Q:学校での子どもの進歩について日本が欠けているものとは


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”アドラー心理学と教育”【書籍紹介】子どもの教育

”アドラー心理学と教育(ほめること叱ること)”【書籍紹介】②子どもの教育

 

今回は「学校における子どもの進歩」ということをテーマに考えていきます。

これは引用文を元に考えてもらった方がいいのでまず紹介します。

学校における子どもの進歩に関しては、教師と子どもたちの両方の観点を考慮に入れなければなりません。この点に関して、子どもが非常にすぐれた判断力を持っているということは、興味深い事実です。誰がつづり方、絵を描くこと、体育で最も優れているか知っています。お互いを非常によく評価することができます。時には、他の子どもたちに対して正当でないことがありますが、このことを知っていて、少なくとも公正であろうとします。大きな困難は、自分を過小評価するということです。「もう追いつくことはできない」と信じるのです。これは本当ではありません。実際追いつけるからです。判断が誤っていることを指摘しないといけません。さもなければ、生涯にわたる固定観念になってしまいます。このような考えを持った子どもは、決して進歩せず、いつもその場にふみとどまることになります。

周りの評価をしっかりとできるのにもかかわらず、自分は過小評価してしまう。ここは接するときに意識しておきたいことですね。①で書きましたが、「子どもは誤った解釈をしてしまうことがある」ということの1つだといえます。

日本の子どもについて書かれたものでは無いので、日本はその傾向が強いかな。

学校の子どもの大部分はほとんど常に同じレベルにいます。最上位か、最下位か、平均並みであり、そこにとどまったままでいます。このような状態は、頭脳の発達というよりは、心理的態度の惰性を反映しています。子どもたちが、何度か試練にあった結果、自分自身に制限を課し、楽観的であることをやめたということを示しているのです。しかし、このような相対的な位置が時々変わることがあるという事実が重要です。子どもの知的な地位を決定的に支配する宿命はない、ということを示しているからです。子どもたちはこのことを知り、自分の場合にも,このことがあてはまるということを理解するべきです。

この点が日本の教育に欠けていると思います。教科で何か優れている人が偉く、それ以外の人は「生きている価値がない」とまで思わせてしまう。

そうではなく、みんなが価値があり進歩することができるのだから、相対的な位置をもとに行動を制限してはもったいないことを伝えていければなと思います。


今回は教育に特化した以下の本を元に紹介しています。

子どもの教育 A・アドラー著 岸見一郎訳 (1998)

 

読んだのは下の方ですが、新装版として上の本があります。

 

アドラー心理学の本といえば、「嫌われる勇気」や「幸せになる勇気」が有名です。

 

 

今回もお読みいただきありがとうございました。何かのきっかけになれば幸いです。