はるか遠い昔、スナオという存在がいた。

スナオは、魂の最終試験に不合格になり、消滅することになった。

最期に、審判が言う。

「思い残すことは、ないか?」

スナオは、頭を下げる。

「ありません。私は精一杯、生きました。不合格になりましたが、悔いのない生でした」

審判は、さらに続ける。

「君はよく頑張った。ただ、足りなかった。もう見込みはないと思われたのだよ。ギリギリのところでね。本当に後悔しないのか?」

スナオは天を見上げた。

「十分に楽しませてもらいましたから。いろんな感情を味わいました。足りなかったことは残念ですが、やりたくなかったんですよ。ダメだと知りながら。だから、しょうがないです」

審判は、まだ、やめない。

「君を残すか残さないか、ずいぶん、議論を重ねてね。推す人もいたし、ダメだと言う人もいたし…どうだ? 君が良いなら、消滅をやめてもいい。もう一度、チャンスをやろう」

スナオは、素直に言った。

「本当ですか? それは嬉しいです。できるなら、また、大変なところへ送ってください。また、挑戦したいです」

審判は喜んだ。

「本当は、君を消滅させたくないんだよ。素直だからね。やるべきことを普通にやればいいだけなのに。この変人め」

スナオは笑う。

「普通がつまらないんですよ。アホなことをアホにやるのが、私のやり方です」

審判は、怒りに震えて、涙を流した。

「その性格のせいで、どれだけの人が迷惑したと思う? 普通にすればいいだけなのに、イレギュラーなことばかり。本来なら余裕で合格なんだぞ。それが、消滅の議論までさせて」

スナオは、しょんぼりした。

「すみません」

審判は、気を取り直した。

「まあ、いい。君の希望通り、厳しい星へ送ろう。今度の星は『地球』だ。制限の厳しさは宇宙一。そこで、頑張りなさい」

スナオは「はい!」と元気よく答えた。

滅びた惑星シリウスの最期の王子だったスナオは、地球に転生した。

初めに降り立った場所は、エジプトだった。

スナオは、記憶を無くし、翼を折られた。

すりむけば痛い肌とわずかな力しか無い腕。

スナオに物心がついた頃、コミュニケーションに問題を抱えていた。

シリウスではテレパシーで会話ができた。

地球ではその能力が使えない。

スナオは、みんなが何を話しているのかわからない。

頭の悪い子だと思われた。

しかし、学問では才能を発揮した。

話し言葉はわからないが、文字だと1を聞いて10を知るような能力を発揮した。

ボンヤリした見かけと、文字を書く時のギャップ。

スナオは、見習い書記官になった。

スナオは、上司のトートと出会う。

トートはスナオをちらっと見て言った。

「君には心がわからない」

スナオには、ちんぷんかんぷんだった。

心を大切にしているつもりだったから。

スナオはトートに怒りを抑えて聞く。

「心とは、なんですか?」

トートは、スナオを静かに見つめて言った。

「文字だけではわからないよ」

そう言うと、トートは立ち去った。

その後ろ姿は、眠りにつく意識を優しく起こすような輝きを放っていた。


ある日、スナオは上司のトートから部屋へ来るように言われた。

「失礼します」

スナオがトートの部屋へ入ると、トートは書き物をしていた手を止め、やわらかな光を放つようにスナオを見た。

「調子はどうかね?」

トートは穏やかに尋ねた。

「まあまあです」

スナオは、感じよく答えた。

「そうか。ここの仕事は魑魅魍魎の世界だ。それをまあまあと言えるのは大したものだな」

トートは、感心したように言った。

「ありがとうございます」

スナオは、褒められたと感じて、頭を下げた。

「私は石を割って生まれた。生まれた時から、石より硬かったんだ。君は見たところ水銀だな。弱すぎて毒にしかならない」

トートの声はスナオの心に染み込むようだった。

スナオは、気持ちを揺さぶられて、頭がクラクラした。

「石からダイヤモンドにするまでがこの地上での錬金術の完成だ。それをメタモルフォーゼという。心を燃やし、結晶を再配置させる。それには心を知らないといけない」

スナオは、トートから神の秘密を明かされている気持ちになった。

「君が心を知るのは、ずっと先のことだ。それまではずいぶん、遠回りしないといけないね」

スナオは、思いきって、トートに聞いた。

「心が何かを教えてください」

トートは窓の外を見ながら、言った。

「言葉にはならないものが心だよ。言葉にしたら、心はわからない」

スナオには、ナゾナゾのようだった。

トートは、スナオの肩を叩いて言った。

「長くなった。今日は帰って、ゆっくり休みなさい。君の旅は、まだ、はじまったばかりだ。試行錯誤も、最後には旨味になる」

スナオには、トートがこの世のすべてを知っているような気がした。

「では、失礼しました」

スナオの後ろ姿を見ながら、トートは思った。

……あれがシリウスの王子か。私の言葉を聞いても欲を出さない。普通は欲に負けるものだがな。君はダイヤモンドになれるか? スナオ。

夕陽が空を燃えるように染め、ピラミッドに影を落とした。



ある日、王家の壺を運んでいたスナオは、うっかりして、壺を落としてしまった。

バラバラに割れて飛び散った壺。

スナオは、凍るような気持ちで死刑を覚悟した。

そこへ、たまたま、トートが通りがかった。

「やってしまったね、スナオくん」

トートは、どこか楽しそうだった。

「申し訳ありません」

スナオは、希望が消えたように、暗い顔をして、うつむいた。

トートは、空中を指差すと、なにやら呪文を唱えた。

時間が逆戻しされる。

壺が割れる前に時空が移動した。

スナオが、ハッと気づくと、壺は元通りになっている。

「ありがとうございます」

スナオは、涙を浮かべながら、頭を下げて感謝した。

「君には、まだ、死んでもらいたくないからね」

トートは笑みを浮かべた。

「ところで、大事なものなんだから、もう少し、慎重に運びなさい。次は、無しだぞ」

「はい! 気をつけます」

スナオは、笑いながら言った。

トートは、すべてを見透かすような目でスナオを見た。

「君の欠点は、軽いということだ。言葉も、行動も、軽い。サソリがひそむ砂漠を歩くように慎重に。油断は、簡単に命を奪う」

スナオは、トートの話を一生懸命に聞こうとした。

「だが、君は、幸運の星の下に生まれた。壺を落としても、私が通りがかるようにね。しかし、それに頼ってはいけない」

スナオは、トートに自信なさそうに聞いた。

「私は、あなたのようになれるでしょうか?」

トートは笑う。

「私になりたいか。そう言ってもらえると嬉しいが、理想が高すぎるかな。君はまず、目の前のことを精一杯やることを考えなさい」

スナオには、少し納得がいかなかった。

「私はいつも精一杯やっているつもりです。これでは足りませんか?」

トートは射るようにスナオを見た。

「満足したら成長は無い。精一杯やっているというなら、もう、あと一歩、頑張りなさい。その積み重ねが、未来を変える」

スナオは、叱られたように感じて恐縮した。

「まだまだ足りないのですね。あと一歩、頑張ります!」

トートは、期待外れの反応であきれたが、その向こうに、スナオの未来が固まっていくのを見た。

「少しずつ、少しずつ、頑張りなさい。君ならできるようになる」

スナオはトートに深々とお辞儀をした。

立ち去るトートの後ろ姿は、いつものように優しい光に満ちていた。


続く