□中世267.侘び茶の系譜3人 ◇C
[ゴロ]村竹(むらたけ)千里
(村田珠光(むらたじゅこう)・武野紹鷗(たけのじょうおう)・千利休(せんのりきゅう))
[句意]村の竹林は千里の長さに連なる、という句。
[ポイント]
1.侘び茶は村田珠光が創出し、武野紹鷗を経て、千利休が大成した。
[解説]
1.村田珠光(1423~1502)は、一休宗純に参禅し、禅旨を茶湯に加味し新茶法を工夫したという。侘び茶の創始者とされる。
2.武野紹鷗(1502~1555)は、村田珠光系の茶道を学び、侘びの境地を茶道の理想として小座敷の数寄屋を考案。
3.千利休(1522~91)は、堺の豪商出身で茶道の大成者。信長・秀吉に仕え、秀吉の勘気に触れ切腹死。一切の無駄を廃した境地を目指す。そのこの境地を表したとされる妙喜庵待庵は、千利休作と信じられる唯一の現存茶室。
4.豊臣秀吉は北野大茶湯(きたのおおちゃのゆ)を催した。
〈2016立命館大・全学部2月3日:「
日本を代表する伝統文化である茶道や花道の基礎が築かれたのは、室町時代のことであった。このうち茶道に関連して、すでに南北朝時代には、飲み回した茶の種類をあてて遊ぶ[ A ]が流行していた。一般に、[ B ]の茶を本茶とし、その他の地域で生産された茶を非茶としてあてる「本非十種」の[ A ]がよく知られている。その後、室町時代になると、足利義政の[ C ]として仕えていた能阿弥に師事しつつ、大徳寺の1一休宗純のもとで茶禅一味の精神を学んだ村田珠光が、[ D ]を創始するに至る。そして[ D ]は、武野紹鴎によりいっそう簡素化され、やがて2千利休によって茶道として大成されていくのである。
(a)空欄[ A ]にあてはまる、もっとも適当な語句を漢字2文字で答えよ。
(b)空欄[ B ]にあてはまる、もっとも適当な地名を下から一つ選べ。
あ宇治 い栂尾 う槇尾 え醍醐
(c)空欄[ C ]は、芸能や技能をもって将軍に仕えた者をさす。これにあてはまる、もっとも適当な語句を答えよ。
(d)下線部1の人物は、ある天皇の子息として知られる。ある天皇とは誰か。もっとも適当な天皇名を下から一つ選べ。
あ後醍醐天皇 い後光厳天皇
う後小松天皇 え後花園天皇
(e)空欄[ D ]にあてはまる、もっとも適当な語句を答えよ。
(f)下線部2の人物がつくった草庵風茶室を有し、現在の京都府大山崎町にある、臨済禅院の名を漢字3文字で答えよ。
(答:aA闘茶、bBい、cC同朋衆、dう、eD佗茶、f妙喜庵)〉