□古代124.国風文化(代表4) ◇A
[ゴロ]ごく普(ふ)の/高三少女に/平等方法の/あみだ情報をあげよう
(国風文化)(高野山(こうやさん)聖衆(しょうじゅ)来迎図(らいごうず))(平等院鳳凰堂)(平等院鳳凰堂阿弥陀如来像・法成寺(ほうじょうじ)
[句意]ごく普通の高三少女に平等な方法のあみだ籤(くじ)の情報をあげよう、というやや意味不明の句。「情報」は「法成」の倒置ゴロです。
[ポイント]
1.国風文化を代表するのは、建築は法成寺と平等院鳳凰堂、彫刻は平等院鳳凰堂阿弥陀如来像、絵画は高野山聖衆来迎図。
[解説]
1.法成寺(現存せず)は、藤原道長が京都鴨川に建てた天台宗の寺。平安時代を代表する大寺だったが、たびたび火災にあい、南北朝時代に廃絶された。法成寺の別名が御堂(みどう)で、その阿弥陀堂が無量寿院(むりょうじゅいん)。道長はこの無量寿院に住んだため、御堂は道長の異名ともなり「御堂殿」「御堂関白(ただし道長は関白に就任していないので正誤問題に注意)」などと呼ばれた。
2.平等院鳳凰堂は、藤原頼通が創建。宇治の別荘を、阿弥陀堂に改築したもの。阿弥陀堂は阿弥陀仏を安置する堂で、特別に鳳凰堂・金色堂などという名を冠するものもある。
3.平等院鳳凰堂阿弥陀如来像は、平安中期の仏師定朝の作で、寄木造の手法を用い、定朝様と呼ばれる優美な和様の像。
4.高野山聖衆来迎図は、浄土教の流行により多く描かれた代表的な来迎図。来迎図は、阿弥陀仏一行が極楽浄土から雲に乗って迎えに来る有様を描いた絵。極楽への往生を願う人は、その絵のある堂内に病臥(びょうが)し、あたかも阿弥陀仏の導きで往生できるかの幻想を抱きつつ臨終(りんじゅう)を迎えた。多くの菩薩(ぼさつ)(聖衆)を従える図が多い。平安時代後期から鎌倉時代に盛んに描かれた。高野山の来迎図は現存する来迎図でもっとも大規模なもので、大和絵風かつ来迎図の傑作。
5.その他代表建築には、法界寺がある。11C中頃に藤原氏の一族、日野氏の氏寺で真言宗の寺。日野資業(すけなり)が再興した。
6.その他代表絵画は、平等院鳳凰堂扉絵。
7.後世大和絵(やまとえ)の祖とされるのは、巨勢金岡(こせのかなおか)(生没年不詳、9C)。日本的な画題・様式・技法で描き、彼から大和絵(唐絵(からえ)に対する日本風の絵の意)が始まる。作品は現存しない。
〈2015法大・文人問関係経営:「問5 下線部c御堂関白に関して、この名は道長が建立したある寺院に由来する。その寺院の名を、以下のア~オのなかから一つ選べ。
ア法成寺 イ法性寺 ウ醍醐寺
エ神護寺 オ石山寺
(答:ア)
〈2014立大・法・経済(経済政策)・異文化コミュ:「
末法の世が到来するとされた〈 う 〉年が近づくにつれて、浄土信仰が盛んになった。来世における極楽往生を願う貴族たちは、極楽浄土を模した仏堂を造立しだした。
藤原頼通が宇治川のほとりに建立した鳳凰堂が代表例である。鳳凰堂の本尊の阿弥陀如来像をつくったのが、( ト )である。また( ト )の時代には。仏像の身体をいくつかのバーツに分け、大勢で別々に彫った上で組み合わせる寄木造の技法が発達し、末法思想を背景とする仏像への需要の増大にこたえた。」
A.文中の空所(ト)にあてはまる適当な語句をしるせ。
B.文中の空所〈う〉にあてはまる適当な数字を、次のa~dから1つずつ選べ。
a.1016 b.1052
c.1112 d.1156
(答:ト定朝、うb)〉
〈2014明大・国際日本(国際日本):「
浄土教は難行を斥け、[ H ]と称えれば、死にゆく者が救済され、臨終の際、悪人でさえ極楽た往生することができると説く。図2のようにこの臨終往生の場面を描いた絵を[ I ]と呼ぶ。」
8 空欄Hに入る語句を漢字6文字で記入しなさい。
9 空欄Ⅰに入る語句を漢字3文字で記入しなさい。
(答:H南無阿弥陀仏、I来迎図)〉
〈2013青山学院・文教育経済法経営など:「
一方で、貴族層にも浄土教が浸透し、藤原道長やその子頼通は、贅を尽くした仏像や寺院を造営した。そこには、e西方浄土への強い思いが託されていたが、逆にいえば、こうした壮麗な仏像や堂舎を建立することが、極楽往生のための善行と信じられていたのである。
問12.下線部eに関して、このような思想を反映した建築・作品として誤っているものを、次の1~4の中から一つ選んでマークしなさい。」
1平等院鳳凰堂 2法界寺阿弥陀堂
3高野山聖衆来迎図 4教王護国寺両界曼荼羅
(答:4)〉
〈2012早大・政経:「
3 下線部e平等院の本尊である阿弥陀卸来像を作った仏師は誰か。」
(答:定朝)〉