□中世208.鎌倉文化(肖像画2) ◇B
[ゴロ]珍なる贋絵(にせえ)/鷹のの無様(ぶざま)ね
(頂相(ちんぞう)・似絵(にせえ)))(藤原隆信(たかのぶ)・信実(のぶざね))
[句意]富士・鷹のは無様ね、これは偽物の絵よ、という句。珍らしい良い絵だと思うのだが、偽物とあって買うのは断念する、ホンモノだったらいいのに残念だ、と言った状況です。
[ポイント]
1.鎌倉文化の肖像画には頂相と似絵(代表は藤原隆信・信実)がある。
[解説]
1.禅宗の僧侶が師僧の肖像画(頂相)を崇拝する風習も鎌倉時代の中ごろに中国から伝わって始まった。頂相は禅宗の師が弟子におくる自分の肖像画。
2.個人の肖像を描く写実的な似絵は、大和絵の流れをくみ、藤原隆信(1142~1205)・信実(1176?~1265?)父子の名手が出た。似絵は肖像彫刻の発達と並んで、この時代に個性に対する関心が高まってきたことをよく示している。似絵は肖像彫刻の発達とならんで、次の室町時代に全盛期を迎えた。
〈2013早大・文:「
鎌倉時代に入っても、大和絵は絵巻物を中心にさかんに制作されたが、それと並んで、俗人の容貌を大和絵の技法で対面描写した肖像画、すなわち似絵が描かれるようになった。時代の現実主義、写実主義を反映した傾向といえるだろう。似絵の作者としては、藤原隆信の名前が知られ、以後この家系は代々似絵を得意とした。現存する遺品の中では、隆信の息子である藤原[ B ]の描いた「後鳥羽上皇像」が知られている。薄墨で細い線を引き重ねつつ容貌をスケッチした小品で、すぐれた出来ばえを見せる。
問3 空欄Bにあてはまる人名はどれか。1つ選べ。
ア忠実 イ隆家 ウ家隆
エ信実 オ定家
(答:エ)〉
〈2012明治大・政経:「
鎌倉時代の文化は、公家文化と武家文化とが共存した二元的性格の強いものであった。宗教的色彩も濃く、中国の宋や元の文化を積極的に吸収するなど、新しい要素を持つものであった。この時代の絵園では、肖像画、頂相、オ似絵などが発達した。
問7 下線部オについて、「後鳥羽上皇像」(大阪府水無瀬神宮蔵)を描いたのは誰か。A~Eから一つ選べ。
A藤原実資 B藤原隆信 C藤原隆能
D藤原信実 E藤原行成
(答:D)〉
〈2010センター試験:「
第3問 中世の文化・政治・社会に関する次の文章A・Bを読み。下の問いに答えよ。
A 平安末期のあいつぐ戦乱や社会の変化を体験した人々は、心の支えを求めていた。そのようななかで仏教界でも、武士や庶民など広い層を救済の対象にする動きが起こった。
鎌倉新仏教の開祖のなかで最初に登場した法然は、旧来のような難しい修行をしなくとも往生できると説いた。以後、諸宗派が生まれていくが、とりわけ日蓮は法華経を重視し、[ ア ]を唱えることで救われると説き、商工業者や関東の武士などに受け入れられた。
鎌倉時代には、各種の芸術の分野にも新たな傾向があらわれた。建築の分野では、重源が戦乱で荒廃した南都の寺院再建に採用した様式が著名である。また絵画の分野では、個人の肖像を写実的に描くことがさかんになり、禅宗の高僧の肖像を描く[ イ ]もみられるようになった。
問1 空欄[ ア ][ イ ]に入る語句の組合せとして正しいものを、次の1~4のうちから一つ選べ。
1ア念仏 イ頂相 2ア念仏 イ濃絵
3ア題目 イ頂相 4ア題目 イ濃絵」
(答:3)〉