久々にテレビをつけたら
震災関係の番組で
出てるトコが
ほとんど行った場所。

テレビで観るのと
現地で観るのでは
全く違います。

その場所に行って
そこの道路や空気
観てほしい。

道路には
海から流されてきた
砂があったり
ヘドロが乾燥して
カピカピになっていたり

そして
流された家の残骸が
まだまだ残っています。


大事にしていただろう
ゲームのソフトが
道路脇にあったり
家の飾りものや
ぬいぐるみなどが
まだまだ散乱してますよ。

ある元気な
被災されたオジサンに

『今困ってることって
ありますか?』

と聞いたら

『嫁が見つからない』

と話してました。

奥様が
行方不明のままでした。

ダメと分かっていても

何処かで生きているかも
しれない…

という思いもあり

死亡認定の届けを
出せないんですね。

気持ちの区切りも
出来ないまま
ただ時は
経過してるだけ。


あるところに
家も失い
奥様を亡くされた
旦那さまがいました。

奥様は見付かったけど
気持ちは整理できず
落ち着かないと。



私は時間が不規則で
なかなかテレビも
観れませんが

多くの方は
津波の映像を
観るだけで
胸が苦しくなると
話してました。


その映像を観るだけで
涙が溢れだしてきます。


その気持ちが
久々に観た
津波の映像で
分かりました。

この津波の中に
どれだけの人が
まだ生きているのか…

この津波の中に
亡くなった家族が
いるんだろうか…

そして
津波の中に
苦しんでいる人が
いることを思うと
胸がはち切れそうです。



被災地周りをして
被災された方々と会い

何度も行っていると
身内みたいな
感情が湧いてきて

なぜか
私まで津波から
一緒に逃げて
一緒に助かったような
気分になってます。



何度も足を運び
何度も話してると
本当に喜んで
くれています。

今は物資よりも
人の繋がりが
必要でしょうね。




『また来たよ~アップニコニコ

と元気な声を
届けるだけですが
それが
一番喜ばれていますよ。

9月11日になりました。


震災から半年。


時の流れが

早かったような・・・

遅かったような・・・


3月11日(金)14:46

私は宮城野区の

宮城障害者職業センターに

いました。

以前、産休代替で勤務していたとこ。


そこに相談者の付き添いで

行っていたのでした。


相談に応じてくれていた所長

栗原の方に出張予定でしたが

相談が長引いてしまい

出発予定からかなり遅れていました。


相談終了後

相談者が

トイレに立ち寄ってる間

センターのスタッフと

お話をしたりして

楽しんでました。


廊下で話をしていたら

地震発生。


古い建物だったので

潰れるかと思うほど揺れ

本当に怖かったです。


しかし、相談者がいたので、

とにかく怪我をさせないようにと

相談者の頭を抱えるようにし

窓ガラスのない所へ

揺れている中

少しずつ移動していたのでした。


少し揺れが落ちついてきてから

みんなの無事を確認し

車へ乗り

相談者を自宅まで

送り届けたのです。


パニックを起こしていた相談者。





電気は止まり

信号もストップし

道路、街、全て混乱。


やっとの思いで

家まで送り

自宅へ戻り

子供安否を確認。

その頃には

津波が来ていたと思います。


雪が降ってきて

街並みが白くなり


そして実家へ。


動揺する母親に

民生委員としての役目を果たすよう

在宅高齢者や障害者などの

安否を確認に行かせたのでした。


行かせるまで大変でしたよ。


家の中はメチャメチャ。

母親はパニック状態。


「明日行く」

という母親に

「家が潰れていたらどうするの!!」

「下敷きになっていたらどうするの!!」

「暗くなる前に行け~!!」

と怒鳴っていたことを

覚えています。


しばらくして帰ってきた母親。


みんなの

無事を確認できたと

安心していました。


その時の私に

出来たことは

それ位しかなくて。


津波さえ来ていた事も

分かりませんでした。


知ったのは夜。

埼玉にいる妹と連絡が取れ


「津波で空港が水浸しだよ。」


という事を言われたのでした。


携帯のワンセグを思い出し

携帯のワンセグから

TVを見てその凄さを

知りました。


20時過ぎに

デイサービスに行っていた

祖母を迎えに行き

なんとなく私の役目を終わったかな

と思ってアパートへ帰宅。


ゴチャゴチャしてる部屋の中を

片付ける気にもならず、

寒いので

布団に入り

それでも寒かったです。


夜中に携帯が繋がったので、

とにかくアチコチに

メールを打って

安否確認をしてました。


誰にメールしたのか

分からない程。


県内の人からは

返事は来ず、

出張中で

県内に居なかった人が数名おり

その人たちと

夜な夜な連絡を取っていました。


そんな連絡も1時間ほどで

また不通になるし。


そんな3月11日


昨日のことのように

思い出されます。



夜な夜な連絡を取っていた

Tさんは

出張で東京へ向かっている

新幹線の中で地震発生。


途中の浦和あたりで

下ろされてしまったと。


それから少しずつ

仙台へ近づこうと

なんとか宇都宮まで行き

3日目かな、

原チャリを購入して

仙台まで帰ってきたのでした。


相当寒かっただろうに。


自宅が塩釜なので

家族が心配で

こんな無謀なことを

したんだと思います。



ご家族は無事で

良かったです。


そんなTさん。

同じPSW仲間で、


PSW仲間に良く言われます。


Tさんと私、

やること話すこと

似ているらしいです。


私もそうなるんだろうか?


いや、私は

原チャリで仙台まで

帰って来ないよな~


ヒッチハイクにするかも。



そうそう・・・

震災時は

ヒッチハイクが普通に

ありましたよ。


ガソリンもなく

電車もしばらくストップしてたしね。


バスの再開も

1週間後だったし。


3日は何もかもが

ストップされていた感じです。


そんな震災から半年


今は仮設住宅ができ、


瓦礫も少なくなり


なんとなく落ちついてきたように

見えますが

まだまだ終わっていません。



身も心も疲れていますが

やることが多くて



津波を見ていない私も

心が折れそうにもなります。


時々涙を流すこともありますよ。



タイミングが良いのか

悪いのか


色々とあったばかりで

凹みモードの時に

某TV局の

ディレクターから電話あり

終わったと思っていた

取材の追加取材依頼。

なのに

ちょっと溜まっていたことを

聞いて貰ってしまいました。


連れて行った家の

子供たちに遊ばれるし

散々な取材だったと思います。


とても心優しい

ディレクターでしたよ。


ここ1ヵ月ほど

取材されていますが

放送日などは

全く知りません。


9月下旬なのかな。


全国に流されるようです。








最近、子猫が
来るんですにゃー

餌付けもしてないのに
窓を開けると
猫が座ってたり
寝転んでたり汗

窓を開けてると
侵入してくるし。

見てると
足元までくるし。

何なんだろ?

可哀想だから
餌をあげたいトコだけど
アパートで
飼えないから
我慢して
見てるだけ。



夜は
我が家の前で
寝てるのかな?

時々
ニャーあせる
と呼ばれますガーン

何もしてないんだけど汗

寂しいのかな…
アッチコッチ行っているのに
ナビも付けずにいたら

愛知県から来た
田淵さんが

「ナビがあった方が
良いんだから持ってなさい」

と言ってナビを貸してくれました。

持ち運び可能な小さなナビ。

車でも
徒歩でも使える
優れものです。

被災地で
全く知らない
行ったこともない
細い道を
ガンガン入っていったから
さぞかし怖かったかも

私よりも
車の心配をしていた
田淵さん。

そうよね・・・・
相当、道が悪いし
小さな車なのに
酷使しているかも。

昨日1日で
驚くほどに
ドロドロに汚れました。

夜中の大雨で
少しは汚れが取れるかと
思ったけど
全く取れなかったぁ

時々労わっておきます

ナビ
ありがとうございます。
壊さないよう
気を付けますね

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何もない
分かっていたけど
何もなかったです。
宅地の跡地に
雑草が多い茂り
なぜかとても悲しい気分に
なりました。

まさか半年後に
自分の家がこんな姿に
変わっていると
思いもしなかったはず。

普段と変わらない朝、
3月11日を迎えていたのです。

朝はお天気も良かったですね


「学校が終わったら何して遊ぶ?」

「明日は卒業式だ~」

「今夜の夕食は何にしようか」

「今日は早く帰ってくるね~」

「今日の帰りは遅くなるかな~」

などと会話しながら
家族みんな笑顔で
迎えた朝

普段と変わらず
バタバタとしていた朝

そんな光景が
目に浮かびます。

しかし
そんな何気ない日々は
もう二度と帰ってきません。

3月11日
14:46
地震発生。

この地震では多くの家
多くの命が無事でした。

その数十分後に来た津波

あの時まであった我が家

あの時まで
元気だった父や母、
妻に夫・・・
そして我が子

家族のように
可愛がっていた犬や猫たち。

いったいどこに
行ってしまったんだろか?


さっきまで一緒にいたのに

さっきまで手を握りしめていたのに

目の前で流されていく
我が家
そして人々を
どうすることも出来ない

自分も流され
我が命だけを守ることが
精一杯

雪降る夜を
濡れた服のまま過ごし
低体温になりながらも
何とか助かった。

でも
助けられなかった・・・。

そんな苦しい思い

夢であってほしい・・・

そんな思いは今でも
続いています。

目覚めたら
今までの事は
夢であってほしい
消え去ってほしい
3月11日前の生活に戻っていてほしい
と願いながら夜を迎え

しかし
朝 目覚める度に
向き合う現実

辛すぎます。

家や、命
思い出までを
奪い去った津波

この傷は
癒えるものでしょうか?

前向きに生きよう

そう思っていても
なかなかすぐに前向きに
なれるものではないですよ。

前向きに明るくしている人も
心はみんな泣いています。

心は生きるだけで精一杯。


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瓦礫も綺麗に撤去されてきて
何かを作るんでしょうか?

201109041638000.jpg

ひより山の東側、南側に
土が盛られていました。

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~被災された皆様へ~

生きていてくれて
ありがとう

今は本当に
苦しくて辛いよね。

いくら泣いても
なぜ涙は枯れないんだろ・・・
って思うほど涙が出るよね。

涙が流れている間は
まだ前を見る
時期じゃないんだよ。
そんな時に
先々を考えたら
不安ばかりになってしまう。

だから
涙が枯れるまで
焦らずにゆっくりと
1日を生きましょ。

涙が枯れたときに
きっと前が見えてくるはず。

一緒に生きようね。


4月の七ヶ浜
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201104261540001.jpg

 

その後どうなっているのか
ちょっと立ち寄りました。
昨日の七ヶ浜です。


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201109041525001.jpg
コンテナが
放置されたまま
ボロボロになってました。

断熱材が入っていたんですね。

住宅があった地域は
だいぶ瓦礫も撤去され
綺麗になってましたよ。

海辺は
まだまだでしたけど・・・
綺麗な菖蒲田浜は
以前のように
戻れるんでしょうか・・・


昨日の日曜日
ずっと支援をしてくださっている
田淵さんが来仙し
一緒に被災地を回って
きました。

ずっと気になっていたけど
行けなかった地域にも
行ってみました。
いつも行っていた
北上のさらに奥です。


そしたら・・・
 

こんな感じです。
201109041134000.jpg 

たぶん小学校・・・。
3階部分まで
すっかり抜けてました。
体育館の屋根は
潰れてて
赤い部分が屋根の残骸です。
手つかずのそのままの状態。



201109041155000.jpg 
201109041154000.jpg 
港かな・・・
ボロボロで
これ以上近づけません。

その港から見える海
綺麗でしたよ。

201109041155001.jpg 

ここでは
何が釣れたんでしょ?

震災前に
来てみたかったです。

そして・・・
この自動車を見て
田淵さんと
「震災でこうなったのかな?」
「それとも震災前から
放置されていたのかな?」
と疑問に思うような車が
ありました。
201109041157000.jpg 
よく見ると
タイヤが冬タイヤで
綺麗だったので
津波にかな・・・
と思われます。
もしかしたら・・・
新車だったのか???

持ち主は無事であっただろうか・・・

無事であっても
この車は
悲しすぎます。

大事にしていたでろうに・・・

なのに
今年はひまわりが
あちこちに
咲いていました。

その地域の方々に聞くと
ひまわりは
植えていないのに
咲いたと。
201109041135000.jpg 

そして
このかぼちゃ、
植えていなのに
芽が出て
実りました。

201108301103000.jpg 
どこから
流れてきたものか
不思議ですが
強い生命力に
励まされたような
気分になります。




石巻市北上にある
釣石神社

先日、ちょっと立ち寄り
見てきましたが…

釣石は
震災にも負けずに
無事でしたよニコニコ

タイム日記-201108301241000.jpg

タイム日記-201108301241001.jpg

落ちそうで
落ちない。

この震災で
津波もかぶってます。

なのに
無事でした。

何か御利益が
ありそうですねドキドキ



そして釣石を背に
見える景色は
こんな感じ。

タイム日記-201108301241002.jpg

先日まで
行方不明者の
捜索がされてました。

この日も近くを
捜索してましたよ。

旧北上町役場
あたりかな。


タイム日記-201108301053000.jpg

タイム日記-201108301054000.jpg

やっと写真を
撮れるくらいに
慣れてきた場所です。


だいぶ綺麗に
なりましたよ音符


初めての方は
ショックを
受けてますね…。



でも
自宅に戻って来た
方々は
大変ながらも
頑張っています。


何度も行って

最近やっと
本音をもらして
くれるように
なりました。

『淋しいね…』

『もー疲れた』

『生きてて
良かったのかな…』

等々。


釣石神社に
みんなを
守ってくれるよう
お願いしてきました。

今週の月曜から

水曜日まで

映画上映会を

行いました。


月曜、火曜は

行けなかったけど

いわき市で

行われましたよ音譜


そして最終日の

水曜日は

名取市の仮設住宅で

行ってきましたニコニコ


小さな集会所も

映画館にしてしまう

あみさんの映画チーム。


スタッフはプロの集まりです。


私は何も出来ないから

食べてばかり

寝てばかり


でも今回は寝ずに

みんなと一緒に

映画をみてました映画


しっかり見ると

感動的ですね。


涙が流れそうになりますよ~


夜の上映には

仕事帰りの

保健師さんも

顔を出してくださり

早く帰らなきゃないのに

最後までいてくれました。


誰もが


震災前に観たけど

震災後に観るのとでは

違うね・・・

涙が流れてくる。


と話していました。



映画鑑賞中は

震災のことを忘れ

日常から離れられます。


そして、

震災前の若かりし頃を

思いだしたり

当時の楽しかった思い出も

よみがえり

色々な思いが

涙へと変わります。


その涙は

頑張り過ぎている心を

ほんの少しだけ
癒してくれるのです。


専門家と言われる私も

一人だけの力では

この大きな震災で

傷ついた心を

癒すことはできません。


多くの人の力を借りて


この映画の力を借り


一人でも多くの

傷ついた心を

癒されると嬉しいですラブラブ




今回は写真を撮るのを

忘れていました汗


昨夜

前々回の写真が

映画チームのスタッフ

伊東さんから

送られてきたので

それを載せたいと

思います。


熟睡中の私・・・ぐぅぐぅ


タイム日記


第3回目 最終日ですね。


隅っこで寝ていたら

撮られていましたガーン










先週、車の運転中に

仕事用の携帯に着信携帯


登録してない人からで、

でも、最近は色んな人から

電話が来るから


「だれだろ~?」


と思いつつ

車を停めて出てみました携帯


普段は電話の着信さえ

気付かないことが頻繁に

あるんだけどね。


そしたら、

あるソーシャルワーカーの

仲間からでした。


近況報告やら

被災者支援のことなど

色々話して

「んじゃ~パー

と終わると思いきや


「そろそろどう?」


「時間作れる?」


スクールソーシャルワーカーの

依頼だったのです。


時間はあるとは言えない

今の状況で


なぜか


「いいよ」


と言っていましたガーン


しかも

石巻なんです。


(_ _。)


確かに石巻に

動けるPSWが

いないかも・・・・・


2名増員されることになり

もう一人は

私より更に南の方に

住んでいます。


スケジュール調整すれば

なんとかなるかも。


と思って

「10月からならばいい」

と返事をしちゃったのでした。


「いいよ」


と言ったので、

今年度はやります。


曜日等は

教育委員会との話し合いで

決まるらしいですが


手帳を見ながら

「ん~~~~ガーン


まっ

なんとかしますニコニコ



お声がかかったのは

良いこと音譜



まだ石巻の

どこの地域になるか

分かりませんが


石巻の子供たち

お母様たちには

話していません。


学校で会ったら

驚くだろうな~