『影の巡礼編・第五話』沈黙の市場|異文化の中で“違和感”を読む、草の心理戦が始まる | ゆうがのブログ

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サマルカンドの市場は、人も香も言語も入り混じり、まるで一つの生き物のように脈動していた。

烈馬は巡礼の装束のまま、商人や信徒に紛れ歩く。だが――この街には“沈黙の殺気”が漂っていた。

宿に戻ると、草の仲間の一人が倒れていた。脈はある。だが、茶に混ぜられた毒が原因だとわかるまで時間はかからなかった。

誰がやったのか。なぜこのタイミングか。烈馬は、焦りを抑えて思考を巡らせた。

――毒を盛るには近づく必要がある。

――しかし仲間のそばにいた者は、全員“疑うべきではない”人物ばかりだった。

ここからは、言葉での探り合いも、行動での証拠集めも通用しない。

「……読むしかない」

烈馬は決めた。相手の表情、言葉の抑揚、立ち居振る舞い。文化の違いに阻まれようと、一つずつ観察し、記録し、読み解く。

「草は、刃を捨てて耳となれ。眼となれ」

それが半蔵の教えだった。

誤れば仲間が死ぬ。見誤れば、草が燃える。

静かな地獄のような市場の空気の中、烈馬はひとつずつ“違和感”を拾い始めた。


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🧭【物語考察】「沈黙の市場」──“見る”ことから始まる戦い

🔹心理戦の幕開け:「敵の姿は、目に見えぬ」

これまでの草の戦いは、敵の姿を捉え、裏をかき、行動によって結果を導く「動の戦」だった。
しかし本話で烈馬が直面するのは、言葉も行動も信じられぬ「静の戦」
毒を盛られた仲間――それは明確な攻撃だが、誰が敵なのかは一切分からない。

烈馬は、行動せず、声を荒げず、まず「観る」ことを選んだ。
それは、“忍”の本質に近い決断であり、草としての覚醒に向けた第一歩となる。


🔹異文化理解の壁:言葉ではなく、“違和感”を読む

烈馬が直面する最大の壁は、文化の違いによる読み間違い
目をそらすことが失礼である文化もあれば、逆に直視が攻撃と見なされる土地もある。
笑みが礼儀なのか、嘲りなのかすら、ひとつひとつ確かめねばならない。

つまりここで烈馬が戦っているのは、人間そのものであり、
言語・宗教・歴史に根ざした“違い”と向き合うことこそが「草の思想浸透」の核心であると、物語は告げている。


🔹烈馬の成長:草は“耳と眼”となる

半蔵の教え「草は、刃を捨てて耳となれ。眼となれ。」が、ここで生きてくる。
観察し、記録し、分析し、推測する――これは単なる忍術ではない。
思想を持つ者として、異文化を“読み解く力”こそが、草の新たな武器となっていく。

次章では、この観察がひとつの“心理逆転”として活かされ、烈馬が敵の裏をかく場面が訪れるでしょう。