藤田和日郎先生の「うしおととら」にこんなセリフがある。
「満足する死とは?」
それに対する真由子という女の子の答えは…
「泥なんてなんだい!よ」
泥をかぶるのはイヤなことだ。でも、それが誰かのためなら、泥なんてなんだい。
自分が汚くなっても、それで助かる人がいるなら、泥をかぶろう。
自分の命を失うことになっても、それで助かる人がいるなら、命を捨てよう。
それが…満足する死ではないか?
メメントモリは、死を思え。
死に面するとき、自分のこれまでの人生を振り返る。
満足できる人はいるのだろうか。
ほとんどの人は、後悔や未練や不満足な思いを駆り立てられるだろう。
満足する死は、それほど難しいものだ。
人のために生きることは美しい。
それは、そうすることが、難しいとわかっているから、そうするべきだとわかっていても、できない。
仕事で、お客さんのため、精一杯がんばる。
家族のため、身を尽くして働く。
自分のやりたいことをやりながら、それが誰かを喜ばすことにもなっている。
生きるのは、死ぬためだ。
どんな思いで死を迎えるか、そのときのために生きている。
メメントモリ。
死を思いながら、生きることを考える。
