前回の続きです。


その後、校長先生からこんなお話があった。


「区内他校は分かりませんが我が校はインター校の子を夏や冬のインター校の休み期間にご希望あれば受け入れています。のしさん宅もご希望があれば早めにお知らせ下さい。」





パアアアアァァァーーーーラブラブラブラブラブラブラブラブラブラブラブラブ





何だかとても嬉しかった。夏の予定はほぼ決まっているものの、少しスケジュールに余裕のある期間があったのだ。


帰宅後、ランドセル買わないといけないかな、とか、キティが日本の小学校に通う姿を勝手に想像してワクワクしながら頂いてきた教科書を開いてみた。


まず英語。




アメリカだとPre-K(年中)〜K(年長)くらいの内容、と言うのがキティと私の共通の見立てだった。


我が子、英数共に標準テストでHigh Achieving (同学年の中で全米95percentile〜99percentile= 全米上位5%〜上位1% )から落ちたことがない。


英語については学校の授業では環境、人権、国際経済と言った様々な論点についてエッセイを書いたりディベートをしたりしている。そう言う子供が週数時間とは言え、年中児向けと同等内容の授業で黙って座っていなければならないのは大変だと思った。


次に算数。我が子は公文に丸2年通い、今は高校1年生レベルの「J」をやっている。こちらも週数時間、黙って座っていることは大変だろう。





しかし英語も算数も決定的な要因ではなかった。





国語。これにとどめを刺された。


私、自分が小学生の頃「大造じいさんとガン」と言う国語の教科書に載っているお話が大好きでして。内容そのものもだけれど表現描写が素晴らしくて何十年も経った今でも、何節かは覚えているくらい。


だから、今回頂いた教科書にも「大造じいさん」を見つけた時あれからずっと子ども達に読み継がれて来たのかと感動したし、キティにも是非知って欲しいと思い、読み聞かせをしてみた。







2、3行読んだところでものすごいことに気づいた。とても難しいのだ。え、これ本当に小学生の教科書に載っているの?しかも、自分の記憶には「大造じいさん=難しい」などと言う認識はかけらもなく、むしろ小学生の自分は、かの椋鳩十先生に向かって「表現描写が素晴らしい」と上から論評するくらい同作品を「深く味わっていた」のだ。


そのまま読み聞かせてもキティには理解出来ないと思い、適宜簡単な言葉に置き換えたり説明を加えながら読んでみたものの、表現描写の素晴らしさどころか、話の大筋すらもキティには理解出来なかった。日本語が難し過ぎるのだ。


授業内容が退屈でただ座っているのも辛いが授業内容が分からずただ座っているのはもっと辛いだろう。周りの足を引っ張ることにもなり、申し訳ないと言うものだ。





かくして、上履き、苗字呼び、敬語等、日本の学校習慣全てに不慣れ、と言う以外にも根本的に学習面においてキティは日本の小学校に不適合過ぎることが分かった。




夏の計画が一つ減った。無念。