※13話までのネタバレあり。
久しぶりに進撃の巨人(Season1)前編を見る。
久しぶりに見ると、当時の記憶よりはるかに展開が早い。
巨人の脅威を描き、対抗への動機づけとなる序盤はもとより、訓練兵時代の描写は必要最小限。初陣に入ると立体機動の戦闘シーンはそこそこに、すぐさま巨人へ変身した上での戦闘へ。
設定を作り込む作風上、もう少し訓練兵時代や立体機動の戦闘描写を深堀する線もあっただろうが、この出し惜しみのなさが本作の疾走感に寄与しているのだろう。
改めて見ると映画的なリファレンスも多い。訓令兵時代のキースの指導は『フルメタルジャケット』だし、初陣の凄惨な戦闘描写は『プライベートライアン』であろう。壁の内側に入るほど裕福という社会構造に根差す格差の描写は『スノーピアサー』的だ。(『スノーピアサー』は後年の作品だが)
名作群の「一番面白い要素」を「自らの味」として巧みに作品に盛り込む構成力に舌を巻く。
立体機動の戦闘シーンは『ハリーポッター』の架空スポーツの「クィディッチ」を彷彿とする。エレン、ミカサ、アルミンの三人組である点もそうだが、ガスの残量を気にしつつ、巨人の背後を狙う戦闘はどこかスポーツ的だ。
ガスが尽きれば終わり、刃の替えが無くなれば終わり、高所から落とされれば終わり。シンプルなルールが戦闘に緊張感を生む。
『キャプテン・アメリカ』『アベンジャーズ』シリーズのルッソ兄弟監督は戦闘シーンを描く際、競技的であることを意識するという。観客が飲み込みやすいシンプルなルールの上で、作品のキャラクター工夫を重ねる様に引き込まれる仕掛けだ。本作の立体機動のスポーツ的なルールに根差す戦闘に引き込まれるのもそれが理由だろう。
巨人との戦いに留まらず、人間同士の対立描写にも余念がない。立体機動装置用のガスの補給班が巨人への恐怖から使命を放棄たため、多数の犠牲が生まれる描写。
補給班は悪意があったわけではない。彼らは恐怖に屈しただけだ。しかし結果が甚大である以上対立は避けられない。巨人との対立という荒唐無稽な世界観であっても人間心理を描くことをおろそかにしない作風が本作を奥行きあるものにする。
そんな人間心理のグレーゾーンに切り込む作風において、利己と利他の狭間で葛藤するジャンが、Season1においては私にとって一番興味深いキャラクターであった。
改めてみると調査兵団の思想は「宇宙開発」的だ。命の保証がないにもかかわらず、ただ人類の希望となるために労力と時間を費やし挑戦を諦めない。様々な立場からの見方が可能な本作だが「より良い明日」を目指し戦い続ける戦士たちの挑戦には引き込まれる作品だと再確認できた。
私にとって、忘れられない作品の一本だ。
