ワンダヴィジョン(2021)
(ドラマシリーズ)

※ネタバレあり。

「幸せ」とは何か。そう質問されてはっきりと答えられる者は稀だ。

「幸せ」になろうと、親や周りの人の真似をして家庭を持とうとする人もいる。社会の要請やヒット映画のイメージに従い家庭を持とうとする。そうして「幸せ」になろうとする。

周りの人に流されていると批判されることもあるかもしれないが、それは必ずしも悪いことではない。「幸せ」の定義があいまいな以上、まずは周りの言うとおりに生きてみる。そうする中で家庭を持つことが幸せだと本当に思えるなら、そうすれば良い。その過程で異なる幸せを見つけられたのなら、それを目指せば良い。

ゴールが分からないなら、一先ずは社会の要請を「幸せ」と仮に定義して、行動してみれば良い。

しかし、それも時と場合による。

最愛の人を失い、もう二度と手に入らないと人生が確定してしまったら。喪失の先の長い人生を、こんどはその社会の要請する「幸せ」に縛られてしまうかもしれない。

ワンダが求めたのは一般的なアメリカの家庭の幸せだ。本作におけるシットコムの描写はその象徴だ。

二度と手に入らないと分かり切った幸福像は反転し、自らを縛る鎖となる。

スーパーヒーロー映画は、アメリカの掲げる「理想」の体現だ。それは人々を鼓舞するものとして肯定されてきたが本作はその逆を行く。

固定化された「理想」が、いかに人を強く縛り付けるか、その恐怖と切なさが本作のテーマだ。

一家の一人との死別により、思い描いた理想の家庭像からの乖離から崩壊していく家庭を描いた『普通の人々』。アメリカの理想を信じ、貧民の出身から逆転を目論むも、上流階級の閉鎖性に阻まれる『華麗なるギャツビー』。

反転し、牙をむく幸福像と理想を描くこれらの作品群に本作は連なる。

そのような危ういテーマを、スーパーヒーロー映画の「舞台」で展開したことこそ、本作の神髄と言えるだろう。

 

あえて、欠点を述べるならテンポだろうか。

 

1話ごとに年代を変容させる序盤のダイナミックな構成は見事なものの、クライマックスにおいてはモニカVSピエトロ、ヴィジョンVSホワイトヴィジョン、更には実力行使に打って出る「ソード」と対立軸を広げすぎてしまったため、最も興味を惹かれるワンダVSアガサの印象が弱まってしまったように思われる。

 

それでも全体を通して「シットコム」の世界観を効果的に活用し、「物語」が人の希望となるだけではなく、時に枷となるという「負の側面」を描写した手腕は見事だ。