※25話までのネタバレあり。
久しぶりに進撃の巨人(Season1)後編を見る。
作品を表する言い回しとして「味わい深い」なるものがあるが、本作については「味変に魅せられる」といったところだろう。
前編からキャラクター、世界観、テーマ性を引き継ぎつつも、壁外調査の物語にはこれまでの壁内防衛とは全く異なる趣がある。
まず、エレンを取り巻く関係性だ。前編では同期との横軸の並列のつながりが群像劇的に描かれるが、後編では上司たる調査兵団との交流が中心となり、縦軸の指揮系統下でのエレンの葛藤が描かれる。
前編では自我を持ってして仲間を鼓舞して来たエレンだが、後編では自我を抑え、どこまで集団に奉仕できるかを問われる。
チームワークという課題を前にエレンというキャラクターがより掘り下げられる。
エレンの選択にまつわる中盤の「理不尽な」展開も、容易に正解を断言できない「世界の残酷さ」を描くうえで必然的なものと再確認できるし、それゆえに達観したリヴァイ兵長の「何が正しいかなど分からないから、悔いのない方を選べ」という言葉は重みを持って響く。
戦闘描写に圧倒された前編とは異なり、「内に潜む敵」との丁々発止の騙し合いが後編の見どころだ。巨人という眼前に広がる圧倒的脅威の描写から、誰が敵か分からない不安感、内側から侵食されるような焦燥感。
アルミンの機転の効いた判断、エルヴィン団長の時に残酷さも覗かせる決断。アクション一辺倒にならない工夫に魅せられる。やはり本作の持ち味は「味変の巧妙さ」だ。
そして、やはり見逃せないのがジャンの存在感。クライマックスの戦闘中に憲兵団を見やり、「あり得たかもしれない、もう一つの生き方」に想いを馳せる一幕。かつての仲間との戦いにためらいを抱くエレンへの鼓舞。「人間的な弱さ」ゆえのリアリティを持つジャンのシーン一つ一つが実に味わい深い。
あと今更気付いたのだが、エレンがコントロールミスで腕のみを巨人化させスプーンを拾い上げたのは、初代『ウルトラマン』のハヤタ隊員がベータカプセルで誤ってスプーンで変身しようとするシーンのオマージュか。アニが指輪で変身するシーンが『ウルトラマンA』のオマージュであるのは初見時に察したが。
細かいポイントも含め、再視聴にもかかわらずグイグイ引き込まれる。このままラストまで「進撃」するのも良いかも知れない。「悔いのない選択」をしよう。
