自分が分からない。誰でもそうなんだろう。他人の視線、言葉、態度から得た不確かな何かをピースとして自画像のパズルを埋める。

自分で自分は見えない。他人には自分が他人として見える。でも他人が提出する私という人間像はやはり他人が描いたもの。誰もがそれぞれ違った私を描いてみせる。そんなバラバラなものを一つの私にしようとするのだから苦しむんだろう。

私の目もどうやら一つ二つではなくいろいろなところに沢山付いているようで、その時々によって見方が変わって、また自画像は破り捨てられる。

自信なさげ、生きていけなさそう、私がよく言われること。これだけは一生変わりそうにない。
精神的に不安定…不安定とはなんだろうか

一日中自分の内面についてばかり考える毎日が、将来への漠然とした直視しがたい不安が生み出した状態。

あまり自分について考えてばかりいるのは危険なのだろう。暗闇を覗き込む時、暗闇もまた覗き込んでいるといったような言葉がある。
自分にとって分からないものは他人の心と自分の心だ。手軽にのぞき込める暗闇は後者。四六時中覗き込んでいることができる。暗闇を探ると暗闇は広がってくるようだ。

覗き込まない生き方もあるんだろう。暗闇以外にも世界には見るべきものはたくさんあると思う。私は自分の暗闇を探る生き方をしているような気がする。自己中心的とも言えるかもしれない。
自分ばかりみていて他人との付き合い方が下手だ。それでも良いと思う。これからも自分の内ばかり見て生きるだろう。



自分が自分の内側を見る、外側があるつもりなんだろうか。