※ネタバレあり。
【迷う必要のない「時代」】
本作はNetflix独占配信のオリジナルアニメ映画だ。
コロナ禍以降、Netflix等の映像ストリーミングサービスは市場を大幅に拡大。
つい先日には2025年の映画の興行収入が過去最高を記録したというニュースもある。
今は、史上最も「人々が物語に触れている時代」と言える。
映画、アニメといった「物語」はそのエンディングをもってして、人生がどのように終着するかを先取りで教えてくれる。
疑問があればスマホで何でも検索できるし、今やAIが教えてくれる。
「迷う必要のない時代」の到来。そのような時代性にどう向き合うか、その問いかけこそが本作の主題だ。
【彩葉の「受動性」、かぐやの「主体性」】
本作の主人公、彩葉は進路に対する迷いを抱きつつも、日々に忙殺される。学業、バイト、友人付き合い。冒頭より密度の高いアニメ表現に面食らうが、これも過剰な情報量に忙殺される彩葉の心情の表現であろう。
そんな彩葉の日常の転換点は、暗闇にさす「一条の光」。古典の「竹取物語」を思わせる光景。彩葉とかぐやの出会いである。
異世界からの来訪者であるかぐやは彩葉とは異なる時間観を持つ。
かぐやは「自分のやりたいこと」に正直だ。
かぐやの思い付きに振り回される彩葉だが、これまでのような虚無感は、もはや無い。かぐやの「自分はこれがしたい!」という前向きで主体的な気持ちは、彩葉に伝播する。これまでの受動的な日々とは違い、彩葉は目に光を宿していく。
そうした日々の果て、彩葉はかつて目をそらしていた父への想いに再び向き合う勇気を得る。
しかし、別れは突然やってくる。
かぐやに元の世界から迎えがやってきたのだ。
彩葉は別れを受け入れる。始まりがあれば終わりがある。当然のことだ。
そうして、物語はエンディングを迎える・・・
【「きれいな終わり」への反逆】
・・・などということは無く、Netflixの画面切り替えを模した「フェイクエンド」という手の込んだノリツッコミを経て、物語は再起動する。
最近の若者は、物分かりが良すぎるなどと言われる。「さとり世代」という俗称もある。
最初に述べたように多くの人が「物語」に触れすぎた故に「人生こんなものだろう」という「きれいな終わり」を受け入れやすくなってしまっているという背景が理由だろう。つまりは「あきらめが良すぎる」。本来希望となるはずの物語の「負の側面」だ。
しかし、本来人間は、もっと自分勝手で良い。もっと生き汚くて良いし、欲望に正直でも良い。
彩葉は物語に刷り込まれた「きれいな終わり」を拒絶して、自分の欲望に正直に生きることを選択する。その欲望とは、そう、かぐやとの再会だ。
その心情を表現するための「フェイクエンド」演出、提出済みの進路票の奪還と「迷うことから逃げない選択」。
安易な結論に飛びつかず、かぐやとの再会のため「迷うこと」に向き合う彩葉の選択は、すなわち「勇気」だ。
美麗な作画に劣らない存在感を発揮する、切れ味ある展開と演出が冴える。
SNS、メタバース、自らを発信、表現する手段はどんどん増えるが、一方で心は抑圧されていく時代。
「心は、もっと自由になって良いんだ」
本作は、日々に忙殺され、現代に迷える我々の背中を押してくれる「一条の光」なのかもしれない。
