【「娯楽」とホルミシス】

「ホルミシス」という概念があります。あえて人体に負荷をかけることで、再生しようという人体の作用を引き出し、活性化させるという概念です。

野菜等に含まれる「ポリフェノール」。健康的な成分として知られるポリフェノールですがその中には微量の毒素が含まれています。植物が無死から自らを守るために蓄えたものです。人体に悪影響のある量ではありませんので接種には問題はないですが、それに反応することで人体の自らを守ろうとする細胞の作用を引き出すことができる。

筋肉トレーニングも同じです。運動で負荷をかけることで敢えて筋肉の細胞を破壊し、再生する作用を引き出し、筋肉をより強固に再構築する。

そのように「敢えて負荷をかけることで最終的に活性化させる作用」は「ホルミシス」と総称されます。

人が様々な場で行ってきた「娯楽」も「ホルミシス」の一つと言えるかもしれません。

スポーツはルールを順守することで事故を避けますが、必要に迫られるわけでもなく体力を削るのは疑似的な自傷行為。ゲームは仮想空間に仮託した命を削り合う闘争の再現です。

スポーツもゲームも闘争を疑似的に再現することで、命を失うスリルを再現して娯楽としている。

つまり、娯楽とそのためのスリルには、疑似的とはいえ「命を削る」側面がある。

「命を削る」ことで「生の実感を得る」それこそが本作の「ゲーム」の位置付けです。

【「医療」と束縛】

そして、医療は突き詰めれば、人の自由を束縛する側面もある。

命を脅かさない最も確実な方法は「何もしないこと」。

何もしなければ、不確定要素もなく命を脅かされることもない。

映画「トゥルー・エンディング」のまどかは難病から病室を出られない生活を強いられます。命を守る方法としては最善ですが、何もできなくなれば心が疲弊してしまう。まどかは「運動会への参加」を夢見ます。

弱った体で競技に参加することは危険ですが、「生の実感」が得られる「競技」=「娯楽」=「遊戯」=「ゲーム」を求めるのは人間の根源的な欲求と言えます。

【「調停者」宝生永夢】

本作の主人公、宝生永夢はゲーマーでありドクター。

リスクを内包しつつも生の実感を希求する「ゲーマー」。リスクを取り除き命を守る「ドクター」。

相反(パラドクス)する二つの側面を持つ彼は、「命を削る生の実感」と「自由を制限しつつも命を守る」二つの信念の調停者としての役割を担います。

「医療」と「娯楽」をどのようにバランスを取り、「クオリティ・オブ・ライフ」を実現するかという問いが本作のテーマ。

「生命倫理」を脅かしつつも「娯楽」を通して人の可能性を開拓しようとする檀黎斗とゲームの力で戦うドクターたち「CR」の戦い。

そしてその狭間で描かれる、ゲーマーとドクターの二面性を持つ宝条エムの「調停者」としての役割。

多彩な視点で描かれるのは、テクノロジー全盛の世界にあって「命とどう向き合うか」「命はどのように定義されるべきか」という根源的な問いなのだと思います。