幸せは、誰かの幸せを願うこと。


自分のための幸せではない。


職場や家庭で、誰かの幸せを願うとき、働いたり、教えたり、思いやったりする。


そういう人は、大事にされるし、家族が笑顔になれば、自分も幸せ。


自分のための幸せを考えるとき、自分さえ良ければいい、という風になってしまう。


職場の人や家族から嫌われて、幸せになれないわけです。


そうはいっても、みんなのために働くばかりで、それが当たり前になり、搾取されるだけで、何もリターンがない。


それでは、自分は幸せになれない。


言いたいことを主張したり、たまには休みをもらったり、仕事を分担してもらうことも、幸せには必要なこと。


わがままを言ってもいいのだと思う。


それが正当な願いなら。


誰かの幸せを願うことと同じくらい、自分の幸せも願う。


簡単にかききえてしまう幸せの灯りをそっと抱えながら、コロナ禍を生きる。