さて私の原点となる、神社の目覚めとなるキッカケとなった、御岩神社です。
以前のブログで少し触れましたが、私は某学会の2世として、産まれ育ちました。
日本の神道は悪。謗法であり、行けば罰が当たり、祈れば地獄に堕ちると、徹底的に刷り込まれました。
なので初詣など、御岩神社に出会うまで行った事もありませんし、天照皇大御神も「てんしょうこうたいおかみ?」なんて読んだりして、全く持って無知でした。
勿論、菊の御紋を見たら、思想の強いあちらの団体のイメージが強かったり、日本国旗もあまり良い印象もありませんでした。
日本人なのに、お恥ずかしい。
ですが、遡る事10年以上前でしょうか。
たまたまテレビで紹介された、御岩神社の特集を見て、何故か惹かれ、あれほど刷り込まれていた固定観念を断ち切り、吸い込まれるように御岩神社に訪れました。
今でもハッキリ覚えています。
参拝の作法も知らず、鳥居を潜る際はお辞儀をする程度の知識しかなく、鳥居を潜り、参道を歩いていたら、「あっ神様っているんだ。」と確かに感じさせられました。
その出会いから、1年もしない内に再び御岩神社に訪れ、それからは毎月参拝させて頂いてます。
私は多分霊感はないと思います。
なので理屈ではなく、何がどうとかの説明はできません。
ですがあの時ハッキリと感じました。
神様っているんだなって。
それからは不思議と、今までは歳の瀬になる度に、「来年はいい歳になるといいな。」と思っていたのが、「今年はいい歳だった。」「産まれてきて良かった。」と思えるようになりました。
少し気持ち悪い話ですが、某学会にいた頃は、お題目を一日10時間唱えようと、それを3日連続で続けようと、一万遍唱題を何度達成しようとも、折伏と言う勧誘をしようと、財務と言うお布施をしようとも、選挙で某政党を支援しようとも、いつも死にたくてたまらなかった私の人生は、御岩神社に出会う事で一変しました。
某学会は、親から授かった呪いでしか無かった事に気付かされました。
しかし私にとっては呪いでありましたが、それを信じてる人の事は否定しません。
只もう2度と関わってほしくはありませんが。
まぁしかし、某学会にいた事も全て無駄では無かったと思います。
信心を学べた。と言う点では、今の神社に対する向き合い方に、物凄く活きているので。
逆に言うと、某学会を一旦通ったからこそ、神社の素晴らしさに気付けたと思います。
またある意味では、家庭環境がかなり複雑で普通に考えれば真っ当に育つはずも無かった私達家族ですが、こうやって過ちを犯さず育ててもらえたのも、信心があったからだとも思える部分はあります。
御岩神社は有名な神社ですので、様々な逸話がありますが、ご利益等の損得勘定を抜きにして、只行ってお参りするだけでも元気が出る場所だと思います。
良いことがある、と言うよりは行くことで活力が湧いてくる。そんなパワーがある場所だと思います。
こちらの神社ですが、本殿の裏から御岩山に登れるので、是非登ってみて下さい。
私は天候等の影響で、入山禁止になってる時以外は、AM06:00から登山出来るので、一番に登るようにしています。
誰も居らず、空気も澄んでいて、しかも山頂は昼間は人が多くて、休日はごった返しているのですが、この時間であれば、大体独り占め出来ます。
まぁ今更私が紹介するほどでもない程、有名な神社ですが、これがキッカケになれば幸いです。












男性の方を筆頭に、女性の方が5人程いらっしゃる団体さんだったのですが、確か同じ月に恒例の御岩神社に参拝に行き、登山した後参道ですれ違った団体さんに妙な既視感がありました。
どっかで見たような気がしたのですが、駐車場で確信しました。
岡山ナンバーの白のハイエースが停まっていて、「あっ!出雲大社にいた団体さんだ!」っと。
もぅ気付いた頃には、少し時間が経っていたので、わざわざ追いかけて声をかけるのも、なんかなぁ。と思い、島根県から茨城県までの、長い距離を超えた不思議な偶然を独りそっと心に閉じ帰りました。
ですがあの時、やっぱ声かけとけばと少し思うのですが、これも縁です。
また縁があれば、会うこともあるでしょう。

