ファルコン&ウィンター・ソルジャー(2021)
ファルコンアンドウィンターソルジャー

※ネタバレあり

【サムの背負う重責】


サム・ウィルソン=ファルコンは「エンドゲーム」のラストでスティーブ・ロジャース=初代キャプテンアメリカより「盾」を継承します。サノスを打倒し復興へ向かう、今後の混迷の時代。そこへ希望を与える「象徴」となる役割は、共に戦ったサムにこそ担えるものと確信したからです。これが本作のあらすじ。

しかし、本作の冒頭、サムはアメリカ政府の運営する博物館へ「盾」を寄贈してしまいます。そこには彼なりの複雑な理由があります。

サムは黒人という人種への偏見を受けることで社会で苦難を強いられます。作中で銀行の融資を断られるのもその一つです。そのような苦しみを背負う者が、理想を体現する「象徴」となることは意義深いことであり、人々にとっての大きな希望となります。

しかし、それは社会という大きな視点で見た場合のこと。サムという個人にとって、「盾」の継承と「象徴」の役割は重責に他なりません。歴史上、様々な社会的変革は起こりましたが、共通するのは変化のために最初に先頭に立った者には多大な注目が注がれ、負担がかかったという事。長期的にみて、理想のために必要な変革であったとしても、最初に変革を志す者の負担は計り知れない。

スティーブは強靭な精神を持ちました。時代を超えたことで、かつて信じた理想が自らに牙をむくことになっても、犠牲を最小限にするという理想のための戦いを完遂しました。

一方で、そのような強靭な精神を持つが故、人なら誰しも持ちうる心の弱さへの想像力にかけていたというのが、スティーブの弱点です。だからこそ、スティーブはサムひとりに重責を背負わせてしまうし、サムはその重責故に、一時は盾を手放してしまう。

バッキーもスティーブに救われた経験から、スティーブの選択を肯定しサムに盾を継承するよう迫ります。しかし、サムに代わり「盾」を受け継いだジョン・ウォーカーが重責から暴走したことを目の当たりにし、自らがサムに負担をかけていたことを反省し、「盾」と世界を救う責任をサムとバッキーの二人で背負うことを決断します。

【サムの決断、そのきっかけ】


そもそも、ヒーローが象徴となるには理由があります。ヒーローには二つの役割があります。「手の届く範囲」を直接的な形で人々の「命」を守るという事。もう一つは希望を体現する象徴となることで「手の届かない遠く」の人々の「心」を守るという事。

サムは作中においてテロ組織「フラグスマッシャーズ」と、その首領カーリー・モーゲンソウと対峙します。カーリー達との対話の末、彼女たちの背景に複雑な事情があることを知ります。

カーリー達は元々善良な市民でした。しかし「エンドゲーム」の戦いの後、消失していた半数の人口が突如として帰還。人口の爆発により、多くの人々が難民として不安定な生活を強いられます。

そして、難民たちを支援する役割を担うはずのGRC(世界再定住委員会)はあろうことか、難民のための支援物資、資金を横領していたことが発覚。生活苦から社会へ不満を覚えたカーリーは仲間を結集し、闇の売人「パワーブローカー」から超人血清を奪取。武力による社会改革を志すこととなります。

社会への「希望」を失ったことにより、暴力的手段を取らざるを得なくなったカーリーを前にしたサムは考えます。もしも、自分がスティーブの「盾」を継承し、人々の「希望」を象徴することができていたのなら。カーリー達は、このような間違った手段を取らずに済んだのかもしれない。

そして、黒人という人種への偏見から歴史から抹消された超人兵士イザイア・ブラッドリーの苦悩を目の当たりにします。彼の苦しみを歴史から葬らせるわけにはいかない。誰かが、過ちの歴史を伝えなければならない。

社会の矛盾により、苦しむ者達のために希望の「象徴」となるものが必要というのなら。自分にそれができるのなら。

サムは、「盾」を継承することを決断します。

新たなるキャプテンアメリカ、誕生の瞬間です。

希望を象徴する彼の役割は「ブレイブ・ニュー・ワールド」でも継続して描かれます。現実に屈する形で、理想を失ったロスに寄り添い再び理想を志す希望を担うサムの姿が描かれます。

【バッキーの贖罪、戦いから救済へ】


バッキー・バーンズ=ウィンターソルジャーは長きに渡る苦難の果て、遂に一時の平穏を手にします。

しかし、毎晩彼は悪夢にうなされます。ヒドラによる洗脳により望まない破壊行為に加担された過去。その犠牲者たちへの罪悪感から毎晩うなされるのです。サノスとの戦いでの功績から恩赦を得ることができても、自分自身を赦すことができない。

贖罪としてヒドラの残党を始末して回っても、彼の心が晴れることはない。

バッキーはスティーブの手帳を受け継ぎ、そこに自らの記憶に残る犠牲者の名前をリストアップしています。

サムの物語が社会の偏見との戦いなら、バッキーの物語は自らの内面に潜む罪悪感との戦いと言えます。

故郷のブルックリンで新たに友人となったヨリ・ナカジマと日本料理店などで親交を深めますが、彼の息子が、かつてバッキーが洗脳下で手を下した犠牲者と判明。手にしたにささやかな日常にさえ、かつての自分の罪が影を落とす。孤独と自らへの罪悪感の追及には終わりが見えません。

そんなバッキーの様子を見かねて、サムは助言します。敵と戦うことではなく、救える者を救う事から始めろ。

助言を受けたバッキーはヨリに、彼の息子が命を落としたのは自分であると伝えます。息子の死の原因が分からない苦しみを抱えるヨリの気持ちに整理がつけられるためにです。

そして、罪を告白したバッキーはヨリの元を離れます。

敵との戦いではなく、犠牲者の遺族に寄り添う方法を模索することこそ、必要な役目であると理解したからです。

戦いではなく、心に寄り添うというバッキーのスタンスは「サンダーボルツ」でも描かれます。バッキーは暗い過去に迷うエレーナ達の先頭に立つリーダーシップを発揮。そしてボブの抱えるトラウマに向き合います。様々な心理的苦難に向き合うバッキーだからこそできたことです。

【バロン・ジモの指摘、「超人」への問題提起】


バロン・ジモは爆破テロとアベンジャーズ内乱を画策した罪から「シビル・ウォー」のラストで収監されます。本作においてはカーリー達の追跡のため、超人血清に詳しいバロン・ジモがサムとバッキーから助力を要請される形で再登場します。

バロン・ジモは本作において独自の信念を持つ者として描かれます。

「エイジ・オブ・ウルトロン」でのアベンジャーズの戦いの巻き込み被害で家族を失った彼は、アベンジャーズというよりは「超人」という概念を憎むようになります。

どのような大義を掲げようとも、「超人」として人を超える力を得たものは傲慢になり、やがて至上主義者となる。至上主義者は傲慢な考えで力をふるうことで、「ウルトロンの暴走」のような悲劇を起こす。それがバロン・ジモの考えです。

だからこそ彼は「超人」の力を、効率的、計画的に大量生産する可能性のある「超人血清」及び「超人兵士」を特に危険視しており、流出した「超人血清」すべての破壊とカーリー達「超人兵士」の殲滅を目的に、サム、バッキーと一時的な協力関係を結びます。

サムとバッキーはカーリー達を捕らえて法の裁きを受けさせることが目的です。一方のバロン・ジモは殲滅目的。利害が一部一致しつつも最終的な目的が異なることから、彼らのかりそめの協力関係はスリリングなものとして描かれます。

本作ではバッキーが贖罪をしたい人間のリストにバロン・ジモの名前もあったことが描かれます。バッキーが直接バロン・ジモや彼の家族を手にかけたことはありませんが、「エイジ・オブ・ウルトロン」の戦いはヒドラが発端。長年ヒドラの活動に加担してきたことから、バッキーは罪悪感をバロン・ジモにも抱いていたことが考えられます。

しかし、本作におけるバロン・ジモとバッキーの対面の場面で、バロン・ジモはリストから自分の名前を消したとバッキーに伝えます。もう自らに罪悪感を抱かなくて良いということです。

バロン・ジモとバッキーは対立する関係ですが、被害者と加害者という両義性を持つことから相通ずる部分があります。そのような背景から「超人」という概念を憎むバロン・ジモもバッキーという個人を憎むことはないという事でしょう。

一方のバッキーは復讐心に囚われるバロン・ジモの苦しみを目の当たりにしたからこそ、前述したように戦いではなく犠牲者遺族の救済を中心とした贖罪へと舵を切るようになります。

そして、バロン・ジモの「超人」という存在の危うさの指摘を受け止めるからこそ、サムは「超人血清」を打たない個人として、キャプテンアメリカという「象徴」を背負い、希望を体現し、カーリーと向き合うことを選択します。

【キャプテンアメリカの継承】


興味深いのは、アベンジャーズを憎むはずのバロン・ジモでさえ、スティーブ個人は認めているということです。

バロン・ジモが超人となることで傲慢に力を行使する危険性を指摘すると、サムがスティーブは歪まなかったと反論。バロン・ジモはスティーブが歪まなかった点は認めつつも、スティーブと同等の精神力を持つ者の再来はあり得ないと指摘します。そしてバロン・ジモの指摘を裏付けるかのように、ジョンが暴走します。

「超人」の力を得て暴走するリスク。カーリーのような人々を救うための「象徴」の必要性。重責と共に向き合うバッキーという「仲間」の存在。

その全てを理解した上で、サムは決断を下します。

サムは「超人血清」を打たない個人として、キャプテンアメリカという「象徴」を背負い、希望を体現し、カーリーと向き合うことを選択するのです。

【シャロンの葛藤、継承の困難さ】


本作はドラマの長尺を活かし、様々なキャラクターが掘り下げられるのも特徴。

シャロン・カーターも再登場し、サムとバッキーをフォローします。

シャロンは、かつて戦時下においてスティーブと共闘し、シールドを設立したペギー・カーターの姪。英雄的人物の親族として、サムやバッキー同様の平和のための戦いを行う役割を担う人物として描かれてきましたが、本作では意外な展開を辿ります。

作中において、シャロンこそが闇の市場を支配する「パワーブローカー」の正体と明かされます。カーリー達の手にした「超人血清」の出どころもシャロンでした。

その闇落ちの背景には理由があります。「シビル・ウォー」の戦いの際に、国際指名手配となったスティーブに加担した責を問われ、自らも逃亡者となってしまっていたのです。名誉あるカーター家からは絶縁されたとも彼女の口から語られます。

国家と家族から見放された彼女の生きるすべは、犯罪の跋扈する「マドリプール」にて非合法的な仕事により生きるための日銭を得ること。長きの逃亡生活の末、「パワーブローカー」として最大の権力を得るまでになっていたのです。

英雄ペギーの親族であり、スティーブの戦友。「インサイト計画」阻止の功労者の一人。ヒーローとなりうる豊富なバックボーンを持つ彼女ですら、時代に翻弄される形で悪の道を進むこととなる。

本作の激動の時代性、そして役割の継承の難しさというテーマが、サムと比較される形で描かれます。

【ジョンの葛藤、模倣の果て】

ジョン・ウォーカー。彼もまた重要な人物です。

彼は冒頭で「盾」を手放したサムに代わり、キャプテンアメリカの役割を引き継ぎます。スティーブのコスチュームや行動のうわべのみを模倣するようなジョンの行動にバッキーは苛立ちを隠せませんが、ジョンとしては仕方のない部分でもあります。

というのも、ジョンはスティーブと直接の面識がありません。それでも、社会からはスティーブと同等の役割を求められる。そのような状況下でジョンに出来るのはスティーブの外見と振る舞いという表面的な部分の模倣であるということは無理からぬことです。

しかし、ジョンのキャプテンアメリカとしての方法論は危うさも秘めます。バロン・ジモが指摘したようにスティーブのような強靭な精神性の再来は皆無です。使命感を持ちつつも、人間的な等身大の精神性のジョンが無理にスティーブを模倣しようとするとどうなるか。

中盤でジョンの戦友のレマー・ホスキンス=バトルスターが命を落とした際に、ジョンは乱心。「超人血清」による興奮状態も相まって暴走。その果てに公衆の面前で暴力行為を働き社会的なキャプテンアメリカのイメージを失墜させてしまいます。

この場面のジョンの動きとカメラワークは「シビル・ウォー」のラストバトルと重なるように演出されます。「シビル・ウォー」の最終戦においてバッキーの命が危険にさらされる極限状態の中、スティーブは最後まで理性を保ちつつ、トニー・スターク=アイアンマンのアークリアクターのみを破壊してスーツを停止させます。戦いを「トニー、バッキーの双方に犠牲を出さない」形で終結させたのです。

翻って本作のジョンは激情に駆られてしまう。スティーブとの対比を通じて、常人がスティーブを模倣しようとすることと「超人血清」の危険性が描かれます。

この一件を踏まえるからこそ、サムは「超人血清」を打たず、自分なりの方法を模索します。等身大の人間としてキャプテンアメリカを襲名し、希望の象徴となる選択をします。

そして、本作のラストバトルにおいてジョンは人々を救うか、復讐のためカーリーを追うかの二者択一を迫られます。最終的に人々を救う選択をすることで彼は自らの信念を示します。

スティーブを模倣することに囚われたジョンでしたが、本作ラストの選択をきっかけに、自分なりの方法でヒーローとしての道を進み始めます。

【総括】
本作は群像劇。「継承」というテーマを軸に、様々なキャラクターの葛藤のドラマが展開します。

カーター家の役割の「世襲」を期待されつつも、異なる道を選ぶほかなかったシャロン。スティーブの表面的なイメージの「模倣」を試みるも暴走してしまうジョン。スティーブの本質を「理解」しようと悩むサム。

複雑な内容ではありますが、「継承」というテーマを軸にそれぞれの葛藤が描かれる構成は、とても引き込まれる巧妙なものです。