ショッキングな題名をすみませんアセアセ

初回のブログでも書きましたが、私がブログを始めたきっかけは、同級生の突然の死を経験したからです。


私の手術から3ヶ月が経った頃。

私たちにとっては突然の連絡で、同級生が亡くなったと文章が送られてきた時は、何度読んでも理解できませんでした。

「かねてより癌の治療中でしたが」の文。

その友達は、友達に会う時は元気でありたい!と、周りには癌だと言わなかったとのこと。

住む場所は離れていましたが、コロナ前は年に何回か集まったり、女子会をしたり、

コロナになってからもリモート飲みをしたり…

私は彼女が闘病中だったと全く気づかなかったです。知らなかった。

誰にも言わず、「元気になって友達と会うんだ!」と家族と治療に励んでいたと…。


そういえば、ある時から急にベリーショートになって、帽子を被ってたな…とか、

そういえばリモート飲みの時はいつも背景が白い空間にいたな、とか、

もしかしてガンの治療をしてたのか…と後から考えたり。


私たちにとってあまりに突然だったので、

ご家族が火葬前にお別れの会を開いてくださり、

お顔を見ることができました。

お顔を見ることで少し心は落ち着きましたが…

葬儀場に名前が出ているのも信じられない。

お顔を見てもまだ信じられない。


こんな所で同窓会のようにみんなが集まるなんて…

結婚式でなく、お葬式の参列の準備なんて…

葬儀場に次々とやってくる若者に、タクシーの方も驚いてらっしゃいました。


友達が多く、人気者だった彼女。遺影も、明るく元気だった彼女が映っていました。参列が絶えず、職場や友達からのお花、みんなと撮った写真たちが飾られていました。

一緒に入れてもらうメッセージカードには、

「私もガンだったんだよ…?色々語りたかったよ

?」と書きました。


私も号泣、友達もパニックで号泣。

私が癌だと知っている友達から、「るんは元気でいてね…?」と心配そうな声をかけられて、

「癌」という文字を見た時から湧いていた恐怖が溢れ出し、声を出して泣いてしまいました…えーん


その後、ご家族が病状について説明してくださいました。

数年前に発覚。しかし1年で1億人に1人の確率の希少ガン(肉腫だったと思います)で、治療法が見つからず、

途中肺転移して、2回にわたって肺の切除を行った。

苦しい治療を乗り越え、職場復帰。

新年度を迎えた頃、再び病状が悪化し、亡くなる前の1週間で急速に悪化。

とのことでした。


「なんとか憧れだった職を全うしました。」とのお言葉に、ご家族の方もどれだけ辛かっただろう…どれだけの心構えでいないといけなかったのだろう…と思わされ。


歌が大好きで、アカペラサークルに所属したり、

学生時代も「将来は合唱部の顧問になれたらいいな!」と私に夢を語ってくれていた彼女が、

手術で歌うことはおろか、声が出なくなったなんて…。

私は「手術で声が出しにくくなるかも」と言われただけであんなに恐怖だったのに…彼女の恐怖と悲しみはどれだけのものだっただろうか…

と思うと、涙が止まりませんでした。


「どうか娘を、忘れないでやってください」とお父さまが涙を流しながら伝えてくださった。


大好きな友達を蝕んだガンが憎くなったと共に、

私は、彼女のことを他人事だとも、友達事だとも思えませんでした。

自分事に思いました。

私はたまたまガンになった場所が運が良く、たまたま助かっただけ。

彼女と運命が逆になってもおかしくなかった。


そう思うと、居ても立っても居られず。

彼女を側で感じていたいと、四十九日にお花を飾りました。

とても明るく元気だった彼女のように、1ヶ月半も元気に咲いていました。


月命日にはお花を飾ることにしました。

最期の彼女のお化粧の色をイメージしたお花


彼女の死は、私のマインドを大きく変えました。

次回へ続く…