三月一日は待望の解禁日。
二月二十八日の午前十時に出発、行程二百キロ、走行時間約五時間、時間だけはたっぷりあるから高速は使わず、甘木・日田・小国・馬見原経由で行く。
天気は良好でなく阿蘇の方面は霧がかかっていて先が見にくいところもあった、例年であれは゛気温が〇度くらいで路面の凍結に気を付けながら走るのだが今期は以上に暖かく阿蘇も小国峠辺りも何もなし、真夜中に走っていたら凍結もあったかもしれない。
馬見原から鞍岡方面を椎葉に向かうが道路沿いの五ヶ瀬川には釣り人らしい姿は二人確認できただけ、今回は珍しく土日の解禁であり釣り人が大挙して押し寄せているのではと危惧していたが、案に反して昨年の普通の日よりも少ないのではと感じる。
雨が少なかったせいか何処も川の水量は激減している、これでは釣りも難しいのでは、ダムの水量はどれくらいだろうと山道を走っていると眼下にダムが見えてきた、案の定、ダムも大幅に減水している、昨年は満水に近かったのに、今年は相当したまで行けそうだ、ダムに入るとトンネルを抜けた先のポイント辺りに見慣れた車が停まっていた、久留米のs
さんだ、車を止めてしばらく話をする、上の方の確認はしていないので釣り人が来てるかどうかは分からないとの事、私は上流に向かう、いつものポイントのところは工事中で車が止められず、ポイント確認のため上流に向かうと、またまた知り合いの車を発見、宮崎のMチャンだった、ひさしぶり~と声を掛けて上流へ、流れ込み辺りまでいくとダムに水は無く、川がながれていた、竹林まで戻り、明日はここから始めることとした、車の中でしばらくゆったりとしてたら、またまた見た事のある車が近づいてきた、大分のFさんだった、今日は仲間と上流のキャンプ場で宴会をやるとの事、一日の夜は岩富に泊まる事になっているのでそこでの再会と宴会を約束。
椎葉の夜は本当に暗い、時折車が通ってライトが通過する、それ以外は真っ暗、そして空気がきれいだからだろう、夜空の星がきらめく、寒くなければ道路に寝転んで星を眺めるんだけど、車に引かれたらやだね、車の側に立って見上げる、椎葉に行ったら「見上げてごらん、夜の星を~」きれいですよ~。
一人寂しく酒を飲み途中で買ってきた弁当を食べる、やる事も無いので早々に眠りにつく。
翌朝、六時半くらいにダムに入る、風もなく天気も良い、あとは魚がつれてくれるかどうか、周りを見渡してもライズも見えない、なんとなく魚の気配も感じられない。
いつも一投目は緊張する、ルアーを投げ引いてくる、巻く巻く巻く、ガツンと突然あたってくる・・・・想像しながら巻く。
しかし、何度やっても、場所変えながらやってもアタリはない、追っかけてくる姿さえ見えない、一時間ほどやって諦めた、やはり魚が居ないようだ、何年か前の大雨でダムも川もほぼ魚は全滅した、元のように回復するには相当な時間がかかるだろう、漁協さんは以前のように魚が釣れるよう放流に力を入れてくれているが何年くらいかかるかな?、私が椎葉通いを続けられる間にもとに戻ってほしいな、あと何年くらい通えることだろう?。
時間は早いがすることが無いので岩富旅館でゆっくりしとこう。
ダムを渡り上流へ、旅館に着くと女将がびっくりしてた、「今、来たと?」、「いいや、六時過ぎからやっとったけどアタリもないし、魚の気配も感じられんから諦めた」。
部屋に入り外を眺めながら時間の過ぎていくのを待つ。
なにもすることが無いのも退屈だ、時折ウトウトしているうちに夕方、今日の泊りは八人らしい、夕方になり次々と釣り場から戻ってくる、「釣れましたか?」「小さいのが一匹だけ、魚がおらんですね、ほかの人達も釣れとらんみたいです」、と15センチくらいのヤマメを見せてくれた。
食卓には「山の幸」がたっぷりと並ぶ、私はいつも食べきれないので半分は残してしまう。
まずは再会を祝して「乾杯」、いつもの様に釣り談義に花が咲く、私が椎葉に通い始めたのは五十年以上前、今日来ている若い一太刀が生まれる前から来ている、あの頃ひどいは道だった、国道の名前はついてたけど、本当に途中の道は「酷道」だった。
夜、山道を走っていると車のライトの中に二匹の動物が追っかけっこをしていた、よく見ると野猫が野兎を追っかけて、捕まえて藪に消えた。
今は道もよくなって、時折、シカやキツネやイノシシを見かけるくらいだ。
そんな話をしているうちに酒もまわり時間も過ぎ、一人一人部屋に戻っていく、いつもの事とは言えいつも私が最後に引き上げる、時は十一時、まっ明日は釣る気もあまり無いし、ゆっくり寝とこうかな。
今回はここまでにしとこう、気が向いたら続きをアップしましょう。