天気の子(2019)
※ネタバレあり。
【異常気象と正常世界】
「レールを外れること」。本作はそこから始まる。
主人公の帆高は家出少年。学生の身でありながら東京の繁華街に流れ着き「レールを外れた生き方」を模索する。偶然出会った経営者の須賀の元で雑誌記事の執筆業に取り組む。
もう一人の主人公、陽菜は学生でありながら、両親がいないことから唯一の家族、弟の凪を養うためアルバイト三昧。自発的に家出した帆高と異なり、望むわけでないが陽菜も「学生らしい生活」という「レール」から外れている。
二人を引き合わせたのは陽菜のアルバイト先のファストフード店だ。空腹の様子の帆高を見かねて、陽菜は店の「ルールを破り」ハンバーガーを差し入れる。ハンバーガーは現代を規定する資本主義という強大なルールのメタファーだ。
「ルールを破り」ハンバーガーを差し入れるという「レールを外れた」行いが二人を引き合わせる。帆高と陽菜は「レールを外れた」道の先で出会う。
彼らは、陽菜の「晴れを呼び込む」力を活用して、雨の続く気象に対し「晴れの時間」を提供するというビジネスを始める。これが本作のあらすじだ。
「止まぬ雨」、「家出」、「アルバイト三昧」
普通とは少し異なる「レールの外側」の環境、境遇の中、帆高、陽菜、凪の三人は「自分たちなりの生き方」を見つけていく。
【「レールを外れた」逃亡劇】
しかし、世間の目はそれを許容はしない。「レールを外れた者」は「保護」しなくてはいけない。学生は「学生らしく」。社会の保護の重要性は確かにある。それで救われる者も大勢いる。しかし、少なくともこの時点での帆高、陽菜、凪はそうではなかった。
ようやく自分たちの生き方を見つけた者達の、自分たちのための闘い。それが本作だ。
社会の要請する「レール」の強制から逃れる逃亡劇。
だから終盤、帆高が陽菜を探して繰り広げる逃亡で、彼は道筋を無視する。
電車の線路を走り抜け、増水により浸水した所を泳ぎ、トラックの屋根を飛び移っていく。駆け上がる階段が崩れても、しがみ付いて進み続ける。
社会が地図上に規定した「道筋」を外れることで、帆高は陽菜と再会する。かつて「レールを外れた先に」帆高は陽菜と出会った。その出会いを肯定することは、「レールを外れること」でしか成しえない。
【人生とは「流体」】
現代において雨が続くことは異常気象とされる。雨が続けば人の往来が阻害される。資本主義的なビジネスを阻害する。だから世間一般に雨は悪いこととされる。
しかし、時代や地域が異なれば、雨が続くことで農耕にとっての恵みとなることもある。「100%の晴れ女」とは対照的な「あまごい」が尊ばれた時代もある。時代により価値観は変わる。
雨、水とは「形のないもの」。それを良いものと見るか、悪いものと見るかは「時代」と「解釈」の問題なのだ。
帆高達の「レールを外れた生き方」も、社会的に否定されても、視点を変えれば肯定されるかもしれない。本作では雨水に晒された、都市の風景には生命力が宿るような演出がなされる。世界の循環には雨水のような「形ないモノ」や「レールを外れた生き方」のような「型に規定されないモノ」が不可欠という描写と取れる。
人生とは「地図上に規定された」分かりやすい道ではない。状況と環境で、都度形を変える「雨水のような流体」なのだ。
