した生活基盤を持つこと。

ウチキは自信をしぼり出すように言った。

「これで完璧でしょう」

チューナーは静かにうなずきながら、ウチキの奥に微かに響く不協和音を感じていた。

………どうせ、本当のわたしを見せたら、きらわれる。

チューナーはリストを閉じると静かに言った。

「ウチキさん、あなたの想いは受け取りました。しかし、覚えておいてください。現実は、あなたが書いた【文字】に共鳴するのではなく、あなたの心の奥底から響く【最も強い音色】に共鳴するのですよ」

​数週間後、ウチキの前にカメンという男性があらわれた。

カメンは、ウチキのリストそのままの人物のようだった。

カメンは、いつもウチキを包み込むような優しい言葉をかけてくれた。

ウチキが何を言っても、カメンは何も否定しなかった。

ウチキは心から喜んだ。

……やった!! これで幸せになれる

しかし、その幸せは長く続かなかった。

​ある日、ウチキは仕事で大きな失敗をした。

ウチキはカメンに心のうちを打ち明けた。

「わたし、もうダメかもしれない。どうしたらいいと思う?」

カメンは静かに微笑みながら、優しく言った。

「それは大変だったね。でも、大丈夫だよ。ウチキの考えは間違ってないよ」

それを聞いたウチキは気づいた。

……この人は、本音を話してない。いつもわたしに合わせてるだけ。

​カメンは、理想的で完璧なのだけど、まるで「中身のない霧」のように感じられた。

近づいても、何もつかめない。

感情の熱が伝わってこない。

……思ってたのと違う!!

ウチキは困惑しながら、また、チューナーの工房を訪れた。

ウチキはややヒステリックになっていた。

「どうしてですか、チューナーさん! 彼はリスト通り、完璧な人なのに、なぜ私はこんなに満たされないのでしょう!」

チューナーは飲みかけのコーヒーを一口すすると、静かにコップを置いた。

「ウチキさん、彼はあなたの想いの最も深い部分を正確に映し出しているのですよ」

 「どういうことですか?」

「あなたは、決して否定しない人を強く望みました。それは裏を返せば、自分の弱さや醜さを誰にも見せたくないという、あなた自身の心の叫びです。過去の経験から、あなたは本音を出すことが危険だと思うようになった。そして、あなたは本音を心の奥に閉じ込めてしまったのです。あなたは、否定されないために【中身のない霧】を演じていたのです」

​ウチキはハッと気づいた。

カメンの感情の無さは、感情を出すことを恐れているウチキ自身そのものだということに。

カメンは、ウチキが心の奥底で演じていた完璧で感情のない自分を忠実に映し出す完璧な鏡だった。

チューナーは隠された答えを教えるように言った。

「カメンは、あなたが表面で望んだ理想の恋人としてではなく、あなたが自分自身と向き合い、恐れを乗り越えるための【調律師】としてあらわれたのです。あなたの想いが連れてきたのは、あなた自身の【課題】なのですよ」

ウチキは工房を出ると、真っ先にカメンの元へ向かった。

……あ〜、やっと気づいた。仮面ばかりかぶっていたわたし。カメンも、仮面をかぶっていたのね。

ウチキはこれからどうすればいいのか、目の前の霧が晴れるようにわかった。

​カメンはいつものように優しく微笑みかけ、ウチキの手を取ろうとした。

しかし、ウチキはそれを避け、初めて心の内を全てさらけ出した。

「カメン! わたしは、あなたがいつもわたしを尊重してばかりで、何も意見を言ってくれないことに腹を立てていたの! あなたが微笑んでも、わたしの不安は解決しない。わたしは、あなたの本音が聞きたいの!」

ウチキは叫ぶように言った。

カメンの前でそれほど感情的になるのは初めてだった。

​カメンは突然、雷が鳴ったような衝撃にとまどった。

そして、ふぅーとため息をつくと、ゆっくり言った。

「ウチキ、君のそんな姿を見るのは初めてで、びっくりしたよ。君が否定されたくないとわかっていたから、僕はいつも君を肯定しなくちゃと思っていたんだ」

​カメンは、息を大きく吸うと、テーブルを強く叩いた。

​「本当は、君が悩みを話すたびに、僕の中にも激しい意見があった。君の考えは少し甘いとか、もっとこの方向でアプローチすべきだとか……でも、僕は君が求めた決して否定しない人であろうと、その意見を必死で押し殺していたんだ!」

カメンの目には、生き生きした光が輝いていた。

「僕だって、君が求める完璧な鏡を演じるのがずっと苦しかった。僕も君の弱いところを知りたいし、僕自身の意見を君とぶつけ合って、初めて君と対等な人間として向き合えると思っていたんだ」

ウチキはカメンを抱きしめた。

2人は仮面を脱ぎ捨てて、お互いに本音を話すことにした。

ただし、相手への思いやりをいつも忘れない、という条件をつけて。