朝霧が、山を静かに包んでいた。石橋の袂(たもと)に立つ烈馬の背に、湿った風が絡みつく。
橋の向こうには、巡礼団が出発の支度を整えていた。僧の衣に身を包み、経巻と塩を背負い、静かに列をなしている。
「父上」
その声に、烈馬は振り返った。
エリオがいた。袍(ほう)を羽織り、小さな杖を持ち、必死に大人びた顔をしている。
「僕も行く。僕も、草の一人だ」
その目には涙はなかった。ただ、震える拳が言葉の代わりに揺れていた。
烈馬はゆっくりと歩み寄り、息子の肩に手を置いた。
「……お前は、ここに残れ」
「でも……!」
「聞け、エリオ」
烈馬の声が低く、しかし確かに響く。
「この先の旅路は、今後100年、いやそれ以上の戦いの準備の旅だ。この旅で多くの種をまいておくことで、今後の戦況に大きく影響してくるのだ。お前は、次の戦にそなえよ。」
エリオは唇を噛んだ。
「そのために、ここで仲間を得よ。言葉を覚え、武を磨き、何物にも負けぬ心を作るのじゃ。十五になったその日、俺は戻る。その時こそ……」
烈馬は、腰の短刀を取り出し、エリオの手に握らせた。
「これは、俺が子供のころより一度も手放さなかった唯一のものだ。これをお前に預ける。」
エリオはそれを見つめ、静かに頷いた。
「……約束、だよ」
「約束だ」
風が、霧を裂いた。橋の向こうから、鐘の音が鳴る。
烈馬は一度だけ息子を見つめ、背を向けた。
影が、橋を渡っていく。巡礼者の列に紛れ、消えていった。
そこには、声も涙もなかった。ただ、二つの決意が朝霧の中に交差していた。
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🧭【物語考察】「別れの刻」──“父”として、“草”としての選択
🔹「草は刃にあらず、種を蒔く者なり」
この第三話は、忍びの任務を超えた“父と子”の物語として、烈馬の深い葛藤と決意を描いています。
烈馬が旅立つ理由は、ただ戦うためではなく、未来百年の布石として世界に草の思想を蒔くため。
これは「戦いの準備」であり、「思想の拡張」であり、「時を裂く者」としての草の本質です。
しかし、その歩みを共にしたいと願う息子・エリオを、烈馬は振り切る。
これは任務ではなく、親としての“痛みを伴う選択”です。
短刀を預ける行為には、烈馬の過去と覚悟が込められています。
彼が唯一手放さなかったものを託すということは、「生きて戻る」という意思表明であり、
同時に「父の名に恥じぬよう生きよ」という無言の教えでもあるのです。
🔹エリオという“第二の草”
この章では、エリオの変化も静かに描かれています。
泣き叫ばず、ただ拳を握る姿に、烈馬の教えが既に根付いていることが分かります。
「約束、だよ」
この言葉に込められたのは、父への信頼と、自らの成長への誓いです。
ここでエリオは「待つ者」ではなく、「準備する者」としての一歩を踏み出しました。
次に再会する時、彼はきっと“影を継ぐ者”として、物語の主軸に躍り出ることでしょう。
