※ネタバレあり。

 

【朝倉リクという男】

久しぶりにウルトラマンジードを見ました。

実の父が悪党。身寄りもない。正義を成したところで、偏見により正当な評価が下ることは無い。

設定を列挙すれば、実にシリアスな内容に思えます。しかし、主役である朝倉リク=ウルトラマンジードの「前向きなキャラクター性」が、暗さを暗さと感じさせない熱量を与えます。

「ジーとしてても、どうにもならない」

迷ったらまず行動、これで事態が好転すれば良し。うまくいかなくっても、それはそれとしてまた別の方法を試す。口にする象徴的なセリフを、すぐに行動に移す思い切りの良さが気持ち良い。ウルトラマンに変身する前から、輝ける生き様。

そんな彼の生き方に応えるように、ペガ、レム、ライハ、モア、ゼナ、レイトと次々に仲間が集まっていく。

孤独だった少年が、孤独でなくなるまでの物語。アイデンティティの探求のドラマとして大変に見ごたえのあるものでした。

【葛藤する悪役】

上述した様に、リクは過酷な運命にもかかわらず前向きな行動を積み重ねます。心中に葛藤があることは察せられる作りですが、少なくともリク自身が、表面上それを感じさせないようにしている。彼の葛藤は見えにくい。彼の前向きな力強さでドラマとして成立しているので、それは全く問題ではありません。

意外だったのは、ドラマに欠かせない「悩み」「葛藤」といった要素を担うのが、むしろ悪役であるベリアルの方であったことです。

ベリアルの目的は、腹心の伏井出ケイをけしかけることでジードをヒーローとして成長させ、市民からの信頼を勝ち得るように仕向け、その結果、起動する「ウルトラカプセル」を手に入れること。そして力強く成長したジードを懐柔して仲間とすること。

「太らせてから、食べる」ある意味「ヘンゼルとグレーテル」の魔女のような狡猾な計画ですが、誤算だったのはジードに仲間ができてしまったこと。

生まれてから数十年間、ジードとベリアルが顔を合わせる機会がなかったところで、「孤独」に付け込めば、ジードを引き込むことは容易。ベリアルはそう考えていました。かつて、ウルトラの父、ウルトラの母、ウルトラマンキングと決裂し「光の国」を追放された際の「孤独」をレイブラット星人に付け込まれた過去を踏まえての考えでしょう。

しかし「光の国」追放直後のベリアルと、今のジードの異なる点は、ジードには「信頼できる仲間」がいたこと。だからこそ「孤独」に付け込もうとするベリアルの計画は失敗に終わり、ジードは仲間を守るためベリアルとの対立を決意します。

それどころか「ロイヤルメガマスター」という「キングに認められた姿」までも得ることで、ジードはかつてベリアルが得られなかった「仲間」「キングの承認」の全てを得た存在としてベリアルに対峙します。

ある意味、闇に落ちなければありえたかもしれない、光に満ちた、自分の「可能性の人生」をベリアルはジードを通してまざまざと見せつけられる構図です。

本作、前半はジードが運命の体当たりで挑む「行動」とドラマですが、後半はベリアルが手に入ったかもしれない運命への「葛藤」のドラマとして構成されているのが興味深い「捻り」でした。

 

【その他のポイント】

 

後は、後半から登場するジャーナリストの石刈アリエですがベリアルに憑依されていたのなら、最初からケイに事情を話して服従させていればよかったのでは?と思っていたのですが、この時点のベリアルはダメージが大きく、アリエの意志や行動に干渉できるのは限定的で、遠回しな形でケイを誘導する他なかったと考えれば納得できました。