まずは何から書いたらいいものか。

とりあえずは時系列にそって書いてみよう。

ちょうど一年前、去年の8月に渋谷のマウントレーニアホールで行われたCHANCEの3rd.ライブでのことである。終演後にロビーで元東京パフォーマンスドールの徳永愛にバッタリと会った。

そのとき、おそらく十年ぶりくらいに徳永とは挨拶を交わしたのだが、きっと彼女は、自分がかつて所属していたグループの演出家(中村龍史)が最近は、どんな仕事をしているのだろうという好奇心からフラッと現場に顔を出したのだと思う。

当然、そのときの彼女との会話の中で「愛ちゃん、せっかくだからCHANCE受けてみれば?」なんていう展開にもなりますわな。

ご存知のように、このグループは25歳以上の女性のみで形成されているので徳永本人にその気があれば、昔のよしみでオーディションくらいは受けさせてくれるだろう。

その時点で彼女がどこまで本気だったのかはわからないが「ちょっと考えてみようかな…」という態度ではあった…。

それから今年の5月のGWに、同じく渋谷でファン感謝祭という名の徳永愛のソロイベントが行われる。

その頃は自分も彼女にCHANCE入りを推進したことなど完全に忘れていたし、きっと彼女自身もこういう小規模なライブを今後は地味に展開していくのだろうな、などと勝手に思っていた。

そして先月の12日、STB139で行われたCHANCE本公演の会場に1年ぶりに徳永愛が姿を見せた。

しかも、彼女の傍らには、かつてのTPD時代の盟友であるアッコもいる。

やはり終演後に会場の外でいろいろと話をしたのだが、そのときも、特別CHANCEを観て盛り上がっているという様子でもなかった。

しかし、いま思うと彼女はそのときすでに決心を固めていたのだと思う。

それから数日が経過し、いきなり仰天ニュースが彼女のブログで発表された。

徳永愛入籍。

お相手は彼女が声優として仕事をしていた作品の関係者だとか。年齢的なことを考えたら、彼女だって決して若くはないわけだし、まあこれでよかったんだなと思った。

で普通はこれを機に、あとはリア充な一般人として地味にフェードアウトしていくものだが、驚いたのは続けざまに彼女がCHANCEに研修生として入団したことが発表されたことである。

さすがに、これにはビックリした!

何に驚いたのかというと、まず一般的な考えとして既婚者がこういう活動をし果たしてそれが成立するのだろうかということ。

当たり前のことを言うようだが、徳永愛がアイドルとしても声優としても成立していたのは彼女が独身だったからである。

彼女のファンの気持ちを察するに、果たして既婚者である徳永愛に対して、今後の興味がわくのだろうか?

ハッキリ言うと30代半ばの既婚者である彼女に、もはやアイドルとしての価値は1ミリもない。そして彼女自身だって、そんなことはよくわかっているはずである。

では、なぜ彼女が、今、このグループに入る必要があったのか。

今回の徳永愛結婚→CHANCE加入という一連の動きに整合性があるのだとしたら、これは彼女自身のものすごく個人的な部分に関係してくるのではないかと思う。そしてそれを解くカギが彼女のブログでの発言にある。

ちょっとそのブログから引用したい。

「18年前、東京パフォーマンスドールというアイドルグループが大好きでオーディションを受けました。

研究生になることができて、先輩のバックでたくさん踊れることや、ライブでファンのみなさんとの盛り上がりが本当に楽しくて、生きがいでここに骨を埋める!!という気持ちでいました。

それが、そんな幸せな期間は1年足らずで終了してしまい正規メンバーに昇格できたときにはライブをしない東京パフォーマンスドールというわたしが愛したかたちとは違うものに変わりました。

そこで、もう一度あんなステキなステージを創るんだ!!という思いで、TPD魂を胸にソロ活動を始めました。

(中略)ですが、ソロでは表現しきれないパフォーマンスも多く、もっと!もっと!お客様に楽しんでもらえるステージをと思うと、やっぱりグループでの活動はずっと憧れで、あの頃、発揮する場所を失ってしまった夢の続きを、もう一度全力で追ってみたいとグループへの参加を望みました。

中村龍史先生の創るパフォーマンスドールのステージは、コミカルな演出や、音の感触を気持ちよく表現できる振り付けが魅力的で、かわいさ、必死さも全力で本当に大好きでした。

18年経った今、姿かたちは違いますが魂は健在です。
(後略)」

この文章からは彼女の中村龍史の演出に対する強いこだわりと、そして自身がTPDで果たすことが出来なかった過去への執着を読み取ることができる。

同時にこの文章は、すごくエゴイスティックな内容にもとれ、徳永本人、これからはファンが何を望むかよりも自身のエゴ、自分のやりたいことを最優先に活動していこうという意志が感じられる。

言い換えると彼女は結婚したことにより、ようやく自分のファンから解放され自由の身になったのだ。

自由になったいま、あとはもう自分の好きなようにやらせてもらう。

そしてそれは、今までのアイドル声優、アイドル歌手の延長ではなく、再び中村スクールの一員になり燃え尽きること…。

それは原点へ回帰するというより、自らの「死に場所」としてパフォーマンスドール直系のCHANCEを選んだという意味合いが強い。

「魂は健在…」。何か胸が張り裂けそうな思いがしてくる。

10月7日、赤坂のCHANCE STUDIOに初めて出向き、徳永愛のデビュー戦を観てきた。

この日が初陣の徳永をはじめ、メンバー5人すべてがCHANCE研修生。

注目すべきは徳永同様に元TPDメンバーの中川雅子がそこにいることである。

彼女は9月の本公演にも出演していたが、研修生ということで、ほとんど見せ場らしいものがなく、久しぶりに登場した中川に注目していた自分はそれが非常に不満だったが、ようやくこの日キチンと彼女の姿を観ることが出来た。

中川と徳永は同い年だが、TPDでの在籍期間は微妙にズレていて中川が退団後、徳永が入団している。従って基本的に2人のあいだに接点はない。

しかし何だ!この2人が並んでいるのを見ていると高まってくる感覚は?

そして自分にとって、最もスリリングで最高の瞬間だったのは「SEKIGAE」と「神様、チャンスを!!」を歌ったときのことだった。

「Say-You パフォーマンスドールでお馴染みの曲をCHANCEのステージで東京パフォーマンスドールの中川雅子と徳永愛が歌っている」という時間軸が混乱してきそうな信じがたい光景。

正直にいうとCHANCEを今まで観てきた中で、「例の化学反応」が自分の中で起こったのはこの日が初めてのことである。そして、その化学反応を起こした最大の要因に中川雅子がいたこともまぎれもない事実である。

抜群の歌唱力とゾクゾクするような艶やかさ。

今さらだが、やはりTPDの全盛期を支えてきたメンバーは偉大だ。

とにもかくにも中川と徳永が並んで立っているだけで興奮しまくりの一時間だった。(申し訳ないがこの2人以外のメンバーを観ている余裕は、この日のオレにはほとんどなかったwww)

しかし、こうなってくると期待は高まる一方である。

今後、この2人が上にあがってきてCHANCEの本公演に本格的に参戦するようになると、ステージ上は東京パフォーマンスドール、マッスルミュージカル、東京メッツ、中村JAPANドラマティックカンパニーとまるで中村龍史版「大甲子園」のような世界が展開してくる。(どうせだったらOPD、SPDのメンバーも欲しい…)

良い意味で、まったく予断を許さない状況になってきたが、本当にこんなことになるとは、夢にも思わなかった。
先日、リリースされたボブ・ディランのニューアルバム「テンペスト」を最近では毎日のように聴いている。

現役の大物ロックミュージシャンが新作をリリースすると、それを無条件に誉め称えなければいけないという風潮がいつからか出来上がってしまい、前評判を鵜呑みにし、期待して聴いてみたものの実際の中身はアレレ…なんてことは決して少なくない。

そこで今回のディランの新作、毎度のことながらジャケットが意味不明すぎて、最初はそれだけで聴く気が失せるが、肝腎の中身のほうは前評判どおりの力作だと断言したい。

21世紀を迎えて以降のディランのアルバムはロックであり、ブルースであり、あるいはカントリーやフォークでありといった具合に、さまざまな伝承音楽の要素が散りばめられて、そのどれもが聴くに値する内容だと思うが、今回のアルバムも基本的には近年のディランの路線から大きく逸れてはおらず、ルーツミュージックへの回帰路線と70年代の自身の作品を彷彿とさせるような重厚さが合わさった見事な内容に仕上がっていると思う。

アルバムを聴いた最初の印象として、まずディランの声質の変化を感じた。

ディランの歌声は周期的に変化してきたが(意図的に声質を変えているようにもみえる)、前作、前々作あたりから、それまで20年くらい安定していた鼻にかかるフニャフニャ声が消え、押し潰したようなダミ声を発するようになった。

それが今回はさらに徹底され、聴きようによってはルイ・アームストロングかトム・ウェイツのようにも聴こえる。

収録曲のほとんどは、例によって起伏のない単調なメロディーと理解不能な歌詞が延々と繰り返され、サビすら存在しない曲まである。それは聴きようによっては、お経を唱えているのを粛々と聴いているような気分になってくる。

ディランと長く付き合っていくには相当な忍耐が必要だが、今回の「テンペスト」も、それ相当の忍耐力を要するアルバムだ。それは言い換えると、ほとんどのディランのアルバムがそうであるように今回の作品もディランのファン以外には、とても薦められない。

アルバム後半ラスト3曲に9分超、13分超、7分超といった大作が立て続けに収録されており、これなんかも長年鍛えられてきたディランファンにはたまらない流れだが、普通のリスナーの耳には、けっこうシンドイ展開なのではないだろうか。

極論を言うとディランみたいなタイプの音楽は徹底的に聴き込むか、あるいはまったく聴かないかの二通りしか選択肢がないように思える。そしてたまたま自分は前者に属する人間だったのだろう。

自分の経験にそくしていうとディランのファンになったきっかけはライブだった。

ようやくディランの音楽が解りかけてきた頃に初めてディランのライブを体験し(97年2月)、あのときから自分は本当の意味でディランを好きになったのだと思う。

今までの人生で、おそらく千回近くのライブを観てきたと思うが、あの晩に観たディランのコンサートは、生涯で五本の指に入るくらい特別なものだった。

1988年にスタートした「ネヴァーエンディングツアー」は驚いたことに今年で四半世紀になる。(信じられないことだが25年間休むことなく、いまだに年間100本近くのライブをディランは旅芸人さながら世界中のどこかで行っている)

この秋もマーク・ノップラーをゲストに迎え入れアメリカで「終わりなきツアー」を開催しているディランだが、こうなるとどうしても気になってくるのが来日公演である。

70を過ぎた今、さすがにあと何度も日本にくることはないだろうし、もし次の来日が実現するとしたら、それが最後の来日公演になる可能性は常識的に考えて、かなり高いと思う。

またシェークスピアの最後の作品が「THE TEMPEST」であることから、今回のアルバムタイトルは引退を示唆するものではないかとも言われているが実際のところはどうなのだろう。

ディランが終わるとき、やはりロックも終わるのだろうか。
はちたま、品はち、ニコはち、ジュクはちときて、アイドリングの次なる定期公演の会場は渋谷のマウントレーニアホール。その名も「渋はちライブ」に先週末、初めて行ってきた。

昨年、CHANCEの公演を何度か観にきたホールだが、ここの会場、決してキャパは広くないのだがニコはち現場のニコファーレのような圧迫感がなく、すごく居心地の良いハコだと思う。

またこの会場、渋谷のド真ん中に立地しているとは思えないような落ち着いた雰囲気に包まれており、そういった意味でも壁面がLEDパネルにおおわれ無駄に豪華なニコファーレの雰囲気とは大違いだ。

開演時間がせまり入場しようと入り口付近へ向かうと、何故か多数の入場者がユリの花を一輪持っている。

何だろうと不思議に思っていると、なるほど、入り口で入場者全員にユリの造花とサイリウムを配っているヲタの人がいる。

ユリの造花とサイリウムを受けとると、そこには「HAPPY BIRTHDAY RURIKAchan!!!」と記されたメモ紙が輪ゴムでくくりつけられていた。

あっ、なるほど、今日はルーリーの生誕祭をやるのか。

そんなこと、気にも留めていなかったが、そういえばルリカは9月生まれだったよな。

メモ紙には、造花はバースデーケーキが出てきて、みんなでHAPPY BIRTHDAYを歌うタイミングで振ってください。サイリウムは渋つぶソングリクエストの歌い出しから振ってくださいと書いてあったが、別に生誕祭の協力の要請を断る理由はどこにもないので快く参加させてもらうことにしよう。

横山ルリカ生誕祭ということで、どこか浮わついたムードの中、渋はちライブがスタートする。

ライブのMCで、この日の主役であるルリカ本人が自ら語っていたように彼女もうすぐ、というか明日(27日)で21歳になる。

コンサートの最中は自分も場内のファンと一緒にユリの花とサイリウムを振りながら彼女の誕生日を祝った。

ルリカちゃん、誕生日おめでとう。 …その気持ちにもちろん嘘はない。

しかし反面、彼女が21歳になるという「重い現実」を前にして、自分の中にどこかネガティヴな感情が芽生えてしまうのは何故だろうか。

いつの間にかルリカもそんな歳になっていたんだなという感慨。確かにそれもあるだろうが、それ以上に21歳というトシは結局、彼女はこのまま「未完の大器」としてアイドル人生を終えてしまうのだろうなという、あまり喜ばしくない現実を予感させる年齢でもある。

一般的に考えて、というかアイドル史的に考えて、21という年齢はアイドルとしての旬な時期はすでに過ぎていると思っていいだろう。

改めて書くまでもないが横山ルリカのアイドルとしてのポテンシャルの高さは、それはもう立派なものだと思う。

単にルックスが優れているというだけでなく、歌にもダンスにも長けた能力を発揮し、さらには頭も良くて、おまけに性格までいいときている。つまり弱点がない。

そして何よりも彼女が他のメンバーと決定的に違っている点は「品格」を備えているところではないだろうか。

今時のアイドルにいちばん欠けているものは、この品格だと自分は思う。

では彼女のようなアイドルとしての素質に恵まれている人間が、そのままこの世界の頂きに君臨することが出来るのかというと、これも改めて書くまでもないが、決してそうではないところが、アイドルというジャンルの不条理なところであり同時に面白いところでもある。

事実、アイドリングの中では絶大な人気を獲得している横山ルリカだが、一歩、外へ出たら、ほとんど無名に等しいというのが現実だろう。

トップアイドルになるべき人間というのは、本人の努力や才能はもちろんだが、それ以上に運やタイミング、あるいは時代背景や時代からの要請によって選ばれし者なのだと思う。

横山ルリカにとっての不幸はやはり彼女がアイドリングに所属していたことであり、これがもしアイドリングではなくAKBに在籍していたとしたら…? あるいは早い段階でアイドリングの活動に見切りをつけてソロ活動を展開していたとしたら…?

実に不毛な例え話だとは思うが、現在、彼女が置かれている不憫な状況を見ていると思わず、そんなことを考えてしまう。

しかし、これもまた人生なのだろう。

こうなったら我々が彼女に要求することはひとつしかない。

それは、このままアイドリングの終身メンバーとして「殉死」することだ。

21を目前に控えたこの日のステージでも、彼女のアイドルとしての存在感は抜けており、それは視覚的にも、あるいは音楽的にもアイドリングのライブの屋台骨を支えているのはまぎれもなく横山ルリカの力によるところが大きいと改めて確信した。

そして前述したように横山ルリカのアイドル人生を考えたら彼女がアイドリングに所属していたことは本人にとっては不幸だったのかもしれない。

しかし一方でアイドリングにとっては彼女がメンバーでいたことは最大の幸運だったのではないだろうか。

そんなパラドックスを改めて感じてしまった初参加の渋はちライブ、横山ルリカ生誕祭だった。