「世の終わりが来る!」
〜「ヨハネの黙示録」私訳と講解〜
奥山 実 著
マルコーシュパブリケーション
すっかり秋になりましたね。
今年は雨が多いですが、今日は久しぶりに晴れました。
やはり青い空と白い雲は良い!
気持ちの良い一日てした。
さて、そんな暑い夏の終盤、私が毎日読んでいる聖書の通読箇所が「ヨハネの黙示録」
になりました。ここはまだ実現されていないこれからの世の終わりについての預言の書です。
それだけに難解な箇所でもあります。
しかし黙示録とは
Revelation(レヴェレイション)
元々(語源)の意味は、ギリシャ語の 「アポカリュプシス(apokalypsis)」 で、「覆いを取ること」という意味です。
覆いを取る時、ゆっくりと覆いがはずされるイメージがあるのですが、そんな意味で少しずつ明らかになっていく様子がうかがわれます。
そして最近になって更に明らかにされつつある事柄も見えてくるようになりました。
しかしながら、預言書だけに勝手な解釈は危険です。
今回は、奥山実師の本を参考に一章ずつ読んでデボーションしました。
この本の初版が2002年なので既に24年前に出されたものですね。
当時は2001年9月11日にアメリカ同時多発テロ事件が発生し全世界が大きな衝撃を受けました。その後、イラク戦争へと発展
10年後、2011年
東日本大震災による福島原発事故
2020年、米大統領選におけるバイデンジャンプによる不可解な投票結果、トランプ敗北。
(この時点で疎い私でもこの世の中、背後で何か大きな組織が動いている?と思うようになりました)
そして2019年、冬
新型コロナウイルス発生
2021年.新型コロナワクチン接種開始
このような情勢の流れの中、グローバリストの存在、福島原発など原子力発電所の問題などが浮き彫りになってきますが、
奥山師は2000年当時からこの本にも記されているように、原発の危険性、ロスチャイルドの存在等について発言されており、今現在、これらの問題が浮上しているだけに先見の明があるなぁと改めて感心しました。
黙示録の解釈は諸説あり、奥山師の解釈も様々な相違点はあるでしょうが、奥山師曰く
皆、何年も真剣に研究されたものであるから、「違う」と一蹴せずに受け留めていくことが大切であると説明されており、その点は同意見ですね。
黙示録は携挙から取り残された人々が患難時代をどのように生きるべきか道を示し、また希望を示した書です。
「携挙」というとクリスチャンでない人は意味がわからないと思いますが、聖書によると、
すなわち、号令と御使いのかしらの声と神のラッパの響きとともに、主ご自身が天から下って来られます。そしてまず、キリストにある死者がよみがえり、
それから、生き残っている私たちが、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられ、空中で主と会うのです。こうして私たちは、いつまでも主とともにいることになります。
(テサロニケ人への手紙 第一 4:16-17 SKY17)
それから、生き残っている私たちが、彼らと一緒に雲に包まれて引き上げられ、空中で主と会うのです。こうして私たちは、いつまでも主とともにいることになります。
(テサロニケ人への手紙 第一 4:16-17 SKY17)
私はこれを「空中再臨」と呼んでいるのですが、終わりのラッパが鳴ると、突然クリスチャンたちが主のもとに引き上げられるのです。
ところが、この携挙を信じない人もいます。クリスチャンでも信じない人がいます。
その携挙を信じられない人たちが取り残されてしまい、7年の患難時代を迎えます。
ただ、この携挙がいつ来るのかは書かれていないので患難時代前なのか患難時代の途中なのか、そこは分かりません。
ただ、人類史上経験したことのない患難に襲われますが、その時の為にどうすれば良いのか、その指標となるのがこの黙示録でしょう。
この本にも書いてありますが私自身、直接奥山師から何度も聞かされたのは
「あのね、携挙は信仰なんだよ
信仰なの」
の言葉です。
黙示録は最後に
「見よ 私はすぐに来る」
とイエス・キリストが語っています。
いつ来るのかは分かりません。
聖書に示されていないから。
だから
◯年◯月◯日に来る!
とか既にキリストは再臨された!
とかいうのは全部偽物で異端です。
ただね、近いのですよ。
ホントに近いと思うのですよ💦
携挙は信仰です。
そして歴史は聖書の通りに動いています。たとえば聖書に書かれてあるようにイスラエルも建国されました。そもそもイスラエルが再建されるなんて思わなかった人たちが沢山いたのですから。それが聖書の通りになりました。そして聖書ははっきりと携挙のこと、世の終わりの事が記されています。
携挙の恵みにあずかりたいですね。
いつイエスさまが来られるかは分かりません。
でもパウロやペテロのように
「今日かもしれない」
「明日かもしれない」
と待つ信仰が大切なのです。と奥山先生は強調してました。
私の場合は今日かも、明日かも、そしてあと3年?くらいかも
と勝手に自分の中で思っています。
今日か、明日か、だと何にもできないけれど、
あと3年の間に今の自分にできることは何か?
真剣に考えるようになりました。
(その優先順位のリストの一つが
「積読解消」
)
もう一度言いますが、
携挙はいつ起こるのか分かりません。
しかし、携挙を待ち望むことでやるべきことの優先順位が見えてくるようになるのです。
常に自分の中であと3年しか動けないとしたら何をするべきか、選択しつつ、
そして主の来られる日を備えていきたいです。
マラナタ!
来たりませ!主よ!








