※原作マンガ最終話のネタバレあり。
【「そこで終わり」の理由とは】
「無能なナナ」最終回を読んだ。
初見の感想としては「え!?そこで終わり??」という感じだ。
ナナの脳腫瘍の摘出手術を翌日に控える。手術が成功するかは不透明。場合によりナナの命さえ危うい。
だが、手術が成功し、摘出された主要の研究成果によっては、能力者の怪物化症状の進行を抑制し、迫害を受けるすべての能力者の救済につながる可能性もある。昏睡状態にあるミチルやジンの回復にも繋がるかもしれない。
しかし、その手術の結果は描かれない。昏睡するミチルに向け、自らの旅路の顛末をナナが語り始める場面で本作は幕を閉じる。
【罪は贖えるのか】
投げっぱなしなのか、打ち切りエンドなのか?
そう思われる方もいるかもしれない。
しかし、本作の作風を振り返れば、本作がこのタイミングで幕を閉じるのは必然とも考えられる。
本作は、鶴岡に欺かれたナナが序盤、能力者を手にかける過ちをおかし、ミチルとの出会いを期に「命を尊重する立場」へと改心し、以降は「贖罪」のため、弾圧を受ける能力者の解放のために尽力する構成だ。
興味深い構成だが、宿命的に賛否を招く構成でもある。
ナナは、欺かれたとはいえ多くの人の命を一方的に奪ってきた。情状酌量の余地があるとはいえ、彼女の行いを、例え彼女が改心したとしても許されないという読者もいた。
もちろん、作者も、そのような反応を受けることは予測していたはずだ。
だから、本作は作中を通して、ナナが罪悪感を覚える描写が幾度となく、懇切丁寧に描写されるし、彼女が自ら手にかけた人々の表情を回想する場面も数多くあった。
私は個人的には、ナナは許されても良いのではないかと考えるが、そう思わない人もいるだろうし、無理のないことだとも思う。それだけに他者の命を奪うことは重大なことだからだ。
そして、そんな「贖罪」、「罪は贖えるのか」という、個々人により解釈の分かれる難しい問題に本作は取り組んできた。「贖罪」に対しての本作のスタンスが最も明確に示されるのが、この「最終話」だ。
【答えは、一人一人の内に】
罪に対する「裁き」とは大勢の合意のもとに形成される。
だからもし、本作の結末で、ナナが「許される」or「許されない」のどちらかを描いてしまったら、それは作者から読者に向け「答え」を提示することになってしまう。
しかし、「善悪」とは大勢が悩み抜き、それぞれの立場や信念を表明し、合意形成されることで追及されるものだ。
だからこそ、本作の結末でナナの安否は描写されない。
その答えは、我々一人一人の胸の内にある。
もし本作の結末に「歯がゆさ」を「消化不良感」を感じたのなら、それこそがナナ達の決断と行動の意味の証明だ。
どうかナナ達に「生きていて欲しい」「報われて欲しい」そう「あなた」が思ったのなら、それこそが本作の提示する「罪は贖えるのか」という問いに対する答えなのだ。
ナナは許されるべきか、そうでないのか、その答えは「彼女の戦いを見届けてきた」私達に託されたのだ。
【「本心を語る」時間】
本作を俯瞰するテーマを論じてきたが、最後にキャラクターに焦点を当てよう。本作の主人公のナナは「他者の心が読める」と嘯き、「自らの本心を抑圧してきた」。自分自身の心を誰にも理解されないまま。
そんな彼女が最後に、最も信頼を寄せるミチルを相手に「本心を語る」時間を得られたのは、最大限の救済だったのだと思う。
命を左右する「最後の賭け」を翌日に控えるが、もはや結果がどうであるかは関係がないのだろう。ミチルに語り掛けるこの瞬間に、彼女の戦いは確かに報われたのだと信じる。
