※ネタバレなし。

イクサガミを見た。

時代劇とデスゲームものの組み合わせ、という予備知識の身を抱えてドラマの世界へ。(原作小説は未見。)

意外なジャンルの組み合わせはどのような妙味となるか、期待を胸に第一話。

しょっぱなっから、やられた!

主人公、嵯峨愁二郎。彼の家族は流行する病で病床に伏す。家族の医療費を捻出するため、愁二郎は大金を懸けた命がけのデスゲーム「蟲毒」へ赴く。家族のために覚悟を決める愁二郎の姿は胸を打つが、彼の動機はそれのみではない。

愁二郎は、戦国の世に名をはせたかつての剣豪。しかし、彼は廃刀令を機に刀を手放す他なかった。彼が「蟲毒」に臨むのは家族のためだけではなく、失ったかつての居場所を求めるためもである。

家族を想う、シンプルな善性に留まらない、主人公の複雑な心境。戦士としての業も巧みに織り込み表現する、重層的な心理描写に唸る。

期待は高鳴り、舞台は「蟲毒」、デスゲームの会場へ移る・・・が。

一転して、はっちゃける。

いかにも「デスゲーム」的なコテコテの展開!

見るからにかませのような人があっさり切られ!

にぎやかな「司会」が躍動する!

重厚な冒頭と打って変わってマンガ的に誇張されたデスゲーム展開!

おもしろい、が、あまりに「マンガ的」。

しかし、俳優陣の熱演と、こだわり抜いた殺陣で、不思議と臨場感は失われない。

そして、再びのドラマ。愁二郎と、先頭のさなかに彼が救った香月双葉の交流。

またも展開に唸らされる。主人公の動機は「家族」だ。愁二郎は双葉の中に、救いたい「家族」の面影を見る。回想シーンのような飛び道具を使わず、「今」の光景に集中させ、臨場感を維持する手法。やはり演出に抜かりはない。

・・・と、思えば、いかにもデスゲームらしい、バーサーカーキャラ、情報通キャラと「らしい」人物が惜しげもなく投入される。作風は再び「マンガ的」に。

そこで、私は思い至る、この「二面性」こそが、このドラマの本質なのだ。

地に足の着いた「人間ドラマ」。マンガ的な「活劇」。このコントラスト、メリハリこそが真骨頂だ。作風を豹変させつつ、視聴者を引き込む演出の妙技は、それこそ愁二郎の、峰と刃を「変幻自在」に切り替える剣技を思わせる。

後半からは盤外の、明治の代を揺るがすポリティカル・サスペンス要素まで導入され、どこまでも視聴者を引き込んでいく。美しい撮影と、臨場感ある殺陣も必見の、文句なしの傑作と言える。シーズン2が待ち遠しい。

でも、実は一番笑ったのは、観客が遠くから「オペラグラス」で「蟲毒」を観戦するシーンだ。そんなに遠くから見えるのか?

やはり「デスゲーム」設定は、記録媒体が普及した時代の方が、自然ではあるのだろう。