記事にコメントをいただきました。
実はこの記事
あげる前にすごく悩んでいて
こういう書き方したら、後者のひとに誤解されるんじゃないかな、
っていう思いもあったんですね。
何度も書き直した^ - ^
↑これも完全に前者的
読んだ人の感じることまで考えてしまうので
怖くなってしまう…
でも
座談会の前から考えて
自分の感覚を探して
やっぱりこれだ!っていう気持ちもあったから
書いてみたら
後者さんからの暖かいコメントが
Facebookの方にも入ったりして
☆ ☆ ☆
知らない間にたくさんの(特に前者さんの)領域に土足で入っていってるのだろうと思うと、それでも許してくれる前者さん本当に優しいなーって思っています。
前者さんの方がわかる領域が広くて、気が利いて、カバーできるからこそ、後者にわかってほしいと思うのかもなと思いました。
私も後者としてそこらへんできるだけわかりたいなって思うのですが、やっぱり限界があって。。。
だからこそ、相手を思っているけど、わかることには限界があって、わからないこととそこに愛情があることは別なんだとみんなが本気で思えたら、いろんな問題が優しさに変わる気がしました。
☆ ☆ ☆
先日の前者後者座談会にも参加してくださった
どらさんです。
相手のことが分からない、理解できない
からといって
愛情がない
わけではないんだよね…
わたしは長いあいだ両親に理解されてない
分かってもらえないという想い(前提)
を抱えていて
それは
後者両親が
前者のわたしを理解するということは
まず、未知の世界だった…ってこと
前者後者の仕組みを知って気がついた!
するとその裏に隠れていた
愛情に気がつけたんだ。
わたしの欲しいカタチではないけれど、
両親なりに理解できずとも
そこにいてくれた、という愛情
それまでは全く見えていなかったんだよね…
それから
「土足で入られるようで、怖いんです」
って書いたら
そのわたしのことばに呼応しているかのような
心屋認定カウンセラーの珠里さんの記事
理解できなかったとしても
拗ねたり、勘違いしていることで
見えなくしてしまっている
本当の柔らかい
弱々しい
子どもみたいな気持ち
どらさんが書いてくれたように
いろんな問題が優しさにかわる
よね、きっと。
心屋認定リセットカウンセラー
ともぴ☆
