ウルトラマントリガー NEW GENERATION TIGA(2021)

※ネタバレあり

【ティガとの関係性】


ウルトラマンティガ25周年記念作品として世に紹介された本作。ファンからは賛否両論の評価で迎えられました。

要因として考えられるのは、大本のティガと、あまりにも作風がかけ離れている点でしょう。ティガは社会的なテーマを扱いつつ、硬派なリアリティ溢れる世界観でシニカルに人間社会の問題を論じる「性悪説的」な作風でした。

(社会批評的側面は「イーヴィルティガ」を始めとし、脚本家の小中千昭氏が手掛けたエピソードに顕著です。一方、その中で人間の可能性を体現するGUTSの面々、最終回の展開など性善説的な面にスポットを当てたエピソードもあります)

それに対するトリガーは、人の善性をまっすぐに信じる主人公マナカケンゴが復讐心に囚われるアキト、イグニス、果ては、敵対していたはずのカルミラまで浄化し、再起の道を示すというどこまでも「性善説的」な内容でした。

この作風の印象の違いが大きな問題となってしまったと思います。

【ウルトラシリーズ55周年作品としての側面】


しかし、トリガーはティガ25周年作品であると同時にウルトラマンシリーズ55周年作品という側面も持ちます。そういう作品と考えた時、トリガーの性善説的世界観に一本の筋道が見えるのです。

ウルトラマンシリーズ第一作ウルトラマンはM78星雲からの使者が人間の努力と可能性、善性に心打たれ、人を救う行動を行うものでした。シリーズの第一作が「性善説」に立脚していると思います。

シリーズ55周年の節目にあって、この「性善説」的に人をまっすぐに信じることの意義を問い直すことこそ、本作の意義ではないのかと思います。

【根拠薄弱な善意、説明十分な悪意】


本作に向けられる批判として大きいのが、結局、主人公のマナカケンゴ、ウルトラマントリガーの正体が説明されないという点です。

本作の中盤の山場、第12話において3000万年前にタイムスリップしたケンゴはかつて闇の巨人として活動していたトリガーダークと対面。ケンゴはまっすぐな善意でトリガーダーク、かつての自分を説得し光の側へ転身させます。

しかし、説明されるのはここまで。ケンゴの善意がトリガーダークを説き伏せ光の戦士として改めるという因果は「時の流れの円環」の中に成立はしますが、そもそも彼の中に最初に善意が芽生えた「因果の始まり」は描写されません。

これだけでは、確かに説明不足、設定不足と批判されても仕方ありません。

しかし、本作には一点、奇妙な点があります。それは「善意」についての説明が不足する一方で、復讐心といった「悪意」への説明は異様と言えるほど説明が充実しているのです。

アキトは、子供のころ怪獣災害により両親を失います。そして怪獣デスドラゴへの復讐心を抱きます。イグニスは故郷リシュリア星の同胞をヒュドラムにより失ったことから復讐を考えます。カルミラは、理由も告げず、自らのもとを去ったトリガーを憎みます。

ケンゴの理由の不明な「善意」とは異なり、憎しみや復讐心といった「悪意」は異様なほど明確に説明されます。

ここまで極端な違いを受け、一つの仮説が生まれますケンゴの、トリガーの、善意の根拠が説明されないのは、それこそ製作スタッフ、脚本家、監督の狙いではないのか、ということです。

【円環的時間の善意、直線的時間の悪意】


因果をさかのぼることは、悲劇を生むことです。
「あのときアイツがこう言ったから」
「アイツがあんなことしたから」
復讐心は直線的な時間をさかのぼり
因果を辿った先に芽生えます。

悪意、復讐心には理由が必要です。
一方で、善意を抱くことに理由がいらない。
それが本作のテーマではないかと思います。

ケンゴは記憶も、正体もわからない自分に疑問を抱きません。そうやって過去の自分を知ることよりも、目の前の人の支えとなることを優先します。だから、3000面年前の悪の自分と対面しても、彼の目的は揺らぎません。トリガーダークの心を救うこと、そして、トリガーダークの力を借りて、闇の巨人の破壊活動から人々を守ること。

ケンゴの説明不足で根拠薄弱な善意。しかし、そのブレない姿勢に心を動かされ、トリガーダークもアキトもイグニスもカルミラも悪意を浄化され救済されていく。

(元々、「復讐」を目的として活動していたアキトとイグニスは、ケンゴと関わったのち「仲間を守ること」を目的とするようになります。)

人を救いたいという思いに理由なんていらない。
理由ある「悪意」と、理由なき「善意」の対比。

直線的時間で醸成される悪意
円環的時間に宿る善意

善意を巡る寓話

それこそが本作のテーマと言えます。

【言語的コミュニケーションと非言語的コミュニケーション】


アキト、イグニス、カルミラはそれぞれ復讐の言葉を口にします。言葉とは因果を直線の時間軸になぞらえて整理する行い。言葉には始まりと終わりがあるからです。

一方、ケンゴのコミュニケーションは言語を伴わない「笑顔」。非言語的コミュニケーションにより「復讐の言葉」の因果を絶つことが、本作におけるケンゴの役割。

だから、ケンゴの、トリガーの正体は言葉では説明されません。「笑顔」に象徴される、人の心に宿る善意を「擬人化」したらどうなるか。そのような善意そのものが人間社会を生きたらどうなるか。そのシミュレーションが本作の本質です。

人が光となるのが

マドカダイゴ、ティガに対し

光が人となるのが

マナカケンゴ、トリガーと言えます。

地球で覚醒し、最後は火星に住まうこととなるダイゴ。火星で覚醒し、最後は地球で封印の身となるケンゴ。正三角のピラミッドのティガ、逆三角のピラミッドのトリガー。そのような対比構造が見えてきます。そして対比には意味があります。

正反対のアプローチで人と光の関係を問い直す。それこそティガのアニバーサリー作品として本作の向き合うテーマであり意味と言えるでしょう。

【やさしい奇跡、小さな奇跡】


最終回ではトリガーと、憎しみが暴走しメガロゾーアとなったカルミラの戦いが描かれます。

ここで注目したいのがケンゴが一貫して愛情を注いできた「ルルイエ」という花です。クトゥルフ神話にまつわる不吉な名前を関するこの花は、放送中に多くの視聴者の考察の対象となりました。

「最後に牙をむくラスボスとなるのでは?」
「いや、裏をかいて主人公の強化アイテムになるんだ」

結局そのどちらでもありませんでした。「ルルイエ」は戦闘に一切かかわることもなく戦いが終わり、自己犠牲で世界を救おうとするケンゴを仲間たちが見送る段になって、ようやく花開きます。

これを拍子抜けと取る人が多くいるのもわかります。

しかしこの「ルルイエ」は極めて重要な役割を果たします。

自らを犠牲にすることは、ケンゴも怖い。せめてそんなケンゴを笑顔で送り出そう、そう思う仲間たちも別れの悲しみから笑顔を作れません。重い雰囲気のなか、それがなんだとばかりに、空気を読まず花咲くルルイエ。それは緊張状態の彼らに笑顔を取り戻すという「やさしい奇跡」を起こします。ケンゴが「ルルイエ」に向けた愛情が返ってくる「必然」とも言えます。

『グリーンブック』(2018)という映画があります。主人公であるピアニストのシャーリーは人種への偏見を理由に差別的な扱いを受けますが、ある日、車を運転中に心当たりがないのに警察車両に停車を命じられる一幕があります。またも差別的な扱いを受けるのかと身構えるシャーリーですが、停車を求めて警察官にそのような意図はありませんでした。

警察官は、これより気候が悪化するため運転に気を付けるようにと善意で声をかけてくれたのです。

緊張状態の中に、人の素朴な善意が花咲く瞬間。上述した「ルルイエ」の場面は、この『グリーンブック』(2018)のワンシーンような感情を狙う演出だったように思われます。

【善意の寓話、理想のファンタジー】


誰かに向けた善意は、巡って自分に返ってくる。そんな善意の幸福な循環を、あくまでファンタジーとして、理想として、寓話的に描いたのが本作と言えます。

(ファンタジーだからこそ、現実感には欠けています。そして、ティガと比較された際は、その作風が欠点として解釈されやすくもあります。)

理由や因果も関係なしに、ただ懸命に生きようとする姿勢が、いつかどこかで誰かを笑顔にすることもある。ケンゴの生き様とラストのルルイエの「小さな奇跡」は本作のテーマの体現です。

ティガのような鋭い社会的批評はなしえなかった。しかしそのために、駄作や、つまらない、脚本がひどい、の一言で終わらせるのはあまりに惜しい。

長いウルトラシリーズの歴史において本作のような、ひたすら前向きで、人を勇気付ける明るく、おもしろい作品があっても良いのではないか。そう私は思います。

【やさしさの引き金(トリガー)】


自分に芽生えた悪意の理由の説明は容易ですが、善意の理由の説明は、誰しも、難しいのではないでしょうか。

なぜ良いことをしたいと思ったのか、考えても「何となく」といった以上の答えは、見つからないように思われます。

きっかけは、かつて誰かに救われたとか、誰かの笑顔に勇気づけられたからとか。あるいは子供のころに見た「ヒーロー番組」がきっかけだったり。その番組は「ウルトラマンティガ」かも知れません。人の善意のきっかけ。人が光となる引き金(トリガー)。それは意外と、ぼんやりとした、曖昧な記憶の中にあるのかも知れません。

【人は誰でも光になれる】


「人は誰でも光になれる」

上述の『ウルトラマンティガ』の台詞は『ウルトラマントリガー』でも引用されました。

『ウルトラマントリガー』において、上述の台詞は

「人は誰でも優しくなれる」

その様に解釈されたと思います。

かつて憎しみに囚われた、アキト、イグニス、カルミラ達も優しくなれる。復讐の過去に囚われる必要はない。

それを「過去が語られない」ケンゴの優しい振る舞いが証明します。ケンゴの過去が語られないこそ、「誰でも」「どのような過去を持つ者でも」ケンゴに自己投影できる。過去に囚われるのではなく未来の優しさを信じる勇気。

「未来を築く、希望の光」

ケンゴの上述の台詞には、そのようなケンゴの役割が象徴されるように思います。