Q:教育に特化したアドラーの本とは。

Q:まっすぐ立つことができず、何かに寄りかからなければならない子どもの解釈。

Q:アドラーの子どもに対する見方が垣間見える文章。

 

アドラー心理学の本といえば、「嫌われる勇気」や「幸せになる勇気」が有名です。

 

 

この2冊にも教育について随所に書かれていますが、

(というか幸せになる勇気は教育に関する本といってもいいですが)

教育に興味がある人間としては、教育に特化して書かれている本はないかと思い、

見つけた下の本を読みました。今回はそれを紹介します。

 

子どもの教育 A・アドラー著 岸見一郎訳 (1998)

 

 

読んだのは下の方ですが、新装版として上の本があります。

 

この本の中にまっすぐ立つことができず、常に何かに寄りかからなければならない子どもが出てきます。そのような子どもに対してどう解釈すべきで、その子に対してやってはいけないことを以下のようにアドラーは述べています。

子どもたちを教育する旧式の方法、このような合図を理解する旧式の方法によると、このような合図はただ何らかの合図として扱われただけで、その根底にある状況は扱われませんでした。このような子どもにはこういったものです。「いつも何かに寄りかかることはおやめなさい。」

しかし実際には、ここで問題になるのは、子どもが寄りかかる、ということではなくて、いつも支えられていなければならないと感じている、ということです。

たしかに罰したりほめたりすることで、この弱さの合図を出すことを断念するように子どもたちを説得することはできます。しかし、支えを大いに必要としているという気持ちは、そのことによっては満たされません。障害は続きます。すぐれた教育者だけが合図を読みとり、共感と理解を持って、根底にある病気を除去することができるのです。

表出しているものに対して、そのような行動をすることで何を訴えようとしているのか、目的論として考えることが大切であるといっている気がします。

 

 

次の子どもに対する見方というのは大変参考になります。

子どもの成長を決めるのは自分自身に固有の能力でもなく、また客観的な環境でもなく、むしろ外界の実在とそれへの自分の関係について子どもがたまたまする解釈である、ということは重要な事実です。子どもが持って生まれてくる潜在能力が一番重要であるというわけではなく、子どもの状況について大人がする判断もまったく重要ではありません。むしろ本質的なことは、大人が子どもの状況を子ども自身の目で見て、子ども自身の誤った判断で状況を解釈するということです。子どもが論理的にー即ち、大人の健全なコモンセンスにしたがってー行動すると考えてはなりません。むしろ子どもたちが、自分自身の立場を解釈する時に、誤りを犯すということを認める用意がなければなりません。

実際、子どもたちの教育は、子どもが誤るという事実がなければありえないということを忘れてはなりません。もしも子どもがした誤りが生まれつきのものであるならば、子どもを教育するということも、発達させるということもできないでしょう。それ故、子どもの性格特性は生まれつきのものであると信じる人は、子どもを教育することはできませんし、教育すべきでもないのです。

健康な身体にはいつも健康な魂が宿っているというのは本当ではありません。子どもが身体の欠陥があるにもかかわらず、勇気を持って人生に立ち向かう時、病気の身体に健康な魂が宿るということはありうるのです。他方、もしも子どもが身体は健康であっても、逆境が続き、自分の能力についてまちがった解釈をするのであれば、精神的に健康とはいえません。子どもは、どんな仕事でも失敗すれば、しばしば自分には能力がないと信じるようになります。このような子どもたちは困難に対してことのほか感じやすく、どの障害も自分たちの力がないことを確信させることであると見なしているからです。

確かに納得ですよね、子どもは誤って解釈するからこそ、そこに教育という支援が

有効になってきますし、子ども自身の解釈が誤っていることを(時間をかけて)理解させることが教育の力なのかなと思います。

 

今回は、アドラーの子どもの見方について紹介しました。この本は②に続きます。